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弥勒の拳  作者: 真桑瓜
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織田



織田


男は肩で息をしている。もう何度投げられたか分からない。

黒田はウナギのように、掴んでもつかめない。また幻のように押しても手応えが無い。

男は今まで経験したことのない事態に狼狽していた。どんな強い敵でも手応えはあった、その手応えを頼りにすれば必ず隙を見つける事が出来たのだ。

黒田は相変わらず、最初と同じように立っている。


江戸時代中期に、起倒流中興の祖、加藤有慶という柔術家が居た。

有慶の晩年の逸話にこういうものがある。

ある酒宴の席で、酒に酔った相撲取りがいきなり有慶に突っ掛けて行った。

有慶は手に持った盃の酒を、一滴もこぼさずに相撲取りを投げて見せたと言うのだ。

後に、その相撲取りが有慶に訊いた。「儂は投げられたのでしょうか?それとも自分で飛んで行ったのでしょうか?」と。有慶の答えは、「わからない」と言うものだった。

本当にできると言うのは「我知らずできる」と言う事。自分でその過程を説明できないと言う事だ。

今の黒田に同じ問いを発しても、同じ答えが返ってくるだろう。


既に戦意を失いかけていた。しかしこのまま帰る訳には行かない、組織の報復が恐ろしい。

男は最後の力を振り絞って地を蹴った。両足タックル、せめて片足でも捕まえる事が出来れば・・・。

と、黒田の躰が宙に浮いた。地を蹴って飛び上がったのでは無い、ふわりと浮いたのだ。

男は泳ぐように前によろめいた。黒田の足が男の後頭部をトンと軽く蹴る。

黒田が地面に降り立った時、男はピクリとも動かなくなっていた。






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