2-9:そこにいるか、探し人
「……佩芳はどう過ごしてたの?」
肩をさすっていると、少しは落ち着いたのか、暁華が首を傾げて寂しげに微笑む。
「村落や邑を転々としていました。長居しても三年が限度。この風貌ですから。炎駒の半分はあらかた回ったと思います」
「そうだね。佩芳の顔、昔とちっとも変わってない」
小声にうなずく。硬い微苦笑を浮かべ、肩に置いていた手を外した。そのまま暁華の隣へと腰を下ろす。
「若く見えるけど、今何歳?」
「百五十と少しです。私たち土鱗の人間は二百歳まで、基本の寿命があるそうで」
暁華が目を見開いた。口を開け閉めし、驚きの表情でこちらを見つめてくる。
「あ、あたしがおばあちゃんになっても……そのままなんだ」
「多少、老けることはあるとは思いますが。私の母は心労で実際、老いを感じさせていましたし。叔父はどうだかわかりませんが」
「叔父? 叔父さんがいるの、佩芳に」
「名は宇航。母の弟です。生きているかは定かではありません。会ったこともない」
言葉がよどみなく出てくる。不思議なくらいつらつらと。
「どこかにいるのかもしれませんが、数えて二百歳近くになっているはずです。亡くなっていてもおかしくはない」
近くの灯籠を見つめ、ささやく。
宇航が生存している確率は低い。土鱗の国へ四ツ国が侵攻したときに生まれた男。すなわち次の帝となるはずだった彼は、乳母と共にどこかへ逃げたという。夢想していたときの母の言だ。信用はできない。
「会いたくないの?」
「見知らぬ叔父を探すより、自分のありかを見つけることが手一杯だったので」
暁華に答えたのは、嘘偽りではなかった。村人に怪しまれ、石を投げられたこともある。家畜の肥やしをかけられたことも。その度に思ったものだ。ここも、自分の居場所ではないのだと。
満たされない思いを抱えて生きている。郷愁という名の、どうしようもない寂しさを。
無言になった暁華を見ると、視線が合った。彼女は口をもごもごさせて、何かを言いよどんでいる。
「何か聞きたいことが?」
「は、佩芳は……その、誰かいい人、いなかったのかなって」
「いい人、とは?」
「好きな人とかのこと。佩芳くらい格好いいなら引く手あまただったんじゃない?」
言われ、真面目に考えこんでしまった。
「確かに邑の長から、娘を嫁に……などと言われたことはありましたね。身を固めてはどうだとも。その気はないので逃げましたが」
「だ、断袖の気があるとかでもなくて?」
「私に男色の趣味はありません」
呆れながらつぶやく。男に惚れられたことも皆無ではないし否定するつもりもないが、そっちの趣味は持っていない。誰かに恋慕を抱いたことがないだけで。
「そっか。……うん、そっか」
ほっとしたように微笑む暁華を見て、佩芳も軽く笑う。多分、ぎこちない笑みだろう。笑うことには慣れていない。
「賢人に会ったら、佩芳の居場所、聞けたらいいね」
「……ええ」
微笑みを深めて優しく言われた。白い瞳には暖かな光が宿っている。先程まで目の奥にあった翳りが消えていることに、少しばかり安堵した。
幻想的な灯籠の灯火を見つめ、それから立ち上がる。かなり話し込んだ。これ以上の夜更かしは明日の出立に差し支えるだろう。
「明日は早い。そろそろ寝ましょう」
「うん。……ありがとう佩芳。あたしの話、聞いてくれて」
同じく立ち上がった暁華に、ただうなずいた。少しでも彼女の気が晴れたなら、それでいい。
「私もここまで会話をしたのははじめてです」
「そうなんだ」
共に二階へ続く階段を上りながら、つい、そんなことを漏らしてしまう。部屋の前まで辿り着き、首を横に振った。
「また話す機会はある。もう休みなさい」
「わかった。お休みなさい、佩芳。また明日」
「お休み、暁華」
柔らかい声にだろうか、心から穏やかな顔を作り、暁華は個室へと入っていく。扉が施錠されたことを確認してから、佩芳も自室へと戻った。
鍵をして、牀褥へと横たわる。窓から見える光は藍色が深く、橙はまだ混じっていない。
毛織りの敷物をかけ、目を閉じる。
いつもなら胸を穿つ哀愁や焦燥でなかなか寝付けないのだが、今日は違った。
