1-4:何にすがることはなく
追放。佩芳に下された処分がそれだ。
当然だろう、と鞄に短刀などを詰め込みながら棚を見た。集めた本は持って行けそうないが、大抵の内容は頭に入っている。近くの窓から入りこむ光は、すでに橙へと変わっていた。
夢魔が全て倒されても、村の被害が消え去るわけではない。家畜は牛を除いて全滅したし、シュウの木も大抵がなぎ倒されている。幸いにも怪我人がいなかったことだけが奇跡だ。
今日の昼頃には詰所から兵が来るだろう。それまでにここを出ろ、と長は言った。処刑や突き出されたりしないだけ、まだ慈悲がある。
唯一の心残りは梁の体調だが、もうこの邑の医者ではなくなった自分が出しゃばるわけにはいかない。
地図と羅針盤、そして少しの薬と金。持てるだけのものを手にしたときだった。
「佩芳」
扉を開けたのは、暁華だ。珍しく声に張りがなく、顔つきも神妙だった。
視線を合わせ、佩芳は溜息をつく。
「まだいたのですか」
「ここから追い出されるって聞いたから。ねえ、これからどうするの?」
「どうするも何も、また各地を歩いて回ります。移住できる場所があるかもしれない」
「なら、あたしと一緒に行こうよ」
「……あなたと?」
すっかり身支度を整えた暁華は、嬉しそうに笑う。これ以上なく無邪気に、腹が立つくらいに。
「あたしの捜し物、手伝って。尋ね人もそうだけど。『霊胎姫』と賢人の美玲。いろんな中邑や邑にも行く予定なの。佩芳が一緒だったらすごく助かるし」
「呪痕士としての力を使う気はありません」
すげなく言えば、暁華の瞳が丸くなる。言われた言葉が理解できない、というように。
「お医者で活躍してたんでしょ? あたし、そっちをお願いしたいんだけど」
「護衛としてではなくですか」
「護衛なら捕まえた……あ、違う、雇ったよ。ねっ、泰然。泰然も佩芳が一緒でいいよね?」
「雇い主の命令なら別にいいさ。オレは気にしない」
そう言って扉から顔をのぞかせたのは、昨夜青竜刀で夢魔を倒した赤毛の青年だった。
鼻を横切る傷跡、豪快な笑み。刀を肩に担いだ姿からは自信が感じられる。佩芳という呪痕士を前に、忌避も畏怖も抱いていない。
佩芳は二人の言葉に視線を逸らす。しばし悩んだ。
移住するにせよ、旋の邑近くの中邑や集落ではだめだ。何回か顔を出したこともあるし、ここのものが噂として自分のことを話すかもしれない。
顔を上げ、ためしに聞いてみる。
「行く当てはあるのですか」
「次は聳木の国。この国には捜し物はないの」
「あなたが炎駒の国に来て、そう時間は経っていないでしょう。完全に調べられたとは思えませんが」
「オレが知ってる」
言い切ったのは泰然という名の青年だった。胸に飾った鳥の羽――淡く金色に光るそれを撫でながら、彼は苦笑を浮かべる。
「炎駒の国の中邑や邑にはあらかた寄ってきたけどな、そんな珍妙なものは見聞きしたことはないんだ。聳木の国には賢人がいるって小耳に挟んだことがある」
「なるほど……」
「ね、聳木の国はここから離れてるでしょ。佩芳の居場所も見つかるかもしれないよ」
居場所と言われ、内心を見透かされたようでどきりとした。
自分があるべき寄る辺。それが本当に見つかるというのなら――
「……わかりました、あなたに同行します」
「本当? やった、これからよろしくね、佩芳」
手を差し出す暁華を無視し、荷物を持って外に出る。彼女は唇を尖らせているが、一瞥することもなく森の方角を見た。
「村の裏から出ましょう。丹の中邑に続く道へ続いています。詰所は反対側ですから」
「丹から街道に出た方がいいな。クダ草原が途中にあるが、道は作られてるから夜以外なら安心して通過できる」
泰然は、どうやらここいら近辺にも詳しいようだ。彼の言葉にうなずき、歩き出す。
「荷物、それだけでよかったの? あたしは明け方に食料買っておいたけど」
「必要となれば現地で調達します」
隣を歩く暁華をよく見ると、確かに荷物袋が膨らんでいるのがわかった。泰然もまた、腰の革帯に水袋などを携えている。
楡の森を三人で歩いていく。風はない。邑の方、広場に続く道にももはや興味は失せていた。
ここも私の場所ではない、と佩芳は内心で溜息をついた。どれだけの中邑や村落を巡り渡れば、拠り所を見つけられるかわからない。
「あれ? 誰かいるよ」
森の出口に差しかかり、空を占める色が白へと変わってきたときに暁華が声を上げた。彼女の言葉に佩芳はうつむかせていた顔を上げ、一瞬固まる。
