3-7:突然の来訪
暁華と熱く心身を重ね、およそ二の月が過ぎた。
佩芳は頃合いを見て砂漠宮の住民へ出自を話したが、美玲から聞いていたのだろう、誰もがすんなりと理解してくれた。暁華が虚ろ子だということも含め、全てを。
しかし非難されるどころか医者の知識を買われ、今では住人たちを診療する立場にある。
今日も「腰が痛い」と嘆くものや「火傷をした」と駆けこんできたものに薬を与え、話を聞き、一息ついたところだ。
「お疲れ様、佩芳。お茶入れたよ」
「ありがとう、暁華」
一階から上がってきた暁華が、白茶を机へと置く。灰色の裳に足を引っかけることも、ほとんどなくなったようだ。
彼女は現在、助手だった。患者の病状を確認したり、食事や洗濯、身の回りのことの世話など、公私ともに佩芳を支えてくれている。
暁華へ薄く笑み、佩芳は茶を静かに飲んだ。向かい合わせに暁華が腰かける。
「今日はね、ここの人たちが物資を調達しに行くんだって」
「外に出るということですか?」
「そうみたい。どこから外出するかはわかんないけど」
同じく茶を啜る暁華に、ふむ、とうなる。
砂漠宮にはまだ謎が多い。
確かに根菜などは畑でもとれるだろう。しかし、たまに住人たちが礼として分けてくれる羊肉などの類いが、どこから来るか不明だ。美玲にそれとなく聞いたこともあるが、微笑みでごまかされた。
「謎を探りたい気もありますが、下手をして不機嫌になられるのは怖いですね」
「佩芳にも怖いものってあるんだ」
「ええ。あなたを抱くときも傷付けていないか、未だ恐ろしいです」
「す、凄いこと言うよね、佩芳ってたまに」
顔を真っ赤にさせた暁華がうつむく。だが、佩芳は本当のことを言ったまでだ。
彼女の苦しむ顔、翳りのある表情はもう見たくない。自分のすぐ側で笑っていてほしい――そう感じ、砂漠宮で医者をすることを頼まれたときもすぐに承諾したのは、ここが安らぎの地だと無意識下で思っているからなのか。
少なくとも、ここを生涯の寄る辺としたいという考えはある。誰もが自分を受け止めてくれる、愛しいもののいる場所で、穏やかに過ごしたいと。
「……あのね、佩芳」
「なんでしょうか」
陶器を置き、暁華をうながす。真剣な眼差しで彼女がこちらへ視線をやった。
「あたし、このままじゃいけないと思うんだ」
「なぜ?」
「だってあたしが『霊胎姫』なら、四ツ国で苦しむ人を助けられるよね? なら、天乃四霊を呼ばないといけないかなって」
「それは……」
放たれた言葉に、佩芳は口ごもる。
「あたしね、読めるの。美玲の持ってる古文書……文字は全然知らないけど、なんか、読めちゃうんだ。美玲に言わせたら、それが選ばれた虚ろ子、ようするに『霊胎姫』の証なんだって」
沈黙が降りた。自分の嘆息が大きく聞こえる。
確かに暁華は美玲のところへ、薬草などをもらいに使いとしておもむいていた。きっとその際に古文書を見せてもらったのだろう。
「本当にみなを救いたいと思っているのですか」
やや厳しい声音でたずねる。
自分はともかく、暁華のこれまでの扱いを考えれば、憎しみを胸に宿してもおかしくない。利用されるものとして生かされてきたことを、辱められたことを、そう簡単に消化できるとは思えなかった。
彼女は苦笑する。肩をすくめるように背筋を丸めた。
「みんな、じゃないよ。佩芳とか、泰然とか美玲とか……ここの人たちのことを考えたの。国のことなんてどうでもいいんだ。今でも恨んだりしてるし。でもあたし、貪欲だから。佩芳の幸せとあたしの幸せが被されば、それが一番じゃない?」
「私の幸せは、四ツ国にはありません」
「じゃあ、佩芳の幸せって何?」
身を乗り出した暁華の問いに、少し首を傾げて考えたときだ。
「おーい、佩芳。いるか?」
一階から泰然の声が聞こえた。佩芳は背後の扉へ振り向く。
「あたしもいるよ」
「お前さんもか……まあいい、二人とも、ちょっくら降りてきてくれないか」
佩芳は暁華と顔を見合わせた。まるで彼女がいるとまずい、というような口ぶりだ。泰然も二人で暮らしていることを知っているのだが、何があったというのだろう。
「また美玲のことかな? 顔を合わせてくれないって愚痴かも」
「どうでしょう。少々違うような気もしますが」
「行ってみよっか。なんか深刻そうだしね」
うなずき、二階の診療所から一階へと降りる。居間へと様変わりした空間には、旅装束に身を包み、青竜刀を担いだ泰然が立っていた。
「どうしたの、泰然。そんな格好しちゃって」