耳に残っている優しい曲笛の音。長々とした会話。心地いい疲労感が全身の力を抜けさせる。まどろみから熟睡まで、そう時間はかからない。夢すら見ずに深い眠りへとついた。
※ ※ ※
……ぴゅーい、ぴゅーい、と鳥が鳴く。
暁明鳥の鳴き声だと理解し、固く閉じたまぶたを開けると外はもう、橙の光に満ちていた。
目を擦り、のろのろと牀褥から下りる。少し寝不足だが、どこか気分は晴れやかだ。
荷物置き場に設けられた水釜で顔などを洗い、髪を一本に縛る。素早く着替えて荷を持ち、鍵を開けて外に出た。
「あっ。おはよう、佩芳」
丁度よく、暁華が隣の部屋から出てくる。彼女も身なりをすでに整えており、寝坊はしなかったようだ。
「おはようございます。泰然は?」
「もういなかったよ、部屋に。下にいるんじゃないかな」
「私たちも急ぎましょうか」
うなずく暁華を連れ、一階の広間へとおもむく。そこには誰かと話す泰然の姿があった。どうやら商人から酒を買っているようだ。かなりの数の壺を手にしている。
「おはよ、泰然。何してるの?」
「ああ、おはようさん。ま、手土産を持っていこうと思ってな」
「食料も必要でしょうか」
「あるに越したことはないだろうさ。お二人さん、餅や肉の料理を買ってきてくれ」
「どれくらい必要?」
「二十人くらい分」
暁華が大きく溜息をついた。銙につけた袋を取りだし、銭を数えはじめる。
「私からも出しましょう。情報料を渋っていては何も得られはしません」
「馬、潰れちゃわないかな?」
「ある程度、手に持つ必要がありそうですね」
「オレは先に厩舎へ行ってる。用意ができたら出発だ」
泰然の言葉に、佩芳はうなずく。渋い顔つきを作る暁華をなだめ、食事処へと二人で向かった。まだ朝も早いためか、ほとんど人気はない。
羊肉の塊、草餅、肉が入った包子などを大量に買い込む。早朝にもかかわらず、いやな顔一つせずに準備してくれるところは、さすが一流の邸店というところだろう。
支払いを済ませ、店員に手伝ってもらい、裏にある厩舎へと食料を持っていく。馬の様子を確かめる泰然の姿があった。
「凄い荷物になっちゃったね」
「お前さん方も持ってくれよ。さすがに全部積むとこいつが辛い」
「ええ」
布地で包まれた食事を携え、暁華と泰然と共に歩き出す。肉の塊はずっしりとしていたが、持てる範囲内だ。
邸店を出ると、朝支度をしている他店の様子が目に映る。少しずつ界隈も賑わってきており、屋台から朝飯の匂いが流れてきていた。
だが、南側――吊脚楼作りの家屋を過ぎた頃から人通りが変わる。河川は汚く、通行人も極端に少ない。
「どうしてこっちには人がいないの? 王邑に続く砂漠があるんだよね」
「好んで危ない砂漠を渡る必要はないんだ。北の街道を回り道した方が安心だからな」
「侠客に会う、という人も少ないでしょう。火事やもめごとでは力になる彼らですが、いささか気性が激しい人間に関わろうとする旅人もいないでしょうから」
「佩芳の言うとおりだ……そろそろだぞ」
泰然が顎で先を示す。風に混じって黄砂が周囲を包んでいた。川は途切れ、砂地には木造の小屋が点々としている。空を覆う光も薄い。
怪しまれない程度に辺りを見渡していたときだ。小屋の一つから、一人の男が出てきたのは。
黒い瞳に青の髻、緑の褶と同じ色の褲が色鮮やかな男だった。男、というより青年に近いかもしれない。見た目は若かった。年の頃は二十歳前というところだろう。
青年がこちらを見た。笑いもせず、どこかきつい面持ちをそのままに。
「……誰?」
「しっ」
暁華のつぶやきに、泰然が口へ人差し指を当てた、瞬間。
「遅い!」
青年の叱咤が空気を裂く。言われたこちら側としては目をまたたかせる他なかった。
「全く、どれだけ僕が待ったと思ってるんだ。いや、今朝の天啓を読み取れなかった僕のせいでもあるけど」
「……失礼ですが」
と、佩芳が静かにたずねようとしたとき、青年がそれを手で止める。
「君たち、僕に用があるんだろ」
「あ、じゃあ」
声を上げる暁華を睨み、青年は苦々しい顔つきでうなずく。
「そう。僕が仔静だ」