4-2:策ありて
すねを縛った白い幅広の大袑、金糸で複雑な模様が描かれた赤地の罽袍という出で立ちの帝――傑倫の顔は、少しほてっている。まだ熱が完全に下がっていないのだろう。
彼は笑うこともせず、室内にいた佩芳たちを冷ややかな目線で貫く。
「金冥に幸をもたらさないのならば、もうあれに用はない。どのみち虚ろ子という存在だ。生き残れば国の恥にもなる」
あまりにも非道な言い草に、佩芳は薄く笑った。嘲りを込めた笑みが自然と浮かぶ。
「毒でも盛って殺しておけばよかった」
「無理だな。薬も茶も、食事も毒味をさせている」
壁に寄りかかり、こともなげに言う傑倫に胃のむかつきを覚えた。帝という立場だ、当然の行いなのだろうが実に腹立たしい。
傑倫が大きく溜息をつく。何に嘆いているのか、佩芳は知らないが。
「あの宇航という存在に体を乗っ取られ、半年。どうやら最初からあれに目をつけていたようだ。おかげでまつりごとも疎かになり、今は国中の民が苦しんでいる。全てがあれのせいだと思えば苛立ちも募るというもの」
「性格の悪さは昔から変わらずのようですね、金冥の帝。少なくとも暁華は、あなたがあれ呼ばわりする人間は、『霊胎姫』としてみなを救おうと決意していました。その部分は帝たるあなたと何も変わらない」
「暁華様が?」
美玲に首肯する。銀色の瞳を軽く見開いたのは、傑倫だ。
「金冥に戻るためでもない。自らの寄る辺のためにという私情ではなく、ただ、誰もを思う優しい心が暁華にはあった。彼女を殺そうとするのであれば、今ここで……」
「知っている」
はじめて、少しばかり声を震わせた傑倫が天を仰ぐ。
「あれは優しすぎる。王族として甘すぎた。お前を禁忌の宮から出そうと父にかけあっていたことすらあるのだ。その事実、兄の自分が知らずと思ったか」
顔をしかめ、再び佩芳を見つめる傑倫の言葉につい、口をつぐんだ。
「帝どの、本当に暁華を殺すのか? 宇航を止められるなら、そっちでもいいだろうさ。元凶はわかってる。なら、大元を叩くべきだとオレは思うんだがな」
「傑倫、あなたがどういう行動に出ようと私は暁華を救います。宇航を止める手立て、それがあるのでしょう? 美玲」
「……はい。可能性はまだございますの」
チッ、と小さく舌打ちをする傑倫は、それ以上反論することをしなかった。無言になった彼をさておき、美玲がまた、佩芳と泰然の二人を見渡す。
「五行に属さない術が、まだ四ツ国では使われていますの。当然のように」
「そんなもんあったか? 普通に痕術を使うだろ、一般的には」
赤毛の頭を掻く泰然は、疑問で首を傾げていた。だが、佩芳にはわかる。
日常の中、溶けこむようにしてある存在。しかし五行のどれでもないもの。それは――
「光。光源士ですね」
「さすがですわ、佩芳様。そのとおりですの。刀剣を媒体に、自らの命を削っては輝くもの。この術だけはどの五行でもありませんわ。それが切り札となりますの」
「言われたら確かにそうだな。光ってのはどういう理屈で使えるもんなんだ?」
「土鱗の古文書には『光は呪い』とありましたわ。古代、土鱗の国では禁忌とされた術だとか。王族の中でも使えるものがいたそうですけれど、寿命を縮めることから禁術とされましたの。四ツ国に散らばった古人たちの血を引くものこそ、今の光源士と考えれば」
「光の術が切り札と言うのは、具体的にどのようなものなのですか」
「……あの宇航という方が土鱗の王族ならば、術の媒体である刀剣を体に押し込み、共に光となること。それで命を削ることが可能だと推測できますの。ただ、生半可な使い手では……」
「宇航は現在、二百歳程度だと考えられます。ぎりぎりで生きている。削りきることも不可能ではない」
美玲の説明に、佩芳は顎に指を当てた。
光ならば、自分も扱うことが可能だ。媒体がなかったために今まで試したことはないが、ちょうど持て余していた余命がここで役立つとは思わなかった。
例え死しても。宇航と相打ちになろうとも、暁華を救う。改めて決意し、唇を開いたときだ。
「秀英、これがわかっていたな」
ふと傑倫がつぶやいた。視線をやると、相変わらず壁に背を預けたまま、苦々しい顔をした彼と目が合う。
「……金冥の賢人は、帝である自分にたてついても光源士を多く連れていけ、と言った。宇航はそれを嫌悪していたようだが、砂漠が目的ならば連れて行かぬわけにもいかなかった。怪しまれぬように、と賢人の言葉を受け入れたのがやつの間違いだったな」
「傑倫」
「賢人、秀英がどこまで天啓を得ていたのかは知らん。だが、連れてきた兵の大半は光源士だ」
「戦う気があるのか、帝どの。暁華を救うために」
「それはまた別だ。だが、やつを倒せば金冥の名は上がるだろう。それに、あれを助けたいと思う間抜けはそこにいる」
「あなたの目的は宇航。私の目的は暁華。利害が一致しましたね」
再び舌打ちし、渋々といった様子で傑倫がうなずいた。
「一つ聞く、呪痕士。お前はあれと遠い血縁。あれと自分の曾祖叔父の息子に当たるのがお前だ。お前にとってあれは、なんだ」
傑倫の問いに佩芳は微笑む。暁華の笑顔を思い出し、優しい笑みが浮かんだ。
「大切な寄る辺です。誰よりも、何よりも守りたい私の拠り所」
対する応えはなかった。ただ、先程とは違い呆けたような傑倫の表情は、どこか大切な彼女を連想させた。それもすぐに、苦み走ったおもてへと様変わりしたが。
衣の袖を大きくひるがえし、傑倫が一歩大きく踏み出した。扉へと向かって歩き出す。
「帝どの、どこへ行かれる」
「宇航を討ちに」
「お待ちを、傑倫様。この聳木、シゴウ砂漠から中央の土鱗までは距離がありますわ。兵士様方を疲労させては元も子もございませんの」
「……それに対する方法すら、美玲、お前は手に入れているというのか」
傑倫は首だけで佩芳たちの方を見る。忌々しい、と言いたげに。
美玲は傑倫に答えず、佩芳と泰然を見て微笑んだ。ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「わたくしとて、無駄に土鱗の術具を使っているわけではありませんわ。上から攻め入っても夢魔が多く出るはずですの。消耗は避けたい、そうお思いでは?」
「なんか方法があるってのか?」
「上から行けないのならば、地下を通るだけのことですの」
意味ありげに笑う美玲を見て、佩芳は泰然と顔を見合わせた。