表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/35

4-1:暗澹なる怒り

 泰然(ほうぜん)は打撲程度で軽傷だった。体を乗っ取られていた傑倫(けつりん)は、数十刻の間熱を出していたが、今は話せる程度には回復している。他の住民にもほとんど被害は出なかった。


 宇航(うこう)が連れていた、騙していた金冥(きんめい)の兵士たちも無事だ。砂漠宮(さばくぐう)へと彼らを呼んだのは、美玲(みれい)の指示でもある。ここにはどうやら秘密の通路があるらしい。そこを通り、住人たちは出入りをしていると説明を受けた。


「悪い」


 薬を渡しに美玲(みれい)の部屋までおもむいた佩芳(はんほう)へ、牀褥(しょうじょく)に寝ていた泰然(ほうぜん)が謝罪してくる。


「話は美玲(みれい)から聞いてる。オレがもっと強かったら」


 佩芳(はんほう)は何も言わず、粉薬が入った包みを台へと載せた。


暁華(ぎょうか)、さらわれたんだな」


 泰然(ほうぜん)のささやきに、指が一瞬、ぴくりと動く。


 鬱屈とした気持ちになった。どうにもできなかった無力感。宇航(うこう)を前にして、やすやすと暁華(ぎょうか)を連れ去られた事実。怒りと嘆き、絶望がない交ぜになって自分の胸を穿つ。


「あいつは何なんだ? あんたの知り合いか」

「……土鱗(どりん)の国の王族、宇航(うこう)。私の叔父に当たる男。まさか生きているとは思いませんでした」


 吐息に獣脂の灯りが揺れる。火が消えかけていたのに気付き、つぶやきで再び炎を灯した。


「やっぱ強いな。暁明鳥(ぎょうめいちょう)を操る真似までするなんて、どの五行にも属さない。不思議な力ってやつか。あいつは何をもくろんでる?」

「滅びを待て、とまでは言い放ちましたが、具体的にはわかりません」


 泰然(ほうぜん)が唸るように口をつぐみ、会話をやめた。


 何も考えたくはない、と佩芳(はんほう)は思う。こうして医者としての務めを果たしているのは、動いている方が楽だからだ。手を動かし、病人たちの元へ足を運ぶことで思考を放棄している。


「薬は一日に三回。その分をまとめておきました」

「あんた、このままでいいのか?」


 泰然(ほうぜん)の疑問に何も言わない。言えない。話すことすら億劫で、体が重かった。


「もしかしたら暁華(ぎょうか)が死ぬかもしれないんだぞ」

「そんなことはわかっています!」


 苛立ち混じりの大声が出た。泰然(ほうぜん)の方を向き、どうにもならない気持ちをぶちまける。


「私に何ができると? 半端な力しか、痕術(こんじゅつ)しか使えない私に、暁華(ぎょうか)が救えると思いますか。宇航(うこう)の力はあなたも知っているでしょう。私は、私には彼女を助ける手立てもない……!」

佩芳(はんほう)


 痛ましい顔で泰然(ほうぜん)が目を細めた。それすら不愉快に感じ、佩芳(はんほう)は机を拳で叩く。


「何が呪痕士(じゅこんし)だ。例え痕術(こんじゅつ)を使えたところで宇航(うこう)には通じない。彼らがどこへ行ったのかもわからない。助けたいのに、暁華(ぎょうか)を救いたいのに!」


 唇を強く噛み、肩で息をする。ここまであけすけに怒気を表したのは、久方ぶりだ。


 悔しかった。虚しかった。今の自分はただの男だ。慕情を抱いた女も守れない、無力な男。


「少し安心した」


 唐突に泰然(ほうぜん)は言う。意味がわからず、ただ彼を睨みつければ、彼が上体を起こし苦笑を浮かべているのが見えた。


「あんた、ちゃんと人間なんだって思ってな。最初会ったときはこう……生きた氷みたいな感じがしたからさ」

「……だとすれば、私を変えたのは暁華(ぎょうか)です」

「そうだな。あんたが諦めなきゃきっと暁華(ぎょうか)は救える。だろ、美玲(みれい)

「わ、わたくしがいること、わかってましたの?」


 扉が開き、赤い顔をした美玲(みれい)が部屋へ入ってくる。彼女の手には包帯があり、どこか落ち着かない様子だ。


「別に、泰然(ほうぜん)様が気になったというわけではないのですわ。佩芳(はんほう)様がいらっしゃると聞いて」

「へいへい。照れなくてもいいっての」

「照れてません。あ、あなたの心配なんてしてないのですわ」

美玲(みれい)


