4-7:王族の戦い
片手には曲刀。銀の瞳は戦場をくぐり抜け、異様に輝いている。整った顔に狂気をこめ、彼は静かに中へと入ってきた。
宇航が疲れたような嘆息を漏らした。これ以上なく、退屈そうな顔をして。
彼はいささか乱暴に暁華の髪を放すと、嘆くようにかぶりを振る。
「無能な帝風情が。土鱗の地を踏むとは恐れを知らぬうつけ者よ。それとも、何か? この娘に、妹に、思うところがあるのか?」
「ない」
「ならば静かにしていてもらおうか。大事な話をしているのでな」
「それを殺せば、全て解決だということが、わかった」
「傑倫……!」
「邪魔立てするな、呪痕士。小より大を取るのは、一国の帝として当然のことだ」
「何も思わないのですか、暁華のあの姿を見て!」
「今更、何も」
佩芳が睨みつけ叫んでも、傑倫の冷たい瞳は変わらない。
三人の間に、妙な沈黙が下りた。遠くでは未だ交戦の音が響いている。地鳴りもしている。土埃が無言の帳を裂くように、微かな音を立てて三者の間に落ちた。
佩芳は腰を軽く落とし、光を灯した環首刀を握り直す。横目で確認するも、暁華は動かない。動けたとしても宇航がすぐ側にいる。逃がすのも助けるのも至難の業だ。
一方の傑倫も、迂闊には間合いを詰めないでいる。もしかすれば、宇航が手にする盤古の気に圧されているのかもしれない。刀剣の腕はどのくらいなのだろう。泰然より強いのか、それ以下なのか。
暁明鳥と戦っているはずの泰然、仲間たちのことも気になる。だが、それより今、佩芳の気がかりなのはこの状況下と暁華のことだ。
「まずは邪魔者を排除するか。愚かな帝よ、盤古の力、とくと見るがいい」
笑う宇航が、動いた。
手にした闇――盤古がうごめく。と、次の瞬間には無数の棘を作り、一斉に射出してきた。
「光、満ちよ!」
佩芳は叫び、光の痕術を発動させる。心臓が脈打つ。全身から、力の全てが刀へと吸われていく感覚。浮き出る冷や汗を照らす輝きは、白い。
肉の焼ける臭い匂いがし、傑倫を狙っていた棘は音を立てて消滅する。そのまま彼は走る。宇航の方へ、迷わずに。
「ふっ!」
「盤古」
横薙ぎに繰り出された曲刀が、闇の腕によって掴まれた。鋼同士がぶつかる音。火花。
微笑む宇航を尻目に、しかし傑倫も、笑う。
「光よ」
「なっ……」
宇航ははじめて動揺する。閃光が走った。佩芳が抑えて放った輝きとは違う、強烈な光だ。
「光源士……!」
「どうやら気味の悪いそれには効くようだ」
いっそ獰猛な笑みを浮かべた傑倫は、そのままねじ切るように闇の腕を切り落とす。刹那、佩芳を見る。一瞬の目配せ。それを逃すほど愚かではない。
佩芳もまた、駆け出す。環首刀を両手で握り、片手で闇を繰り出そうとする宇航との間合いを詰めた。
「どうにかせい、盤古!」
「光、我を糧にして輝け!」
うねる闇の塊を打ち消すよう、叫ぶ。差し出された手のひら、球体の暗黒が生まれたそこへ迷わず刀剣の刃を突き入れた。
「ぎっ……」
宇航の顔が歪んだ。鼻をつく焦げた匂いが満ちると共に、佩芳の周囲を血の玉が飛ぶ。
手のひら奥まで差しこんだ環首刀に、抜けることがないよう全体重をかける。体が痛い。脈が速くなる。生気そのものが吸われ、今にもへたりこんでしまいそうだ。
膝は笑い、手は震え、汗が額と頬を滑り落ちていく。それでも目を見開き、全力で光を灯し続ける。命を賭けて、寿命をすり減らし放つ光は、盤古の闇をものともしない。
「放せ、下郎どもっ」
宇航の叫びに闇が、盤古が暴れる。二つの光から逃げるように。隠れるように。
周囲の天井や壁を壊し、瓦礫を作り上げる暗黒の球体は、暴走している様子を見せた。ときに爪となり、刀となり、形を変えて玉座と周辺を破壊し続ける。
