帰郷5
帰郷5
「師匠、お客人でごわす」
居室の襖の向こうから、熊さんの声が聞こえた。
「どなたじゃな?」
「篠塚さぁと言わはったが、ご夫婦でお見えでごわす」
「何、篠塚とな。ご婦人を連れておるのか?」
「じゃっど」
「こちらへ通すが良い」
「そいが、道場でお会いしたかと・・・なんでん、その方が気楽とかで」
「そうか、ならば儂が出て行こう」
平助は座椅子から腰をあげて、廊下に出て行った。
「篠塚、久しいのぅ」
平助が道場に入ってきた。篠塚は道場の入り口に座ったまま床に手を着く。
「そう改まらずとも良い。元気そうで何よりじゃ」
「して、そちらの方は?」平助が、篠塚の後ろで畏るよしえに、目を移して訊いた。
「夏川よしえと申します。篠塚の妻です。まだ正式ではありませんけれど・・・」
「無門平助と申す。こんなむさい所へようこそおいで下さった」平助はよしえに微笑んだ。
「無門先生、僭越ではございますが、私が篠塚の代弁をさせて頂いても宜しいでしょうか?」
「うむ、頼む」
よしえは姿勢を正し、平助に向かって頭を下げた。
「無門先生には、心身ともに危ういところを救って頂き、なんとお礼を申し上げて良いのか分かりません」よしえは淡々と言葉を継いだ。
「今回、こうして直接先生にお礼を申し上げることが出来ますのも、すべて師の上原常一のおかげです。どうか師に免じてこれまでの非礼の数々、平にご容赦頂きたく、重ねてお願い申し上げます」
よしえが語る間、篠塚はずっと頭を下げていた。
一通り話し終えると、よしえは平助に言った。
「私は、こうして篠塚と巡り合えた事を、心から幸せに感じております。これも無門先生のおかげです、本当にありがとうございました」
「しっかりしたお方じゃ。篠塚、お主は果報者じゃよ」
篠塚は、まだ手を着いたままだった。
「堅い挨拶は、その辺で良かろう。どうじゃ、奥で一杯やらんか?」
「師匠!」
それまで隅に控えていた熊さんが声をあげた。
「そん前に、お願いしたかこつの御座いもす」
「なんじゃな、熊さん?」
「こん道場は面白かですばい。こっちから訪ねていかんでん、あっちから凄か人のやって来よる」
「ほう、それはどういう意味じゃ?」
「そんお方と、手合わせがしたか」
「篠塚と太刀合おうというのか?」
「まあ、簡単に言っとそげんこっです」
平助が呆れ顔で熊さんを見た。
「篠塚どうじゃ、この男と太刀合うてみるか?」
篠塚は熊さんを値踏みするように見据えていたが、やがてゆっくり頷いた。
「ありがて、じゃっど一つだけ条件があいもす」
『・・・』
「おいは、剣術が専門たい。体術じゃおはんに負くる」
篠塚が怪訝な顔をした。
「じゃっどん、剣を持ったらおいの勝ちじゃ。じゃっで、中ば取って小太刀ば持つこっば許して貰えんじゃろか?」
篠塚は熊さんを見て笑って頷いた。
二人は身支度を整え、道場の中央で向き合った。篠塚は徒手、熊さんは小太刀。
やや広めに間合いを取って礼をした。
篠塚は無構え。刃物を相手に構えを取るのは得策では無い。構えた手を斬られてしまう。
熊さんは左の入り身を取って、胸の近くに小太刀を構えた。
篠塚は反時計回りに熊さんの裏に回り込もうとするが、熊さんは横に移動してそれを許さない。
篠塚は考えた。この男の持つ小太刀を、ただの木剣と見れば掴む事も出来る。しかし、刃物と見做せば触れられない。それだけ高度な体捌きを要求される。
篠塚は、より厳しい条件を自分に課した。
その瞬間小太刀が動いた。まっすぐに篠塚の胸を突いてくる。
篠塚が体を開いて突きを躱すと、熊さんの躰が反転した。勢いに乗った後ろ蹴りが篠塚の脇腹を掠めた。
「チッ、獲り損ねたばい!」熊さんが舌打ちした。
『手で払えば間に合わなかった!』もしそうしていたら、今の蹴りで勝負はついていた。
篠塚は間合を切って熊さんに向き合った。急いてはならない。
今の攻撃が不発に終わった事で、熊さんも容易には攻め込めなくなった。
どちらも動けないまま時間だけが過ぎて行く。
このままでは埒が明かない。篠塚は一か八かの賭けに出る。
床を蹴って一気に間合いを詰めた。
小太刀が翻って篠塚の頬を撫でるのと、篠塚の猿臂が熊さんの脇腹を捉えるのが同時だった。
「それまでっ!」平助の声が道場に響いた。
熊さんの膝がガクリと折れた。
篠塚は引き下がり、熊さんに向かって頭を下げる。篠塚の頬からは血が一筋流れ出ていた。
熊さんがヨロヨロと立ち上がった。
「参りもした・・・」
その夜、篠塚はホテルに帰ってシャツを脱いで鏡を見た。左の脇腹が紫色に腫れ上がっている。
『危なかったな・・・』だがこれで目的は二つ果たしたことになる。