「……梁」
草原が広がる近くにいたのは、馬を連れた梁だ。彼は真顔で、しかしゆっくりとこちらに近付いてきた。
「佩芳、世話になったね」
栗毛の馬がいななく。梁が所有している馬の一頭だということは、見ただけでわかった。
「……私は何もしていません」
「君は確かに呪痕士かもしれない。でも、それ以上に優秀な医者だ。何度も俺たちを助けてくれた」
梁が馬の手綱を、すぐ側にいた泰然へと渡す。
「祝金を庇ってくれてありがとう」
「こんな真似をすれば、あなたがどうなるかわかりませんよ」
「このくらいはみんな許してくれるさ」
咳き込みながらの言葉に、佩芳はいたたまれない気持ちになった。貴重なものを受け取る資格など、自分にはない気がして。
「気をつけて旅をするんだよ。最近、夢魔の出現率が高いと聞いているからね」
梁は優しい。呪痕士と知ってもなお、佩芳のことを医者だと考えてくれている。数年の間、彼らを騙し続けた自分を咎めようとする気配すらなかった。
首肯した佩芳を見て、梁は満足したようだ。小道を伝って村の方へと戻っていく。
「信頼されてたんだ」
ふと、暁華が真面目な顔でつぶやいた。
「私は彼らをあざむいていました。このようなものを受け取る価値はないくらいに」
「信頼は勝ち取るものよ。だから引け目を感じなくてもいいと思うな」
頭を振る佩芳へ、暁華は強気な笑顔を浮かべてくる。思わず彼女を見つめた。
白い瞳には怯えも怖れもなく、ただ優しいまでの光がたたえられている。
瞳に宿る光がなぜか怖く感じ、佩芳は視線を逸らした。同時に、馬を見定めていた泰然が口笛を吹く。
「いい馬だぞ、これ。尻も足もしっかりしてる。荷物運びにもってこいだ」
「じゃあ縄で結ばせてもらおっか。泰然、お願いしてもいい?」
「あいよ。あんたの荷物はどうする?」
「……私は結構です」
答えにうなずいた泰然は、手慣れた様子で暁華と自らの荷物を馬へくくりつけていく。
佩芳は森へと視線をやった。
数年過ごした旋の邑はここから見えない。追放されるのは何度目のことだろうか。それでも凪のように心は平坦だった。禁忌の宮を追われたときと同じだ。
いつかは、心を慰める安寧の地が見つかるのだろうか。胸を穿つ焦燥を、しこりとなった不安に似た何かを落ち着かせるものは、この世にあるのか。知識を蓄えたとしても、答えは出そうにない。
暁華の言う『霊胎姫』とやらが本当にいるなら、それから何かを得ることができるかもしれないが、不確定な要素にすがる気は毛頭なかった。
あるいは賢人と呼ばれる存在ならば――そこまで考えて小さく息を吐き、視線を二人へとやった。
「泰然、早く。夜になっちゃうよ」
「まだ昼になったばかりだろ? 丹には簡単に行けるから安心しろっての」
「もう! 雇い主の命令に逆らう気?」
「へいへい。全く、気の早いお嬢さんだな」
「無駄口叩かないのっ」
いつ雇ったのかわからないが、暁華と泰然はどことなく打ち解けている、気がした。とりとめのない会話をしつつ、軽口を叩き合う仲のよさが見て取れた。
佩芳はまた、こっそりと息を吐く。
独りには慣れている。それでもなぜか暁華の笑顔を見ていると昔の、淡い思い出が頭をかすめてやまない。
はかない過去に対する答えすらも持ち合わせておらず、二人の様子を眺めるしかないのだが。
「あ、暁明鳥」
暁華の声に自然と天を仰げば、空を旋回している金色の鳥が見えた。
ぴゅーい、と小さく鳴くそれは、昔は土鱗の国に多く生息していたと言われている野鳥だ。
暁明鳥は夜霧にまぎれ、すぐに見えなくなった。夜目が効きつつも警戒心の強い鳥は、この辺ではあまり見かけない。旅のはじまりに吉なのか凶なのか判別もつかなかった。
「泰然の胸につけてるの、暁明鳥の羽?」
「ああ、道中で拾ったんだ。……やらないぞ」
「ケチ」
「佩芳さんや、この子どうにかしてくれ」
いきなり話を振られ、佩芳は固まった。彼は自分のことを、暁華の保護者と勘違いしているのかもしれない。
「私のことは呼び捨てで構いません。そしてあなたは、泰然を困らせないように」
「って佩芳は言ってるぞ、暁華」
「男二人で結託して。ずるい」
唇を尖らせる暁華を見るつど、昔のことばかり思い出す。
小さな手、あどけない笑顔。腐臭に夢魔の亡骸。そんなものを頭を振って片隅に追いやった。
わずらわしいのか懐かしいのか、それすらわからないままに。