臨月
臨月
「行きたい所があるなら、今のうちに行っておきなさい」歩美が言った。
「なぜ?赤ちゃんが出て来た方が体が軽くなるじゃない」
「そうじゃないの、今は苦しいけど一人身なのよ」
「一人身?」
「そう、赤ちゃんが出てきたら、二人身になるの」
「ああ、そういうことか」
「二人より一人の方がずっと自由なのよ」
「そうかぁ、考えた事もなかったわ」
「それから、今のうちに寝ときなさい。眠れなくなるから」
「はい」
「入院と退院の準備は出来てる?」
「入院の準備はしたけど、退院の準備って?」
「家の掃除をしておくの、赤ちゃんが帰ってきた時、清潔な環境にしておかなくちゃ」
「そっか」
「それから、電話の後ろの壁に病院とタクシー会社の電話番号を貼っておくといいわ。病院はどこだっけ?」
「済々会病院」
「あそこなら大丈夫だわ。先生は?」
「仲間先生」
「ああ、あの少しおかまチックな先生ね。名医だわよ」
「歩美さんよく知っているわね」
「以前友達が済々会病院で出産したの。よその病院で手に負えなかったのを、助けてもらったのよ」
「へ〜、あの先生そんなに優秀なんだ、知らなかった」
「それから、男は頼りにしちゃ駄目。たまたまいればラッキーだけど、そんなことは滅多に無いからね。自分一人で産む覚悟をしときなさい」
「分かったわ、悠さんは優しいけど、頼ってしまうと自分が弱くなりそうで怖いわ」
「そうそう。私ね最初の陣痛が来た時、一人でタクシーを呼んで病院に行ったの。そしたらまだ早いって帰されたのよ」
「え〜帰されるの?」
「そしたら、お義母さんなんて言ったと思う?」
「さあ、『慌てちゃいけないよ』とか?」
「違う違う。『タクシー代が勿体無い』って。信じられる?」
「まあ、酷い!」
「あ、ごめん!これは愚痴でした」歩美はちょっと舌を出して笑った。
「有難う。なんだか気が楽になった」
「陣痛が始まったら、すぐに電話をするのよ。飛んで来るからね」
「分かった、歩美さんの電話番号も壁に貼っておくわ」
「えっ!覚えてるでしょう?」
「だって、気が動転して忘れちゃうかもしれないもの」
「そっか、だったらその方がいいわね」
「本当に、歩美さんがいてくれて良かった。よろしくお願いします」美希は歩美に頭を下げた。
「いいって。大船に乗ったつもりでいなさい」歩美は胸を叩いた。




