4-4:はじまりと終わりの音
土鱗の国。他四国に囲まれた、巨大な湖の上に浮かぶ亡国に行くため美玲が使った手は――佩芳たちにとって驚きのものだった。
砂漠宮の中枢、祠堂の中にあったのは『地中を移動するすべ』だったからだ。
「夢魔にも誰にも悟られることなく、今まで砂漠宮の内部を作っておりましたわ。それも全て、ここを地下深くに置き、移動させてきたからこそできたことですの」
なるほど、と佩芳は美玲の言葉に一人納得する。長年、彼女は住人たちを増やすと同時に土鱗の術具や古文書を収集し、ひっそりと内部を改築していったのだろう。
「今は五行の力を強く操れるものが交代で、この宮を動かしておりますわ。もうすぐ着く、と思っていただければ」
「なるほどな、言葉の通り地下を行く、か」
青竜刀の柄で肩を叩く泰然に、美玲は真剣な面持ちでうなずいた。
「本来でしたら、傑倫様と連携を取るべきだと考えていましたの。ですが」
「傑倫が協力するとは思えません。目的が違う」
「こっちは暁華の救出が主だ。あちらさんに混ぜてといっても、はねのけられるのが落ちさ」
「一応、わたくしたちも戦えるもので、精鋭は揃えておりますけれど……」
ちらりと、美玲が祠堂近くの広場を見た。
宮の中央にある広場では、武器を携えた住人が十数名ほど、厳しい顔つきをして待機している。彼らは協力者だ。暁華を救うため、戦うことを決意してくれた。
「私たちは私たち。帝に媚びへつらう必要はありません。あとは、作戦どおりに」
佩芳がいえば、美玲は重い嘆息を漏らした。
作戦とは、こうだ。
傑倫たち金冥の兵士と夢魔の攻防にまぎれ、佩芳らは隙を見て砂漠宮から土鱗に降り立つ。その後、美玲の号令と共に砂漠宮を地下へと避難させる。それだけだ。
さすがの佩芳も土鱗の国の内部は知らない。地図もない。戦いながら暁華と宇航を見つけるためには、金冥の兵士を利用するしかなかった。
美玲は当初、佩芳たちと共に戦うことを望んでいたが、砂漠宮がなくなれば撤退もままならない。彼女の指示は不可欠だ。ゆえに後方支援となった。
「どうかご無事で。ご武運をお祈りしてますの」
「安心しろって。お前さんを抱くまで死なないから」
「なっ……」
真面目な美玲の顔つきが、一気に朱に染まる。
視線を逸らし、何やらもごもごと呟く彼女をよそに、佩芳は革帯に差した環首刀へ手をかけた。
そのとき。
「美玲様! 水の気が多くなりました!」
紅翼が祠堂から出てくる。佩芳たちはうなずき合った。
「傑倫様に一報を。戦う準備をして下さい、皆様」
美玲の声に、揃った住人たちが各々、武具の確認をする。紅翼は傑倫たちがいる、大樹側の入口へと走っていった。
「ここからわたくしは支援に回ります。泰然様の指示をよく聞き、行動して下さいませ」
住人たちは凜々しい顔で首肯する。
「何か一言、彼らに声をかけてはどうですか」
「柄にもないことさせるなよ」
佩芳がいえば、泰然は苦笑しつつ頭を掻いた。
「そうだな。一つあるとすりゃあ」
一斉に、準備を整えた面々が泰然を見る。自分たちの主人だといわんがばかりの眼で。
「……オレたちは別に、四ツ国を救おうとしているわけじゃない。暁華が『霊胎姫』だから。夜霧を晴らすことができるから。そんな理由であいつを助けようとは、してない」
円陣になった彼らを見渡し、淡々と語る。
「余計な正義感なんて捨てろ。英雄気取りもやめろ。この戦いは、オレたち二人のわがままだ」
「わかってますよ、泰然さん」
一人がいう。まだ若い、弩を持った青年だ。
「佩芳さんと暁華さんに、母の腰をよく診てもらいました。世話になった。その礼を返すだけです」
「火傷のときも助かったね。爺さんの話し相手にも、暁華ちゃんはなってくれてたな」
「うちのかみさんもさ。ことあるごとに二人を見習え、の一点張りで」
こぞって声を上げて笑う彼らに、佩芳は思わず目をまたたかせた。
自分たちを気にかけてくれる人がいる。行いに、恩義を感じてくれた人がいる。
それは今までに感じたことのない、新たな温もりとなって胸に染み渡った。
「ありがとう、皆さん」
温かさを噛み締め、頭を深々と下げる。泰然がにやりと笑い、肘で腕をつついてきた。二人で顔を見合わせ、微笑する。
直後、美玲が大きく手を鳴らした。
「これから宮を浮上させますわ。皆々様、どうかご武運を」
全員が首肯する。佩芳は見た。全員のおもてにあるのは仔静が抱いていたような諦めではなく、必ず生きて帰るという気概だ。
「金冥側、準備ができたそうです!」
紅翼の大声をかき消すように、背後では兵士たちが歓声を上げている。雄叫びにも近い大勢の声は、砂漠宮の空気をびりびりと震わせた。
「……砂漠宮、土鱗へ浮上!」
美玲の言葉と共に祠堂が輝く。
赤、青、黄、白、黒。色とりどりの光が螺旋を描き、壁や天井に描かれた蛇模様を照らした。途端、胃を持ち上げるような浮遊感が佩芳の体を襲う。
不思議なことに轟音はしなかった。揺れも少ない。
佩芳は後ろを見た。歩人甲を着こんだ騎馬兵に守られ、中央で上を睨みつけている傑倫がいる。
天井から砂の粒がこぼれた。金冥の軍が乗る巨大な石垣、それが迫り上がっていく。蛇のごとき模様がまたたいて、上部の中央が勢いよく開いた。
開け放たれた空に浮かぶは、夜霧――
「光源士、光を灯せ。出るぞ!」
傑倫が攻勢をかける。斥候は使っていられない。いつ暁明鳥が、夢魔が、砂漠宮に入ってくるかわからないためだ。
光源士たちが灯す明かり。白いまたたきはまるで光の渦だった。渦に囲まれ、傑倫たち本軍も砂漠宮から飛び出していく。一度も、佩芳たちを見ることはない。
「オレたちはもう一つ、別の道から行く。それでいいな? 佩芳」
「ええ、構いません。そちらの方が相手の虚を突くことができると思いますから」
佩芳は泰然にいい、美玲へうなずく。彼女は声を張り上げた。
「入口を閉鎖して下さいませ」
剣戟の音が遠くから聞こえる。光源士の灯す明かりが、夜霧をむしばむように強く輝いた。夢魔たちの唸り声、人の咆哮と悲鳴。
それらを見聞きしながらなお、美玲は臆すことなく非情な命令を下した。
天井が閉まり、何もが聞こえなくなる。次は佩芳たちの番だ。
「んじゃ、行くか。いいか、四人一組になって行動しろ」
「おう!」
頼もしい応答と共に、佩芳一派は駆け出した。目指すは入口横にある運搬用の出入り口だ。美玲の術によってだろう。通路に張りついていた木の根が次々と、上下へ姿を消していく。
細かな彫刻が施された木造の門。それもまた、左右にゆっくりと開いていった。
その先に満ちるのは、夜だ。心なしか夜霧の濃さが強いように佩芳は感じた。
だが、躊躇せずに走り続ける。交戦の音が響いてきてもなお、怖れることがないように。