3-4:霊胎姫の正体
円形に作られている砂漠宮は、広い。ある程度整備された道を歩いていけば、そこら中に背の低い木々や花が植えられているだけでなく、畑までもがあるのが見えた。
光がなくとも咲く花に、成長を遂げる木。丸々と育った根菜を目にするうちに、佩芳は理解する。
これらは全て、土鱗の国より四ツ国が奪った道具から作られているものなのだと。
土鱗から略奪された道具は様々だ。それは各国に散らばり、今や当然のように四ツ国で使われている。中には商人が用途も知らず、見た目の麗しさだけで買い取ったものもあるはずだった。
井戸にあった水呼鉱だけでなく、広場で美玲が手をかざしていた水晶。あれもなんらかの――例えば五行の力を強めるものだと思えば、大樹をあやつるという芸当にも納得がいく。
一人感心する佩芳をよそに、泰然は周囲を見渡しながらゆったりと歩き続けていた。
「炎駒の王宮もまあまあ広いが、ここもなかなかのもんだな」
「そうだろ? ここは美玲様が六年かけて、みんなと作り上げてきた場所なんだよ。最初はほとんど何もなかったけどね、助け合ってここまでのものに仕上げたよ」
男はふくよかな頬を上げ、笑う。泰然の隣にいた佩芳は、泰然が小さく「六年か」と寂しそうにつぶやいたのを聞き逃さなかった。
万感の思いがあるだろう言葉に、何も言わない。彼と美玲の問題だ。口を出すのは野暮というものだろう。
しばらく無言で歩く。若干生温い風が、どこからか入り込んで肌を撫でた。特有の土臭さも気持ちを落ち着かせるには充分だ。
進むこと一刻ほどだろうか。ようやく人気のある場所へと出た。
生活感のある空間だ。子どもたちははしゃぎ回り、手に玩具を持って楽しそうに声を上げている。大人は畑仕事や機織りに精を出し、せわしそうに勤労に務めていた。
誰もこちらを気に留めない。居心地のいい場所だ、と佩芳は感じる。あるいは、もしかすればここが安寧の地なのかもしれないとも。
ここ最近は感じていなかった、郷愁。そんなものが頭をもたげて、心の中にざわめきを呼び起こす。
だが、自分が呪痕士であることは知られているのだろうか。決心するにはまだ、早い。
思いを巡らせているうちに男が立ち止まる。目線の先には弧型の、掘り抜きのような洞窟があった。
「この奥に美玲様はいるよ。まっすぐ進んだら部屋があるから」
「あいよ。道案内、ありがとさん」
「どういたしまして」
男は笑みを絶やさぬまま、役割は終えたとばかりに今来た道を戻っていく。
「中は明るいな。行くか、佩芳」
「ええ」
男二人が横並びに歩いても、掘り抜きの中は幅の余裕がある。左右に飾られた松明が、煌々と周囲を照らしていた。
少し進んだ先、一番奥には木でできた扉だ。とりたてて飾り気はなく、両開き作りのものだった。
暁華がすでに中にいるのかとも思うが、なんの音すら聞こえてはこない。
泰然が先に歩み出て戸を叩く。「どうぞ」というくぐもった返答は美玲のものだ。そのまま彼は、やすやすと扉を開けた。
瞬間、よりまぶしい光に佩芳は目を細める。
「お待ちしていました、お二人とも」
部屋の中央、円卓の奥に腰かけていたのはまぎれもなく、美玲だ。
中は広い。松明だけでなく蝋燭、蜜蝋などの光源が揃えられている。周囲には竹簡や本を収める棚、乾燥させた木の根や薬草の類いまでもが備えられていた。
円卓の側には天蓋つきの牀褥があり、毛の織物が几帳面に畳まれている。
「どうぞ座って下さいまし」
ここは美玲の部屋なのだろうと推測したものの、暁華の姿がないことが疑問だった。それを見越してか、美玲がこちらを見て微笑む。
「暁華様はのちほど来るかと。お茶を入れてありますので、席に」
美玲に言われれば、果物のような匂いが漂っていることにも気づく。円卓の上にはそれぞれ四つ、白茶が湯気を漂わせていた。
泰然は無言で、空いた席の一つに腰かける。それと対面する形で、佩芳も座った。
「暁華はちゃんと来るんだろうな」