それらを打ち払っているのは傑倫だ。彼もまた咆哮を上げつつ、光を生み出しながら的確な刀使いで消滅させていく。
「やめろ、やめろ!」
宇航がたたらを踏んだ。逃れたい一心か、それとも均衡を失いつつあるのか。
佩芳は微笑む。自然と、微かな笑みが浮かんだ。
「宇航、我が叔父よ。土鱗の再興などもうないのです。叶わない。叶えさせない。半端者の私がお供をいたします。どうか心安らかに、お逝きなさい」
「死ぬ気で、はじめからっ……」
焦燥の声に目を閉じ、体力が奪われていくことにも構わず、光を増幅させる。
少しずつ顔がこけていくことが、佩芳にはわかった。命の灯火が音を立てて瓦解していくのも、全身で受け止めていた。
痛み、苦しみ、そして、哀れみ。その全てを力にして光を生み出し続ける。
(……暁華)
まぶたを開け、交戦の後ろで未だ眠る彼女を見つめた。
恐ろしい。彼女を一人残し、この世から去ることが。いずれ暁華が自分を忘れてしまうのでは、そう思うと、今にも胸を掻きむしりたくなる。
(暁華)
だが、少しの間でも思い出になれたなら、それでいい。こびりつく染みのように、彼女の心に僅かな爪痕を残せたのならば、充分すぎる。
震える宇航の肩を握り、自らの方へ抱き寄せた。
「放せ、このあいのこ風情が……」
声に覇気がない。自分を突き飛ばそうとする手に、力がほとんど入っていなかった。
道を違えていたら、生まれが違っていたら、もしかすれば自分も宇航のようになっていたかもしれない。
そうならなかったのは、ただ、暁華がいたから。
「傑倫っ!」
決意し、嗄れた喉で声を張り上げた。
「帝使いが荒い!」
徐々に弱まる闇のうねり――それを打ち払い、切り落とし、傑倫が刀身に光を集中させた。
「おぉぉおっ!」
雄叫びと共に振るわれた曲刀が、自分の首ごと宇航を討ち取ると思った。
だが、軌道は逸れる。首を落とすのではなく宇航の背面に、深々と突き刺さった刀身。のこぎり刃が袈裟切りに背中を切り裂いた。
絶叫も、嘆きも、何もなかった。
びくんと一つうごめいて、宇航は倒れていく。
引っ張られ、つんのめる佩芳の体を支えたのは、誰でもなく傑倫だ。
「なぜ、私を?」
「殺さなくていいものを殺すのは、道理に反する。それだけだ」
疲労困憊、といった様子で、彼の手から曲刀が落ちる。乾いた音が空間に響いた。
そのまま二人で尻をつく。互いに呼気は荒く、立ち上がるのすら、佩芳には億劫すぎる。
宇航の様子を確認した。延髄にまで刃が到達したのだろう。完全に事切れている。口の端から血を流し、背中から溢れた血溜まりの中、見開いた瞳をそのままに動く様子はない。
「……あなたが光源士だとは知りませんでした」
「賢人の秀英しか知らんこと。あれにも教えていなかった」
眠る暁華を睨みつける傑倫に、佩芳が苦笑をこぼしたその、刹那。
今まで以上に、背筋が凍るような寒気がした。
はっとして宇航を見れば、血の塊が空中に浮いている。その中心には――闇。
暗黒が蠕動するつど、血液が少しずつ球体になっていく。心臓のように脈打つそれは赤黒く、なにごとかと身構えた瞬間だった。
閃光が走り、体を起こそうとした傑倫の右肩を、射貫く。
「ぐ……っ」
「傑倫!」
貫通した肩からは血が溢れている。痛みにだろう、顔を歪ませる傑倫の様子に佩芳もまた、身を起こした。
『体を、よこせ』
「……ッ」
しわがれた声が脳内に響き、目を見開く。
『体をよこせ、藍洙の子。盤古と一体になれ。土鱗をよみがえらせい』
疼くこめかみに片手をやり、片膝を突いた佩芳は、気づいた。
宇航の声ではない。もっと歳がいったものの声音だと。
宇航はいった。盤古の支柱は、連杰だと。
「連杰」
呟けば、呼応するがごとく闇を内包し、血で固められたもの――黒と赤が交ざった宝玉が、震えた。
次回更新は8日か15日夜の予定です