1-2:問いは胸を穿ち
まだ本調子ではなかったのだろう。顔を上げただけで再び気絶した暁華は佩芳の家に運ばれ、簡易な牀褥で眠っている。
呼吸や脈も元に戻り、軽い擦り傷だけが手にあった。佩芳は目を閉じたままの暁華へ、カンゾウの葉を中心にした軟膏をつける。
ひとしきり治療を終えたのち、近くに椅子を置いて彼女をつぶさに観察してみた。
赤色の披帛を首に巻き、緑色の袍と白い褲、薄紅の裲襠で身を包んでいる。長めの革靴は脱がせて置いておいた。腰には自分と同じく銙の着いた革帯。
どう見ても旅装束だ。王族がお忍びで宮から出てきた、というには粗末すぎる。
それに、と村人が運んでくれた彼女の荷物を横目で見た。
尽きた食料の跡に膨大な貨幣。空の水袋。そして潰れた馬と考えれば、なんらかの理由で金冥の国から出てきたのかもしれない。
だが、公女であるはずの暁華が護衛もつけずに、と疑問があった。
本当に彼女なのかと顔を見て考える。確かに本人だろう。目をつむったときのあどけなさ、幼さは十年前から未だ変わらずに残っている。
立ち上がった佩芳が、手に巻いた包帯を取り替えようとした直後だった。
恐ろしいほどの速度で暁華が目を見開く。彼女は、手を振りほどくくらい勢いよく上体を起こした。
佩芳は固まる。白い瞳が恐怖に満ちているのを確認し、そっと腕を元に戻した。
緊張に似た沈黙が降りる。暁華は我に返ったのか、惚けた顔でこちらを見上げた。
「……佩芳?」
彼女を見下ろし、問いには答えず聞いた。
「どこか痛むところはありますか」
「佩芳。ね、佩芳でしょ? あたし覚えてるよ、佩芳のこと。もしかしてあたしのことは忘れちゃった? 暁華だよ。十年前に……ほら」
怯えが目から消えている。代わりに口をほころばせ、頬を紅潮させて暁華はまくし立ててきた。
佩芳は冷ややかに、もう一度口を開く。
「医者として聞きます。痛むところはありますか」
目をまたたかせ、暁華はようやく身に起きたことを思い出したようにつぶやいた。
「そっか。あたし落馬したんだ……大丈夫、疲れてただけだから。あたしの馬、もうだめだった?」
「残念ながら」
「……楽にしてくれた?」
「村人たちが処置しました。元気になったのならば、荷物を持って飯店に行きなさい」
「どうしてそんなに冷たいの? 十年前のこと、忘れちゃったの?」
佩芳は軽く頭痛がした気がして、額へ指を添えた。
暁華はいつもそうだった。率直に疑問ばかりをぶつけてくる。性質はほとんど変わっていないらしい。
椅子を元の位置に戻し、暁華から背を向けて小瓶を手にする。
「お医者、してるんだ。そうだよね、昔から佩芳は本とか読んでたもんね」
「今回の代金は結構です。早く飯店か邸店の方へ行きなさい」
「……やだ」
素っ気ない言葉を発しても、暁華はかたくなに牀褥から起きようとしない。
こうなったら無視するまでのことだ。手際よく薬の入った瓶を棚へ片付けていく。
「『霊胎姫』って知らない?」
長い無言ののち、重苦しい空気を裂いたのはやはり暁華だった。
放たれた言葉の意味がわからず、つい佩芳は暁華の方を見つめてしまう。
「『霊胎姫』?」
「うん。佩芳は本をよく読んでたから、少しは知ってるんじゃないかって」
「残念ながら聞いたことはありません」
「土鱗の国に伝わる伝承なんだって。あたしね、それを探さないといけないんだ」
土鱗の国――紡がれた単語に体がこわばるのを感じた。
二百年前、四ツ国に滅ぼされた見知らぬ故郷。四ツ国の中央にありながら、他と交流を持たず排他的、敵対的であった国には謎が多い。文献のほとんどにも載らないくらいだ。
「……土鱗の国の伝承を、なぜあなたが知っているのですか」
「王宮にいる賢人……秀英が天啓を得たの。賢人の美玲っていう人の姿と一緒に。あたしはその人、美玲のところにも行かないといけない」
「公女であるあなたがわざわざ?」
「あたしはいらない子だから」
暁華が笑う。どこか寂しげに、はかなく。
愁いのある笑みは見ていて痛々しく、佩芳は思わず顔を背けた。
「美玲っていう賢人も、知らない?」
「聞き及んでいません。……いつまでここにいるつもりなのですか、あなたは」
暁華は何も言わなかった。牀褥から降りる音がする。横目で見ると、彼女は靴を履いている途中だった。
幼い顔立ちを凜とさせ、唇を閉ざした暁華は近くにあった荷物を持つ。
少しだけ悩み、佩芳は口を開いた。
「護衛はいないのですか」
「夢魔が多く出るようになったの、金冥に。あたしに割く兵力なんてどこにもない。ここで護衛も探さなくちゃいけないの」
硬い声音に、そのための貨幣か、と納得がいった。
ついでに窓を見る。外では昼を示す白い光が満ちていた。この時間帯ならば安心だろう。
「ねえ、佩芳」
「……飯店なら湖を通って広場に」
「あなたはどうして、ここにいるの」
一瞬、めまいがした。
十年前にも問われた事柄。しかし同じ言葉でも今の佩芳にとって、彼女の問いは自分の根幹を揺らがせる。
いつも、毎日胸に秘めて隠していたしこり。どこかへの郷愁。寂しさ。焦燥感。そんなものがない交ぜになって動悸がする。
「診てくれてありがとう。佩芳も気が向いたら飯店に来て。あたし、待ってるから」
内心怯える佩芳の後ろで、扉が閉まった音がした。それでも動くことはできない。
(私はなぜ、ここにいるのだろう)
自問に答えはなかった。繰り返し抱いていた疑問に答えを出せるようになったなら、胸を穿つ焦りも消えるのだろうか。今の自分にはわからない。
集めた本の中に答えがあるのなら、どんなに楽だろう。そう、思った。