「はい。少し準備に手間取っているのかと。女性には支度が必要ですのよ、泰然様」
「……様はいい」
ぶっきらぼうな声音に、美玲は何も言わず白茶を飲むだけだ。
佩芳は棚から美玲へ視線をやり、たずねる。
「ここには土鱗の道具がたくさんあるようですね」
「六年かけて集めたものですの。両親が商人でしたもので、道具に関する情報網は耳に入ってきます。使い方は古文書を」
「古文書? 焚書された古文書がまだ、残っていたのですか」
「確かにほとんどは焼かれてしまいましたが、商人の手に渡ったものも少しはございますの。読み解くには苦労しましたけれど」
「お前さんでもか。意外だな」
嫌味ではなく疑問をこり固めたかのような問いに、美玲は小首を傾げてみせた。
「どういう意味ですの?」
「お前さん、二歳の頃には公文書も読めたって言ってただろ。難しい文字もお手の物だと思ったんだけどな」
「……土鱗の文字は少し、違うものですから」
「違う?」
「それは……」
佩芳の声に美玲が静かに器を置いた、そのときだ。扉が再度、叩かれたのは。
「暁華様をお連れしました」
知らない女性の声が響く。
「どうぞ、お入りに」
美玲の返答に、扉が片方だけ開いた。だが、暁華はなかなか姿を現さない。「変だよ」とか「でも」とか、小さな声が聞こえる。
「何してんだ、おい」
「さて」
扉を凝視する視線に耐えかねたのだろう。それとも単純に諦めたのか。扉の影からそっと入ってくる女人がいた。
艶やかな黒い髻は、左右で三つ編みに結い上げられ、残った部分が二つに降ろされている。シャクヤクの刺繍が入った衫は朱色。灰色の裳は長く、腰には純白の帯が巻かれている。
化粧をなされ、様変わりしたのは――
「……暁華、か?」
「じ、じろじろ見ないでよ、泰然」
誰でもなく暁華だった。彼女は頬を朱に染めつつ、視線をさ迷わせている。
暁華はもう、泰然がたずね、佩芳が思わず目を見開くほどに違う。
今までの彼女がさなぎだとすれば、それこそ蝶のように麗しい。
艶美そのものが形になったかのような暁華に、佩芳は見とれた。見とれ、惚けてしまうほどの魅力が今の彼女にはある。
確かに美玲も、暁華に劣らずの美女だ。それでもなぜか、佩芳は暁華だけに目を惹かれてやまない。
「あ、佩芳」
彼女がふんわりと笑む。途端、心臓を掴まれた気持ちになる。動悸がひどく、早鐘のように脈を打つ。
「お似合いですわ、暁華様」
戸惑う佩芳をよそに、美玲が鈴のような笑い声を上げた。暁華は唇を尖らせる。
「別に、こんな格好させなくてもいいじゃない……動きづらいし」
「慣れますわよ、すぐに。さあ、どうぞこちらへ」
そっと席に座る暁華には、いつものおてんばな様は見受けられない。それがまた、たおやかさに拍車をかけている。
「紅翼、食事の方をお願いしますわね」
「わかりました、美玲様」
外にいる女性――紅翼はそれだけを言い残し、扉を閉めていった。
「……何から話せばいいのか迷いますの」
白茶のかぐわしい香りが漂う空間で、沈黙を破ったのは美玲だ。
彼女は立ち上がり、後ろの棚から一冊の本を取り出して円卓に置いた。
佩芳は動悸を抑え、革でできた表紙の本へと目を向ける。随分と古そうな本だ。一般のものと文字すら違う。
だが、文字の形にどこか見覚えがあるような気がして、美玲の方に視線をやった。
「これが古文書でしょうか」
「はい。土鱗の国の本。その中でも特に古いはずのものですの」
「そんなものまで読めるんだ?」
「今でもつまずくことはございますが、あらかた」
椅子に腰かけ、美玲は本に手を置いた。青い目を閉じ、何かを考えている顔つきを作る。
「結論から申し上げますわね」
彼女が息を吐く。まぶたを開け、真向かいにいる暁華を真摯な面持ちで見つめた。
「あなたが探していた『霊胎姫』。それは、あなた自身のことですわ、暁華様」
「……え?」
何を言われたのかわからない――とばかりに、暁華は眉を寄せる。