 うつむいたまま包帯を机に置き、爪先を鳴らす美玲(みれい)に、佩芳(はんほう)は口を開いた。


「あるのですか、暁華(ぎょうか)を救う手立てが。あるならば教えを請いたい」

「……まだ、佩芳(はんほう)様に話してないこともございます。望むのであらば、全てお話しますの。わたくしが知ったこと、知ること、その全貌を」


 ただうなずいた。真実を得て暁華(ぎょうか)を助けられるならば――そう思いつつ。


 美玲(みれい)が近くの本棚から本を取り出した。古文書ではなく、糸で綴じられた素朴な書物を。


 椅子を勧められて腰かける。泰然(ほうぜん)牀褥(しょうじょく)から起き上がり、話を聞く体勢をとっていた。


「これは日記ですの。わたくしに降りた天啓と、土鱗(どりん)の伝承をまとめてますわ」

「あなたがはじめて天啓を得たのは?」

「十歳のときですの。怖いほどにおぞましく、怨鎖に満ちた思念は、どの賢人にたずねても覚えがないらしく……そこで思ったのです。わたくしが読み取ったものこそ、夜霧(よぎり)の本性ではないかと」

「確か前、『霊胎姫(れいたいき)』の話をしたときに言いかけてたな、お前さん。夜霧(よぎり)は何か、って」


 泰然(ほうぜん)の言葉に、美玲(みれい)は辛そうに瞳を伏せる。


夜霧(よぎり)の正体は……四ツ国(よつくに)の面々によって殺された土鱗(どりん)(みかど)連杰(れんちえ)ですわ」


 ぽつりとささやかれた単語に、佩芳(はんほう)はつい、けわしい目付きとなった。


 母の藍洙(らんしゅ)からも聞いたことのない名前だ。だが、連杰(れんちえ)という存在が(みかど)であるとするなら、その存在、夜霧(よぎり)はすなわち自分の祖父ということになる。


 ぞっとし、二の腕をさするこちらを見つめて美玲(みれい)は続けた。


「表の歴史から抹消された名前。存在をなきものとされたもの。誰にも知られず消えていった(みかど)は、四ツ国(よつくに)全てを憎んでいますの。夢魔(むま)を産み出すのも、この島全てを滅ぼすため」

「……仔静(しせい)は言いました。天啓を口にしたものを夢魔(むま)は殺しにくる、と。賢人たちになぜ天啓が降りるのですか? 自らの正体をさらすような真似を、なぜ」

「存在の認知。夜霧(よぎり)にはもう、恨みや怒りしかありませんの。忘れられたくない、わたくしたちへ忘れてはならないと知らしめるため、自分のことを思い出させているのだと思いますわ」

「それでいて口にしたやつは殺す、か。矛盾してるな」

夜霧(よぎり)に理性はありませんの。無作為とした怨念ほど、恐ろしいものはありませんわ」


 嘆息する泰然(ほうぜん)に、美玲(みれい)は小さくかぶりを振るだけだ。


宇航(うこう)は滅び、そして土鱗(どりん)の再興を待て、と言いましたが……暁華(ぎょうか)を使って何をしようとしていると思いますか」

土鱗(どりん)の伝承を紐解くと、夢魔(むま)の元になった物体がありますの。名は、盤古(ばんこ)。混沌の源となった存在。天乃四霊(てんのしれい)を呼び起こし、盤古(ばんこ)と呼ばれたそれにより陰の気をまとわせる。すなわち土麟(どりん)の国で四霊(しれい)を闇におとしめ、(こん)を持つ全ての人々の無力化をたくらんでいるのかと」

盤古(ばんこ)、ねぇ。それも中央大陸から持ってきたってやつか?」

土鱗(どりん)の古人たちによれば、崇拝の対象だったようですけれど。詳しいところまでは」


 美玲(みれい)の説明を聞き、佩芳(はんほう)は目をつむる。


 夜霧(よぎり)が祖父、連杰(れんちえ)であることはどうでもよかった。正直、見知らぬ(みかど)に思いを馳せるには余裕がない。頭の中は暁華(ぎょうか)でいっぱいだった。唯一まともに自分を見てくれた、温もりをくれた娘のことしか考えられないのだ。


暁華(ぎょうか)は、天乃四霊(てんのしれい)を呼び出す方法をあなたから聞いているのでしょうね」

「古文書を見せてしまいましたの。書かれたものを読んだなら……理解していると思いますわ」


 申し訳なさそうにつぶやく美玲(みれい)を、まぶたを開けて見つめた。


 彼女を責める気は毛頭ない。問題は、ただ一つ。


「私でも、宇航(うこう)のたくらみを阻止することは叶いますか」


 宇航(うこう)を止め、暁華(ぎょうか)を救い出す手立てがあるか。それが一番の懸念であり、疑問だった。


 美玲(みれい)は問いにうなずき、日記を数枚めくる。


「一つだけ、もしかすれば、と考えることがありますの」

「それは一体」


 佩芳(はんほう)が思わず身を乗り出したときだった。


「無駄な議論は不要だ」


 無作法に扉が開き、冷徹なほど強張った声が部屋に響く。靴を鳴らし、入ってきたのは――


「あれを殺せば問題ない。宇航(うこう)とやらのたくらみも叶うことはないのだから」

「……傑倫(けつりん)


 苦い顔つきをした、金冥(きんめい)(みかど)だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