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弥勒の拳  作者: 真桑瓜
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キング・コング



キング・コング




それは、異様な光景だった。

身長190センチ、体重120キロの褐色の大男の首に巻かれた鎖を引いて、金髪の美女が現れたのだ。

その夜、槙草は新しい職場で夜勤に入っていた。

黒いスーツに蝶ネクタイをビシッと締め、我ながら惚れ惚れするような姿に満足してフロントに立っていたのである。

玄関の回転ドアから入ってきたその巨体を、ドアボーイが驚愕の面持ちで見送った。

「キーヲ、1203号室ヨ」フロントの前に立った女は、流暢な日本語でそう言った。

「はい、少々お待ちください」槇草は、後ろの壁に設えられた鍵棚から1203号室の鍵を抜き取った。

「お待たせ致しました、スーザン様ですね?」

「ソウヨ」女は親指で後ろを指した。「コノ人ハ ドレーク、キング・コング・ドレーク ヨ」

大男は本当にゴリラのようだった、異様に興奮した顔で周囲を見回している。

今夜ホテルの近くにあるスポーツセンターで、あるプロレス団体の興行が行われた。

槇草の勤める西南グランドホテルは、外国人選手たちの宿泊所であったが他の選手達はまだ帰って来ていない。

「今夜ノ試合デ、日本人ノチャンピオンヲ血祭リニ上ゲテ少シ興奮シテイルノ」スーザンは槇草を見つめて言った。

「ミンナ街ニ繰リ出シテ飲ンデイルケド、コノ人ハ危険ダカラ先ニ連レテ帰ッテ来タノ。私ノ言ウコトシカ聞カナイワ」

「では、当ホテル自慢のお部屋でごゆっくりお寛ぎください。きっとご満足頂けると思います」そう言って槇草は、鍵をスーザンに渡した。

「サンキュー、アナタイイ男ネ」そう言ってスーザンは槇草にウィンクした。

「サ、行クワヨ」スーザンは鎖を引っ張った。

しかしドレークは動かない、ジッと槇草を睨みつけている。

「GO!ドレーク、行クノヨ!」スーザンは鎖を引く手に、さらに力を加えた。

ドレークは槇草に視線を残して、しぶしぶスーザンの後に従った。エレベーターに乗る時もう一度槇草を振り返った。


「ああ、びっくりした。なんだあれ?」先輩のフロントマンが言った。

「プロレスラーですね、さっき控え室のテレビに映っていましたよ」槇草が答える。

「お前、大丈夫か?凄い目で睨まれていたぞ」

「あはははは、まさかここで暴れたりはしないでしょう」

「そうだな、でもくれぐれも気を付けろよ」

「はい、了解です」槇草は答えて、業務に戻った。




深夜、スーザンはシャワーを浴びていた、さっきからドレークの様子がおかしい。

ベッドに腰掛けて、じっと足元を見つめたまま動かない。

どれだけ話しかけても反応が無いので、諦めてシャワーを浴びることにしたのだ。

ガウンを着て、髪をタオルで拭きながら出て来ても、ドレークはそのままの姿勢で座っていた。

ここは西南ホテルのスイートルーム、贅沢な調度品にキングサイズのベッドが二つ、革張りの応接セットが置かれている。

「ドウシタノ、ドレーク?」

「・・・」

「私ガアノ男ニウィンクシタノガ気ニ食ワナイノネ?」

「・・・」

スーザンはドレークに近付き肩に手を掛けた。

ドレークはゆっくりと視線を上げ、スーザンを見据える。その目が嫉妬に燃えていた。

「ヒッ!」スーザンが小さく悲鳴をあげた。その途端、ドレークの左手がスーザンの頬を打った。

スーザンはベッドの上にうつ伏せに倒れて気を失った。

「ガッデム・・・」ドレークは立ち上がってドアの方に歩いて行った。




槇草は控え室でタバコを吸っていた。子供が生まれたので、家ではあまり吸わないことにしている。

「ウ、ウワー!」その時フロントで叫び声がした。バン!という音と、ジン!という音が同時に聞こえる。

槇草は急いでフロントに出た。フロントの中で先輩のフロントマンが尻餅をついている。その目は大きく見開かれていた。

カウンターに置かれていたベルが、ぺしゃんこに潰れていた。

「サノバビッチ!」ドレークが槇草に向かって喚いた。

ドレークはカウンター越しに槇草を捕まえようとする。槇草は素早く身を屈め、カウンターの出口に移動した。

ドレークが追って来た時、槇草はすでにホールの中央に立っていた。

「ま、槇草やめろ殺されるぞっ!」先輩が叫ぶ。しかし、槇草が止めたくてもドレークが収まるはずがない。

「仕方ありません」槇草はドレークを見つめたまま言った。


ドレークはいきなり突っ掛けて来た。槇草を羽交い締めにしようとしたのである。

槇草は右に跳んだ。受け身をとって素早く立ち上がる。

ドレークは腰を落として突進して来る。今度は左に跳んだ。

予期していたのか、ドレークの反応が早い。立ち上がった瞬間上着の襟を掴まれた。

槇草は、あっという間に引きつけられ、真正面から首を絞められる形となった。

ネックハンギングでそのまま宙に吊り上げられた。

ドレークに理性は働いていない、槇草は覚悟した。「まだ死ねないな・・・」

肩の力を抜いて、指先でドレークの耳に軽く触れた。両掌に意識を集中する。

次の瞬間、ドレークの耳を挟むように打った。

カエルの潰れるような声がロビーに響いて、ドレークが両耳を押さえて蹲る。鼓膜が破れたのかも知れない。

槇草は絞首刑から解放された。

槇草の腰のあたりにドレークの顔がある。一瞬だけ迷ったが槇草の膝は人体最大の急所、人中に向けて蹴り出されていた。

ドレークは真後ろにひっくり返る。おそらく前歯は全滅であろう。

槇草の動きが、右膝を上げたまま止まった。

「殺サナイデ!」

いつの間にかスーザンがガウン姿のまま立っていた。

「殺さないさ。次の攻撃に備えていたんだ」



ドレークは動かなかった、眼が完全に裏返っている。

「今夜ノ事ハ内緒ニシテオイテ欲シイノ」スーザンが言った。「今後ノ興行ニ差シ支エルカラ・・・」

「分かりました、我々はお客様のご要望には、できるだけお答えするように言われております」

「ドレークヲ部屋マデ運ンデ頂戴。ソレカラ救急セットモネ」

「医者は・・・?」

「コレクライノ事デハ壊レナイハ、心配シナイデ」

スーザンはまた、槇草にウィンクをしてエレベーターに向かった。





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