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弥勒の拳  作者: 真桑瓜
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帰郷6



帰郷6



                   1



『用が済んだら戻ってくる』

そうノートに記すと、槇草が頷いた。

次の日、篠塚とよしえは槇草に別れを告げて、篠塚の故郷、嬉野へと出発した。

博多駅から鹿児島本線で鳥栖まで行き長崎本線に乗り換える、肥前鹿島からバスで嬉野駅へと向かった。

レンタカーを借りれば簡単なのだが、よしえが『急がずゆっくりと行きたい』と、このルートを望んだのだ。


今夜の宿は、嬉野温泉から少し山手に入った所にある。駅前でタクシーを拾い、”和田旅館”に向かった。

ここは、昔からある古い旅館だ。

祖母が亡くなって、生家はすでにないのだが、篠塚の育った町が一望できる。

「静かでいいところね」

二階の窓の窓枠に腰掛けて、よしえが呟く。

『あの辺に、俺の生まれた家があった』篠塚の視線の先に人家の密集した場所がある。『それから、ばあちゃんの墓があの辺り』

篠塚が指した遠くの棚田の一角に、まるで孤島のようにこんもりと木の茂った場所が見えた。

『明日、あそこに行く。だがその前に行かなければならない所がある』

鉛筆を走らせ、よしえに見せた。

その時、部屋の引き戸が開いて中年の和服の女性が入ってきた。

「ようこそおいで下さいました、この宿の女将で御座います」

上品な物腰で、女将は畳に手をついて挨拶をした。

よしえが慌てて畳に座って頭を下げる。「お世話になります、どうぞよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願い致します。どうぞここを実家だと思って、ごゆっくりなさって下さいましね」

「はい。ありがとう御座います・・・でも、ここは静かでいいところですね」よしえはさっきと同じことを言った。

「こちらは、初めてですか?」

「はい、私は・・・でもこの人はここで産まれたのですよ」よしえが篠塚を振り向いた。

「そう言えば、何処かでお見かけしたような・・・」途端に女将の目が大きく見開かれた。

「ひよっとして百々代さんのお孫さん・・・?」

女将は、不良で名の通った篠塚の顔を思い出して、一瞬怯んだ。

「あっ、失礼しました。えっと・・・源之助さんでしたっけ?」

篠塚は小さく頷いた。

「お祖母様のお墓参りですか?」女将は篠塚に訊いた。

篠塚は頷きノートを取り出し、『その前に行きたい所があります。澤田さんはまだあそこにいますか?』と、書いた。「ああ、痴陶人さんですか?あの人ならまだ、茅葺の家に住んでいますわ」

