表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/35

4-3:呪われた身なれば

 佩芳(はんほう)の家から少し遠くで、兵士たちの歓声が聞こえる。あてがわれた部屋の中、休息をとりつつ傑倫(けつりん)の鼓舞に耳を傾けているのだろう。砂漠宮の住人たちも兵や馬に食事を持っていったりと、せわしない様子を見せていた。


 美玲(みれい)の取りなしで傑倫(けつりん)はすぐさま宇航(うこう)の下、土鱗(どりん)へと出陣するのをやめた。彼女いわく、通常馬でも三日はかかる距離の土鱗(どりん)まで、今いる場所から半日で行くことが可能らしい。


 決戦は明日。一般的に、光源士(こうげんし)が藍色の光から朝を示す橙の光に変える頃を見計らって、移動を開始するという。


美玲(みれい)を疑うわけではないが、どのような秘策があるというのか)


 佩芳(はんほう)は、紅翼(こうよく)が持ってきてくれた食事に軽く手をつけたのち、鞄から取り出した短刀を眺めて思案する。自分の顔が、欠けた刃の表面に映っていた。


 寂しそうなおもてだ。事実、胸に穴が開いた気分に苛まれている。


 いつもなら、すぐ側に笑ってくれる暁華(ぎょうか)がいた。表情を変え、一日何があったかを面白おかしく話してくれる彼女がいた。だが、今はただとてももの悲しい。


 暁華(ぎょうか)がいないだけで心が苦しかった。長年孤独と共に生きてきて、独りには慣れていたはずだ。だというのに、彼女の存在はすでに佩芳(はんほう)にとって、欠かせないものとなっている。


「寄る辺」


 一階のがらんとした室内に、自分の声だけが大きい。


 傑倫(けつりん)に述べたこと、彼女が佩芳(はんほう)の心の拠り所となっているのは事実だ。暁華(ぎょうか)がいるならどこへだって行ける。誰もいない森の奥だろうと、深い川の中だろうと、夜霧(よぎり)の中だろうと。


 だからこそ彼女を救いたい。暁華(ぎょうか)と共にありたい。否、命を落としても愛しい彼女だけには、どうか微笑んでいてほしい。


 なのに、手が震える。無意識のうちに死を怖れている自分がいた。


「……この短刀は媒体になり得ないか」


 嘆息し、刀を机の脇に置く。


 光の術を使うには精神力と体力、そして天乃四霊(てんのしれい)をかたどった刀環(とうかん)つきの刀剣が必要だ。来訪した兵から借りようか、とも考えたが、呪痕士(じゅこんし)である自分はきっと忌避されているだろう。傑倫(けつりん)が許可を出すとも思えない。


 寝る前に美玲(みれい)の下へ行き、媒体となるものを貸してもらうべきか――そう思い、椅子から立ち上がったときだ。


 控えめに扉を叩く音がした。


佩芳(はんほう)兄ちゃん、おれ。(おん)

(おん)?」


 届いた声にいぶかしむ。今は夜更けだ。こんな時間に子どもがなんの用で来たのだろう。


 近付き、扉を開けると、布の包みを持った(おん)がこちらを見上げていた。


「どうしたのですか。どなたか急患ですか?」

「違う。渡すものがあって」


 言って、彼は包みを捧げるように押し出してくる。


「これは……」


 黄色い布を開き、目を見張った。刃渡り約一尺はある環首刀(かんしゅとう)だ。


 金色をした円形の刀環(とうかん)には麒麟が精緻に彫られており、まっすぐとした刃部分には欠けすらない。柄には獣皮が巻かれている。


 確かこれは、宇航(うこう)が水晶を砕いた際に使ったものではないだろうか。


「なぜこんなものを持っているのです」

「おれ、鍛冶屋の師匠に世話になってるんだ。その師匠が拾ってて。最初はあの赤毛にやろうと思ったけど、なんかやだから佩芳(はんほう)兄ちゃんへ渡しに来た」

「あなたは泰然(ほうぜん)のことが嫌いですか?」


 泰然(ほうぜん)のことを未だ『赤毛』と呼ぶ(おん)に、つい苦笑が漏れた。


 (おん)は難しい顔をしつつ、そばかすのできた鼻をひくりと動かしながら口を開く。


佩芳(はんほう)兄ちゃんや暁華(ぎょうか)姉ちゃんのことは、好きだよ。暁華(ぎょうか)姉ちゃんは怒ると怖いけど。でも、いつも遊び相手にもなってくれた。赤毛は……美玲(みれい)様を苦しめてるから」

(おん)。私も以前は暁華(ぎょうか)に辛く当たっていたのです。あなたももう少し大人になればわかりますよ。苦しさや辛さ、その裏にあるものが」

「……そうかな」


 唇を噛みしめる(おん)へ、佩芳(はんほう)は腰をかがめて頭を撫でた。(おん)の瞳には涙が溜まっている。


佩芳(はんほう)兄ちゃんも戦に出るんだろ? 暁華(ぎょうか)姉ちゃん……無事かな」

「必ず救い出します。そのためにこの刀剣は使いましょう。ありがとう、(おん)

