朝と生きる
「どうして俺は、ここにいるんだ」
緑と青が入り交じる海。空は夜が明けて間もなく、橙の曙光がさざなみにまぶしい。
積み荷を降ろす男たちを見ていた佩芳は、褐色肌と白の目を持つ青年の言葉に振り返った。
「不安ですか、夜光」
夜光と呼ばれた青年――佩芳の息子は、押し黙る。吹いた潮風が互いの髪をなびかせた。
彼の顔つきは凜としており、宇航にどこか似ている。目元は若干柔らかく、そこは暁華譲りというべきだろうか。自分の血脈と愛するものの血筋を確実に引く面影に、つい、内心で苦笑が漏れた。
「四ツ国じゃ俺は、異端だろ。だから追放されたんだろ」
「あなたのどこが異端で、追放という結論に至ったのですか」
不機嫌そうに言い捨てる息子へ近づき、おもてを見つめる。まだ十二歳だというのに、彼の背丈はすでに佩芳を追い越そうとしていた。
「肌の色も、みんなと違う」
「そうですね」
「痕術だって俺が一番、誰よりも使える。全部の属性を使える」
「ええ」
「人と比べて成長も早い。変だ」
「奇妙だから追放されたと、そう思ったのですか?」
問いに夜光は答えず、顔を背けた。悔しそうに、辛そうに。
佩芳は笑む。潮の匂いを目一杯吸いこみながら。
「炎駒の帝は渉外のために、と我々を送り出したはずですが」
「泰然様だって、きっと俺のことが手に余ったから……」
「それなら、共に渡航する私のことも蔑ろにした、ということになりますね」
「俺の、せいだ」
白い瞳を潤ませて、夜光は唇を噛みしめる。そうすると、大人びた顔立ちが子どものように見えてくるから不思議だ。いや、事実子どもだった。下手をすると二十歳前後に見えるおもての持ち主だが、息子は成人にも至っていない。
彼は五歳で十の姿に、十歳で二十の面影となった。以来、成長を止めている。寿命はわからないが、外見の若々しさは土鱗の人間と同じだ。成長の速度で周囲から怯えられたこともある。
しかも息子は、五行全ての力を使えた。鳥と会話するすべすら持ち合わせていた。帝となった泰然の後ろ盾があるとはいえ、平和になった四ツ国で、畏怖されたことは数知れずある。
「教えてくれ、父様。俺の居場所は、どこにもないんだろ?」
泣くまいとしているのか、夜光の口調は不機嫌極まりない。今にも足を踏み鳴らそうとする息子の様子に、佩芳はただ、首を横に振る。
「あなた自身が決めることです。居場所も、大事なものも、これから答えを見つけていくのでしょう。そのための力があなたにはあるのですから」
「大陸の文字が読める?」
「ええ、それもあります。大事なものを護る力も備わっている。痕術という力が」
「父様は答えを見つけたのか?」
「もちろん。あなたの傍らが、私の居場所です」
「……俺は恨まれてると思った」
「暁華のことででしょうか」
夜光が何度も首肯する。高く一本縛りにした髪を揺らす勢いで。
「私はあなたを恨んでも、憎んでもいませんよ、夜光」
佩芳は微笑み、震えている息子の肩を数度、叩いた。いらえはなく、潮騒と鳥の鳴き声だけが大きい。
四ツ国を包んでいた夜霧が晴れ、中央大陸や近くの他国と外交ができるようになり、十二年。炎駒の国を筆頭に、各国はここぞとばかりに、輸出入を船で行うようになった。文化や言語も入りはじめ、今では定期的に使いのものたちが海を行き来している。
佩芳と息子である夜光が今回渡航した先は、中央大陸にある馬州国だ。本来はもっと発音が難しく、読み方も複雑らしい。だが、馬州からきた手紙を読み解いたのは、誰でもなく夜光だった。
その夜光を産んだ暁華は、いない。この世のどこにも、彼女はいない。
産後の肥立ちが極端に悪く、それは薬でも食事でも治ることはなかった。
暁華は死んだのだ。佩芳に夜光という大切な存在を残して。
彼女は死期を悟っていたのだろう、今はそう思う。やつれていく暁華を見て半狂乱になり、涙する自分とは異なり、彼女は母――妻として凜然としていた。
暁華は亡くなる前に一言、「幸せ」といった。微笑みながら、一歳になった夜光と佩芳を抱き締めながら。それは強がりでもなんでもなく、心からの言葉なのだろう。事実、彼女の死に顔は安らかだった。
四ツ国最後の戦いで、夜霧を腹に宿し、夜光を産み落とした彼女がこうなるのは、必然だったのかもしれない。それを承知であの日、暁華は全ての憎しみの痕跡を取りこんだのだ。
だからこそ佩芳は、嘆くのをやめた。恨むことも憎むことも、絶望することもやめた。二人という家族から与えられた、短いけれど健やかな時間は、悲しみよりも遙かな温もりで心をなぐさめているのだから。
披帛を巻き直し、夜光の頭を撫でた。
「いつかあなたにもできるでしょう。居場所と守るべきものが。案ずることはありません。私もそうだったのですから」
「本当に?」
「おや、父の言葉を疑いますか」
「……ううん」
照れ臭そうにした息子は、儚く笑う。笑うと暁華によく似る。それもまた、嬉しい。
「そろそろ上陸しましょう。通訳に期待していますよ、夜光」
「頑張る。できるだけ」
強がるように口角をつり上げ、夜光は不敵にうなずいてみせた。
曙光が海を照らす中、彼は駆け足で船から下りていく。赤い披帛を風になびかせながら。
まだ子どもで、幼い精神を持つ息子を護り、導くこと――それが佩芳の、生涯最後の役割になるだろう。
(暁華、私たちは朝と共に生きます。あなたが与えてくれた朝と)
まばゆい光に目を細め、輝く海原を見た。四ツ国は遠く、面影もない。見知らぬ異国の地にそれでも不安など微塵もなかった。
愛しいものと生きる喜びを胸に、父ははしゃぐ息子の方へと一歩踏み出し、微笑んだ。
朝がある限り、朝が来る限り、二度と道は間違えないだろう。
佩芳を照らす陽射しは柔らかい。朝日が昇るつど思い出す。
誰でもない、暁華の温もりを。
【完】
これにて『夜を産みしは霊胎姫』は完結です。
もし少しでもお楽しみいただけたら評価などして下さると嬉しい限りです!
お付き合いありがとうございました。