『お元気なのですか?』

「はぁい、相変わらず若い人を集めて、安い酒を呑んだくれていますけどね」

以前と変わった篠塚の態度に安心して、女将が笑う。

篠塚が頷いて、『ありがとう』と書いてペンを置いた。

「お食事は、何時に致しましょう」女将がよしえに目を移して訊いた。

「源さん、六時でいいかしら?」

篠塚が頷く。

「ビールは・・お付け致しましょうか?」

「おねがいします」

「承知致しました。でも、まだ六時までには間があります、ゆっくり露天にでも浸かっていらっしゃったら?」

「ありがとう、そうしますわ」よしえがそう言うと、女将はにっこり笑って部屋を出て行った。





                   2




槇草は、夜勤明けに篠塚を見送って帰ってきた。

「ただいま、小太郎は起きてるか?」槇草は美希にシュークリームの箱を渡しながら訊いた。

「起きてるわ、今日ね、寝返りをうったのよ」美希が嬉しそうに報告する。

「へ〜早いな。そんなものか?」

「歩美さんが言ってたわ、寝返りが打てるようになったら、すぐにゴロゴロするようになるんだって」

「ゴロゴロ?」

「そう、転がって回るのよ。その次がズリズリ。そうなったらハイハイが近いんだって」

「そうか、楽しみだな」自然に笑みがこぼれる。

槇草は、部屋着に着替えて小太郎を抱き上げた。

「なんだか重くなったような気がするが、気のせいか?」

「ううん、実際、日ごとに大きくなるの。子供ってすごいわ」

小太郎は、槇草を見て笑っている。近頃は槇草が抱いても泣かなくなった。

「俺の抱っこの仕方が、上手くなったのかな?」

「そう、お父さんだって認めてくれたんじゃ無い?」

「そうかな?だったら嬉しいんだけど」

美希が立ち上がった。

「朝ごはんの支度をするわ。そのあとでコーヒーを淹れる、インスタントだけど、いい?」

「ああ、せっかくシュークリームを買ってきたからね。うちのホテルのは美味いぞ」

美希が支度をしている間、槇草は小太郎をあやし続けていた。自分が子煩悩だった事に、槇草は初めて気がついた。

朝ごはんの支度が整い、美希が小太郎を寝かしてから味噌汁を注ぐ。「はいどうぞ」お椀を槇草の前にそっと置く。

「ありがとう、いただきます」槇草は、箸を手に取った。

「あ、そうそう。昨日珍しい人がうちのホテルに泊まったよ、誰だと思う?」

「篠塚さんでしょ?」

「えっ、どうして知ってるんだ?」

「父から電話があったのよ。人は変われば変わるもんだって」

「俺もそう思った、昔の荒々しさが微塵も無い」

「ふ〜ん、信じられないわね」

『きっと、良い師にめぐり逢えたからだろう』という言葉を、槇草はグッと呑み込んだ。それでは剛三の立場が無い。

「一緒に、女の人を連れて来た。明るくて賢そうな人だ。あの人の影響も大きいと思う」

「そう、良かったわね。男の人は女で変わるものよ」

「俺は幸せだよ」

「あら、無理やり言わせたみたいね。御免なさい」美希は笑った。「さ、冷めないうちに召し上がって下さいね」

「うん・・・」槇草は味噌汁をひと口啜った。「美味いなぁ、やっぱり家で食べる飯は最高だ」

槇草は、篠塚が戻ってくる事を、この時美希には話さなかった。




                  3




痴陶人澤田米三は、大英博物館副館長ローレンス・スミスに、『陶器の棟方志功』と言わしめた人物で、死後同博物館で日本人初の陶器の個展が開かれている。

彼は、庭に面した自宅の居間兼仕事場にいた。庭には柿の木が見える。

嘗て鍋島藩の御典医の住居であったこの茅葺の家は、目の前に広大な田園が広がっていた。

単衣の着流しに、少し後退した額。白髪に三割ほど黒の混じった髪をオールバックにし、度の強い眼鏡をかけている。

座卓には、染付けの道具が所狭しと並べられ、ウイスキーの瓶とグラスが共にあった。

右手に絵筆、左手が支える大皿には、波の意匠に鯉が跳ねている。


痴陶人の妻、”以の”に誘われて入って来た篠塚を、彼はチラリと見てまた大皿に目を戻した。

「まあ、飲め」なんの挨拶もせぬ前に、痴陶人は言った。

篠塚は、グラスにウイスキーをなみなみと注ぎ一気に煽る。

「何しにきた?」痴陶人が問うた。手は一時も休めない

「夫は事故で声を失いました」よしえが代わりに答える。

「それで?」

「私が、代わりに話します。宜しいでしょうか?」

痴陶人はよしえを見て、軽く頷いた。

「夫の父と母は、どうして死んだのでしょうか?」

痴陶人は目を細めて、手を止めた。「やはりな・・・」

「答えていただけますか?」よしえは痴陶人を見つめた。

「源之助は私生児だ」痴陶人は躊躇なく言った。「親の反対に耐えきれず首を吊った。子供までもうけていながら馬鹿な奴らだ」

痴陶人は描きかけの皿を置いて、ウイスキーの瓶を手に取った。「まあ、飲め」篠塚のグラスに酒を注ぐ。

そして、自分はそばにあった湯呑みにウイスキーを注ぐと、半分ほどを口に含みゆっくりと飲み下した。

「当時儂は、源蔵のロクロで挽いた皿にしか絵を描かなんだ」源蔵というのが、篠塚の父の名だ。

痴陶人は篠塚を見据えて言った。「儂は源蔵を心底可愛がった」

「ところが、ある日を境に源蔵のロクロが変わった。女が出来たのだ」痴陶人は苦々しげに吐き捨てた。「花街の女だった。暗い影を持っておったよ」

『・・・』

「源蔵の純な心に、その影が忍び込んだのだ」痴陶人は湯呑みの酒を飲み干した。「あの女は、一緒に死んでくれる男を探していたのだな」そこで痴陶人は言葉を切った。

それ以上、いくら待っても痴陶人が言葉を継ぐことはなかった。


『・・・』篠塚は、黙って畳に手をついた。

「気が済んだか?」痴陶人が訊いた。

篠塚が頷く。顔にはもう何の憂いも無かった。

「以の、酒の支度をせい、料理は腕によりを掛けて美味いものを作れ」痴陶人は妻に命じた。

痴陶人に嫁いで、苦労を重ねてきた”以の”は、全てを飲み込んで最高の手料理を振る舞ってくれた。

”以の”の料理は決して豪華ではない。けれど相手の体調はどうか、何を思っているのか、を正確に把握している。

篠塚の心は和らいだ。

「源之助よ、儂は今お前が何をやっているのかは知らん。じゃが、遊び心を忘れるな。ありふれた自然さの中から生まれ出た無理のないものでなければ、人の心を温めることは出来ない」

篠塚は痴陶人の言葉に頷いた。

「儂は、儂の全てに半端な習性が凝り固まって、こんな陶芸馬鹿になってしまったと思っている。だがこれで結構楽しいのだよ・・・」



翌朝、すっきりと晴れ渡った空の下を、篠塚とよしえは祖母の墓に参った。

「すべては、予想していたことだったのね?」よしえが篠塚に訊いた。

篠塚は黙って頷く。

「ただ、はっきりとさせたかった?」

篠塚は頷いた。そしてゆっくりした動作で胸ポケットから手帳を取り出し、鉛筆を走らせた。

『沖縄に帰ったら、師の許しを得て結婚しよう』

「はい」よしえはしっかりと頷くと、祖母の墓に花を手向け手を合わせた。





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