4-6:それは策謀という手のひらの上
「仇を見るような目で、睨まないでもらいたいものだ。別にこの娘を殺したわけでもなし」
肩をすくめ、宇航は朽ちた玉座へと腰かける。光を灯した環首刀を見てか、忌ま忌ましげに片眉を釣り上げながら。
佩芳としては、胎児のようにうずくまった暁華のことが気になる。微かに覗ける頬は腫れ、青あざができていた。鼻血の痕すら残したまま、彼女は未だ動かない。
怒りで震える手をとどめ、つまらなさそうに金の毛先を挟み持つ宇航に問う。
「あなたは何を考え、彼女という存在をさらったのです」
「滅びを。ただ、それだけ」
「……痕術を持つものを滅ぼす、と? 盤古とやらがあると耳にしましたが」
「ふ、こざかしい賢人に聞いたか。確かにそれはあるな。ほれ、ここに」
嘲笑し、宇航が片手を僅かに浮かせた。その手中では暗い、暗緑色の光が塊となってうごめいている。時折形を変え、無作為に動く盤古は、生き物のようだ。
「夢魔の源……」
ぽつりとささやく。空中でのたくる輝きから、冷気と負の念が漏れ出ていた。頬や手をくすぐる圧倒的な悪意と怖気に、自然と背筋が粟立つ。汗が出る。
身動き一つできない佩芳に、宇航はくつくつとくぐもった笑みをこぼした。
「今は父、連杰が支柱となっておる。このままでも都合はよいが、自我を持つのはいささかな。その前にこやつが天乃四霊を呼び起こせば、とっとと陰の気をまとわすことができたのだが」
石の上で横たわる暁華を見やり、宇航は地面へ唾を吐く。
「こやつ、儂の手へ猿のように噛みつきおった。下賤の、所詮は器である存在程度め」
「手を上げたのですか。彼女に」
「殴った。蹴った。それの何が悪い? 尊い土鱗、その王族が直接しつけてやったのだ。礼をいわれることがあれど、恨まれる筋合いはない」
当然のように言い放つ宇航へ、佩芳は確かに胃のむかつきを覚えた。
何が尊い、と思う。所詮は滅びた亡国だ。他国を見下していたであろう国の王族、自分の体にも流れている血に、不快感しか抱けない。
冷たい視線に気付いたのだろう。相変わらずつまらなさそうな面持ちで、宇航は告げる。
「藍洙の子よ、よく聞け。土鱗が滅びたとき、他四国、四ツ国も同じく滅べばよかったのだ。父の思念に覆われたこの世は、醜い。そんな姿をさらすことなく、消滅すればよかったものの」
「醜い……? この世界が、醜い」
瞬間、佩芳の脳裏に浮かんだのは、流浪していた頃の記憶だ。
怪しまれて糞尿をかけられ、村人から罵声を浴びた。嘲笑を受けた。疑惑と妬みの視線も感じた。汚泥をすすり、草を食べ、這いつくばって生きていたときを思い出す。
宇航は笑う。優しい眼差しを作って。
「思うところもあるであろ。人も穢れ、立志を持つことなく惰性で生き、堕落しきった島国よ。我はただ、後生の世に恥じぬよう、この国の在り方を憂いて行動するのみ」
「……破壊するのはそれが理由だからですか」
「正確には土鱗の帝として、四ツ国にけじめをつけさせてやろうという親心。慈しみというもの。二百年前の過ちを、今、精算させてやろうというのだからな」
「滅ぼしたあと、あなたはどうするのです」
「一度死ぬ」
きっぱりと言い切る宇航の言葉に、あからさまに眉をひそめた。
「土鱗の復興、と言っていたはず。それは?」
「我が寿命はすでに、ないに等しい。だが」
宇航はこれ以上なく愉快そうに、人差し指を佩芳へと向けて、いう。
「汝がいる。汝の体がある。盤古によって天乃四霊が陰の気をまとえば、汝も死する。死体という抜け殻に、儂の魂を入れれば済むことよ」
「まさか……そのために暁華をここへ」
「聡いな。霊胎姫をわざわざ手にし、土鱗に来たのは汝をおびき寄せるためよ」
らんらんと金の瞳を輝かせ、彼は立ち上がり、両手を広げた。
「儂の魂の器、それになることを光栄に思え。何よりの名誉と。豚との半端者という立場の汝だが、土鱗の帝となれるのだ。感謝してその身を明け渡せ」
「断る」
即断する佩芳に、宇航はくすくすと笑みをこぼした。
「居場所。汝、それを欲するか?」
佩芳は思わずぎくりとする。なぜそれを、と言いかけて、泰然の持っていた暁明鳥の羽が鍵なのだと悟った。
夜の邸店で暁華と話をしていたとき、泰然も少しの間そこにいたという。
声すら宇航に届いているなら。全ての羽が内偵の類いなのだとしたら――
「ならば儂が与えてやろう。ここが、新たな土鱗こそがお前の居場所なのだ」
「断る、といったはず」
力の差に内心で身震いし、しかしそれは一瞬だった。答えは、もう、出ている。
「つまらん男だな」
聞き分けのない子どもを見るような面持ちで肩をすくめ、宇航はふと、片手を石の台座へと向けた。
「起きろ、小娘。早う天乃四霊を呼べ」
拳を作り、暁華の頭を殴る。びくりと体を跳ねさせた彼女は、怯えたようにまぶたを開けた。
「暁華っ」
「は、んほう……」
叫びにだろう、彼女が顔を上げ、一つうめく。
白い瞳は虚ろだ。乾燥した唇が切れ、そこからも血が出ている。
「誰があれと話をしろといった、下郎が」
「きゃっ」
宇航が二つに分かれている髪の房を掴み、暁華のおもてを無理やり上げさせた。
「くる、し……」
「爪を一枚ずつ剥げばいうことを聞くか? それとも肌の皮を剥いでやればいいか?」
「宇航! それ以上彼女に手を出すな!」
思わず駆け出し、髪を掴む手を切り落とそうとした、そのときだ。
背後から微かに殺気がし、横に飛び退く。衣をかすめて、なお勢いを落とさなかったのは、暗がりから投げられた飛刀二本。
まっすぐ狙いを定めた二つの刃は、しかし、宇航には効かなかった。長い袖で打ち払われ、地面に落ちる。
「また邪魔者か」
「この世において邪魔者は貴様の方だろう」
冷ややかな声に佩芳が視線をやれば、全身に血を浴び、それでも凜とこちらへと歩みを進める傑倫の姿があった。
次回更新は11月1日夜の予定です