「ん」


 乱雑に服の袖で顔をぬぐい、少年は無理やりにだろう、それでも笑った。


「もう夜も遅い。家へ戻りなさい」

「わかった。お休み、佩芳(はんほう)兄ちゃん」


 うなずけば、(おん)はネズミのようなすばしっこさで住宅区の方へと戻っていく。


「行ったか、あいつ」


 (おん)の背中が消えたと同時に、聞き慣れた声が響いた。横を見ると、いつの間に隠れていたのだろうか。泰然(ほうぜん)が建物の影から姿を現す。


「あなたも(おん)とは顔を合わせたくないようですね」

「別にそんなんじゃないけどな。……少し飲まないか。老酒(ラオチュウ)がある」

「構いません。どうぞ、中へ」


 小さな酒壺を掲げた泰然(ほうぜん)へ苦笑を浮かべ、自宅へと案内した。


 彼は自分と同じく普段着だ。服の合間からは包帯が覗いている。


「体の方はどうですか」

「青竜刀をぶん回してもいいくらいに回復してる。あんたの薬、よく効くな」

「無茶はなさらず。……次の戦では、私は医者として参加はしないつもりですから」


 青銅の酒器を二つ用意し、椅子に座った泰然(ほうぜん)の前に置いた。正面に腰かける。(おん)からもらった環首刀(かんしゅとう)を机の端に載せれば、酒を注ぐ泰然(ほうぜん)が目を細めた。


「人を殺したこと、あるか」

「いいえ。私は医者です。救うことはあっても、殺害したことはこれまでにない」

「刀剣の使い方に慣れてるってわけでもなさそうだな。策は?」


 佩芳(はんほう)は何も答えず、酒器を傾けて琥珀色の液体を嚥下した。独特の香りが鼻を突き抜ける。


「策というほどでもないですが、私にはまだ、五十年分の寿命がありますので」

「相打ちで死ぬ気か」

「死は、身近なものだと思っていました。どこへ行ってもまとわりつく影と同じようなものだと。正直なところ、あなたたちと旅をしているときも、犠牲になることすら考えていた」


 眉をひそめる泰然(ほうぜん)に、器を手でもてあそびながら苦い笑みをこぼした。


「ですが今は……少しばかり、恐ろしい。宇航(うこう)を殺すことにためらいはありません。暁華(ぎょうか)を救うためならば、とも思う。それでも私が死に、彼女の記憶からいなくなると考えると」

「共に生き共に死ぬ。そりゃ立派な恋で、愛だ。そんな二つを抱いてるなら死を怖れるのは当然のことだろうさ。あんたはようやく、今を生きはじめてるってところだろうな」


 笑いつつ、泰然(ほうぜん)は豪快に酒をあおる。


 二杯目を注いでもらい、佩芳(はんほう)は少しばかり考えた。


 生きていたい。暁華(ぎょうか)を無事に救い、彼女と共にありたい。死への恐怖を呼び起こすまでの思いはとどまることを知らなかった。


「……あなたはどうなのです。美玲(みれい)とは、上手く?」


 胸を穿つ気持ちを抑え、話を変えれば、彼は声を大きくして笑う。


「ああ。やっぱりあんたの言うとおりだった。オレを巻き込みたくないから逃げたんだと。笑わせるよな。オレがどれだけあいつを好きかわかっちゃいないんだ」

「彼女もあなたに好意を寄せているようですが」

「ん。だからこの戦が終わったあとは、とっととオレに抱かれろって言っといた」

「心の準備をさせないのですね」

「十分させてたさ、今まで。夜這いしないだけ理性を保ってるだろ?」


 にやりと口の端をつり上げる泰然(ほうぜん)に、曖昧な笑みを返す。同時に思った。もしかすれば、彼は美玲(みれい)の下に行くことを我慢するため、自分の家へおもむいたのではないかと。


 それでも構わない。泰然(ほうぜん)と話すことで気持ちが幾分か落ち着いた。手の震えも収まっている。男同士、腹を割って会話するのもいいものだ。


「ところで(さかな)、ないか?」

「余りものですが、干し肉と蓴菜(ジュンサイ)の酢漬けがあります。それで我慢して下さい」


 辺りを見渡す泰然(ほうぜん)の言葉に、佩芳(はんほう)は立ち上がって庖厨(ほうちゅう)側の戸棚を開いた。紅翼(こうよく)が持ってきてくれたものだが、ほとんど手をつけてはいない。


 皿を出すと、遠慮なく羊の干し肉を指でつまんだ泰然(ほうぜん)が、再び笑った。


「今日は朝まで付き合えよ、佩芳(はんほう)

「ええ。老酒(ラオチュウ)で酔うほどやわではありませんので」

「言ったな」


 三杯目の酒を注いでもらい、二人で酒器を傾ける。美味いと感じると同時に、虚しさが少し緩和されているようだ。


 ここに暁華(ぎょうか)がいたなら、どんなに幸せだろうか。


 幸福のため、命を賭けること。二人で生死を共にすること。その二つの感情を得て、今、はじめて自分は生きている。なかったはずの生への執着。愛。思い。ひりつくような酒精に似た感覚は、士気を高揚させるに充分すぎた。


(必ずあなたを取り戻す。どうか無事で、暁華(ぎょうか)


 ここにいない愛しい存在のおもてを脳裏に浮かべながら、机の脇にある環首刀(かんしゅとう)を見る。


 獣脂の明かりにきらめくそれを握り、振りかざす自分を想像してみた。光の術を使う姿も。医者をしているときよりも遙かにしっくりきて、酒器で隠れた唇を歪めた。


 呪われた生まれの自分には、きっとふさわしい行為だ。人を、親類を殺すという事柄は。


 ――刀は心中の思いに答えず、ただ静かに輝いている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