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弥勒の拳  作者: 真桑瓜
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帰郷7



帰郷7


                    

「もしもし、フロントの槇草さんをお願いしたいのですが」

受話器に待機音が流れ、しばらく待つと槇草が出た。

「お待たせしました、槇草です」

「よしえです、先ほど福岡に戻って参りました」

「お帰りなさい、佐賀はいかがでしたか?」

「とっても素敵なところでした、景色も人情も・・・」

「そうでしたか、それは良かった」

「・・・篠塚が、お約束を果たしたいそうです」少し間を置いてよしえが言った。

「はい、お待ちしておりました」

「本日二十二時、場所は福岡城本丸跡。そこで篠塚が待っております」

「承知しました」

「では、これで・・・」

よしえが受話器を置いて振り返ると、篠塚が黙って頷いた。



槇草は受話器を置いてから、ロッカーに向かった。扉を開けて中を確かめる。

空手着はちゃんとそこにあった。今夜はこれを着て篠塚の前に立つ。

『きっと、変わっているのだろうな』

槇草は身の引き締まる思いでロッカーを閉め仕事に戻った。



九時四十分、槇草は東の口から石段を登り始めた。二の丸まで来ると梅林があり、もう少し登ると楼林がある。そこが本丸だ。十時少し前、槇草は約束の場所に着いた。

桜と松の木の間にひらけた場所がある。秋には観月会が開かれる場所だ。

月明かりに照らされて、篠塚が立っていた。

「お待たせしました」槇草が声を掛けると、篠塚の表情が、和らいだ気がした。

一面にシロツメグサが生えている。二人は素足で柔らかい草を踏んで、どちらからともなく構えを取った。


篠塚の構えはやはり、変わっていた。得意の猫足立ちでは無い。

どちらかと言えば無構えに近い。篠塚が師事している本部御殿手の上原常一の構えに似ているのだろう。

しかし、何と言っても一番の違いは、その佇まいだ。以前戦った時の様な殺気が、一切感じられない。

その方が、槇草には恐ろしかった。冷静な篠塚に、付け入る隙は無い。


篠塚は、槇草の構えを見て内心舌を巻いた。

あの時の様な青臭さが消えている。今は、自分の技に対する揺るがぬ自信と、何があっても動じない心の強さが滲み出ている。

篠塚は楽しかった。なんの邪念も無い純粋な戦いが、これから繰り広げられるのだ。



槇草は、半身の前屈立ちのまま、スルスルと前に出た。

篠塚がどう動くのか見たかった。

篠塚は動かなかった。しかし、槇草は咄嗟に右に跳んだ。


槇草が動いた。正中線を捉えたまま真っ直ぐに近付いて来る。

ギリギリまで引き付けよう。間合いを間違えば、そのまま攻め込まれる。

前足が勝手に跳ね上がるのと、槇草が跳ぶのが同時だった。


前蹴りが、槇草の脇腹を掠めた。あとほんの少し遅れていたら危なかった。

しかし、まだ間合いの内側だ。篠塚の次の攻撃を防ぐためにもこちらから攻めねばならない。踏みとどまった右足で地面を蹴って前に出る。篠塚の突きが目の前に迫っていた。


不発に終わった蹴り足が地に着く前に、拳を繰り出した。槇草はただ逃げる事はしない、同時に攻撃して来るだろう。拳が槇草の顔面を直撃する寸前に槇草が消えた。


出ると同時に身を沈めた。篠塚の拳が頭上を掠める。目の前の篠塚の脇腹に肘を叩き込んだ。


拳を引くと同時に肘を落とした。その瞬間、脇腹に衝撃を感じた。ミシッ!と骨の軋む音がした。


肘を叩き込んだと思った途端、肩に激痛が走った。鈍い音を聞いた様な気がした。


辛うじて倒れなかった。だが、躰が前屈みになって姿勢を戻す事が出来ない。


槇草は、柔らかい草に顔を埋めていた。土の匂いがプンと鼻腔を突く。

立たなければやられる。肩を押さえ必死で立ち上がった。


槇草が立ち上がって来た。今攻めなければ勝機は無い。

脇腹の痛みを無視して前に出た。


篠塚が最後の攻撃に出た様だ。槇草は使える方の拳を握り締め、躰ごと前に突っ込んだ。


月が見える。風が頬に心地良い。口の中に、錆びた鉄の味がした。

槇草はもう立ち上がりたく無かった。全力を尽くした後の達成感に、このまま浸っていたかった。

勝ち負けは、もうどうでも良かった。


横を見ると、槇草が月を見上げていた。今目覚めた俺の負けか。

後悔は無かった。これで全ての目的は果たした。

明日、沖縄に帰ろう。よしえと一緒に・・・





翌日、約束通り篠塚は、よしえと福岡の本屋を廻り痴陶人の作品が載った写真集を買った。表紙の器に鬼が遊んでいる。

『この鬼は笑っている』篠塚は思った。

痴陶人の言葉が蘇る。『これで結構楽しいのだよ・・・』


「14時30分発沖縄行き、JAL057便にご搭乗の方は、一番ゲートにお急ぎください」

場内アナウンスが流れる。よしえが土産物を選ぶのに手間取り出発時間ギリギリになったのだ。

二人は一番ゲートに走る。篠塚は顔を顰めた、肋骨が痛む。

「ごめん源さん。幸子さんへのお土産で迷っちゃった」よしえはちょっと舌を出す。

『大丈夫だ』篠塚は頷いた。


座席に座って、ベルトを締めると、機はすぐに動き出す。

もう思い残す事はない。篠塚は沖縄に骨を埋める覚悟ができた。

『まあ、たまにはばあちゃんの墓参りに戻ってくるか・・・・』










                              弥勒の拳  完




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