「外に行く連中の護衛ってとこだ。お前さんたちはすっかり所帯じみてるな」
「からかわないでよ。で? 今日はなんの用?」
「ちょっと、な」
彼はどこか悩んだようにこちらを見た。とても真剣な顔つきで。
「問題でもありましたか」
「砂漠上に、金冥の連中がいる。傑倫もだ」
「え……っ」
声を固くしたのは誰でもなく、暁華だ。彼女は一瞬の間ののち体を震わせはじめた。
「兄様が? なんで……なんで?」
「見ただけだからわからん。水面鏡だったか。それで外をうかがうことができるんだが、出かける前に確認したら、だ」
「美玲はなんと?」
「傑倫だけ呼んでみるって言ってたな」
「厄介ですね。なぜ金冥の帝までここに」
「……あ、あたしが死んだこと、確認しに来たのかもしれない」
よろめく暁華の体を支え、抱き留めながら佩芳は目を細めた。
確かに今まで、様々な邑や中邑で問題を起こしてきた。金冥が他の国に内偵を放っている、という噂はないが、だからこそ自ら暁華の道程を辿ってきたとも考えられる。美玲を欲している可能性もあった。
へたり込んだ暁華の肩を優しく叩き、立ち上がる。
「暁華、あなたはここにいなさい。私たちは傑倫に会いに行きます」
「そうだな。お前さんが生きているって知ったら、話が複雑になる。大人しくしてろ。悪いようにはしないから」
「うん……」
泰然とうなずき合った。普段着だが悠長に着替えている暇はない。駆け足で二人、広場へと向かう。途中、砂漠宮の様子を視認してみたが、驚くほどに人気がなかった。
「子どもたちは家屋に避難させてるってさ」
「それがいい。どう転ぶかわかりませんから」
「暁華を渡せって言われたらどうするよ」
「彼女には悪いですが、死んだことにします」
それがきっと、暁華のためになるとは口にできなかった。そこまで傲慢な考えを持てない。
広場に辿り着く。そこでは美玲を中心に、簡易な武装をした男女が天井を見上げていた。
「美玲!」
「……泰然様。それに佩芳様も」
美玲が厳しい面持ちでこちらを見る。数十名の群衆を掻き分け、佩芳は泰然と共に彼女の側まで近付いた。
「傑倫を呼ぶのか」
「はい。他の兵士様方には悪いことをしますけれど、ここで荒事は起こしたくありませんの」
「例の話をどうするつもりですか、あなたは」
「暁華様が望まないことは、無理強いしたくないですから。大丈夫ですわ、何をしにシゴウ砂漠まで来たかを問うだけですので」
美玲の微笑みに、佩芳は胸を撫で下ろした。
暁華が『霊胎姫』だということを知るのは、彼女自身と美玲、そして自分と泰然だけだ。他の住人たちには教えていない。過度な期待を持たせぬように、という配慮なのかもしれないが。
「皆々様も攻撃的になりませんよう、お願いしますわね」
全員に諭しつつ、美玲は台座の上にある水晶へと手を置いた。玉が緑に光り輝く。
「五行相克たるは木剋土。地を締め付け痩せさせよ、粛々と」
唱えれば、大きな音が天井から響く。
佩芳の目線の先、蛇模様の天蓋が少しずつ、少しずつ砂を落としながら左右に開いていく。
砂塵は周囲の光にまたたいており、その中に一つの人影があるのを見た。
「五行相乗たるは木乗土。満ち足りて萌えよ、しなやかに」
天井はすぐに閉じられる。代わりに近くの木、その大きな蔦が、落ちてくる人物を優しく受け止めた。
短い黒髪をささやかな風になびかせ、鋭い銀の瞳で周囲を見渡す青年に、佩芳は覚えがある。十年前、自分を金冥から追放した男――今や帝である傑倫だ。間違いない。
傑倫が静かに地面へ降り立つ。
暁明鳥の羽毛でできたと思しき黄金の外套をまとい、腰に二本の環首刀を携えた姿は威風に満ちていた。
「……ここは」
口を開いた彼は、驚く様子も見せずに目線をこちらへ――いや、美玲へと向ける。
美玲は一つ頭を下げると、笑うこともなく傑倫の視線を受け止めた。
「突然の無礼をお許し下さいませ、金冥の帝、傑倫様」
「なるほど。我だけが呼ばれたということで相違ないな、賢人の美玲よ」
「そのとおりですわ。兵士様方を驚かせたようで申し訳ございません」
「微細なことを気にする。……懐かしい顔があるな。久方ぶりというところか、炎駒の泰然。汝のことは剣技会で見て知っている。そして」
傲岸な顔つきで、傑倫が佩芳を見つめる。
「生きていたか、土鱗の呪痕士」
「ええ、お元気そうで何よりですね、金冥の帝どの」
佩芳が放った嫌味な言葉にも、しかし傑倫はなぜか柔らかい微笑を浮かべた。