開戦
開戦
1
その晩、館山市の警察署長から飯沼良一に電話があった。明日、道場で新任の柔道師範の紹介をするので来て欲しい、その際お二人を自宅に招いて三人でささやかな宴を儲けたい。迎えの車を差し向けるので、お供は不要だということであった。
「これは罠です」黒田が言った。
「分かっておる。しかし断れば逮捕術師範の地位を失う事になるだろう」良一が言う。
「うむ、難しい選択じゃ」平助が唸る。
「私が、お伴します。女ならばきっと敵も油断をするはず」美佐恵が言った。
「だめだ、私一人で行く。何が待っているか分からないのだぞ。それよりもお前はお爺様と母を守るのだ」
「だけどお父様・・・」
「約束だぞ。私の命に従うと言うたではないか」
「・・・」美佐恵は唇を噛んで黙った。
「よか、おいが密かについて行きもそ」熊さんが口を挟んだ。「今夜のうちにここを出て、警察署の近所に潜んでおりもす」一同が熊さんに注目した。
「だがどうやって中に入る?」良一が訊いた。
「おいに考えがありもす」熊さんが答える。
しばらく沈黙の時が流れた。
「そうしてくれるか、熊さん」ややあって平助が言った。
「そうち決まれば、早か方がよか。今からすぐに出立しもす」いつだって熊さんの決断は早い。
熊さんは、木刀を一本肩に担いで出て行った。
「大丈夫でしょうか?」黒田が心配そうに訊いた。
「あの男なら心配ない。剣を持たせれば儂でも危うい」
「それ程の人物ですか」
「体術もなかなかだ。今度手合わせしてみると良い」平助は笑って黒田に言った。
暫くすると、玄関の扉が開いて熊さんが戻って来た。「すでに見張られちょいもす。おいが見た所、敵は三人、動きが取れもはん」熊さんは、平助の作った見取り図に、見張りの場所を印した。
「先手を打たれたか」平助が呟いた。
「裏山を超えて街に降りる道はなかね?」熊さんが訊いた。
「直接街へ降りる道はありません、山を一周りして街に行くしかないのです」黒田が答えた。
「そいでよか」
「しかし慣れないと夜道は危険です」
「おいは夜目が効くと、武者修行は伊達じゃなか」
「ならば、神殿の裏から裏山に出られます。その道を辿って行けば山の反対側の街に着く、そこから歩けば明日の午前中には館山の街に着きます」
熊さんは頷いて、再び出て行った。
「表の連中は見張りだ。こちらが動かなければ襲っては来るまい」良一が言った。
「明日、先生が出て行かれるまでは、日頃と同じに振舞いましょう」黒田が言う。
「勝負はその後だな」平助の目が爛々と輝いた。
2
翌日、日が落ちる頃、署のパトカーが良一を迎えに来た。
黒田がそれを見送りに行き、帰って来て報告した。
「見張りが三人、まだ動かずに居ます。ご苦労なことです」
平助が見取り図を開いて言った。「この西の端の奴は儂が片付けよう」
「私は東の見張りを・・・」黒田が言う。
「私は?」美佐恵が勇み立つ。
「うむ、取り合えず二人を片付けるまでここにいて貰う」平助が美佐恵を見据える。「儂らが見張りを襲えば、必ず残りの奴が気付く。そうすればここを襲って来るだろう、儂らが戻るまで持ちこたえて貰わねばならん」
「きっと、死守して見せます」美佐恵が言い切った。
「その後は?」黒田が訊いた。
「出来るだけ早く警察署へ駆けつける」
「車を使いますか?」
「車には何か細工をしておろう。一時間後にタクシーを呼んでおいた方が良い」
「分かりました」
「かの人物には昨日連絡をして事情を説明して置いた。うまく行けば、それまでに何か動きがあるはずだ」
黒田が立ち上がる。「では、行ってまいります」
「気をつけてな。ここは神域だ、なるべく血で汚さないようにしたいものじゃな」平助がにっこりと笑う。
「先生こそお気を付けて。年寄りの冷や水にならないように」黒田も微笑んで裏口から出て行った。
「ふふ、言いよるわい」そう言って平助も立ち上がる。「行って来る」
美佐恵が黙って頭を下げた。
東の見張りは、社務所から一番離れた場所に居た。
まっ黒い服装はしているが、気配を消そうとはしていない。見張っていることをアピールしているようだ。
黒田は境内の塀伝いにその男に近付き、戦いに適した場所まで来ると、男に声を掛けた。
男は予期していたのか、落ち着いた動作で黒田の前まで移動した。
「待ちくたびれたぞ、見張りは俺の性に合わない」
「なら、暇つぶしにお相手願おうか」黒田が浅い半身に構える。
「それはありがたいな」男は深く腰を落とし、脇を締めて両手を前に開いた。
西の見張りがいる場所は、社務所から一番近い。
平助は雑木林の中を、湿った落ち葉を踏んで歩いた。
見張りの男は、倒木に腰掛けてタバコを吸っていた。
「余裕じゃのう、じゃが火事は起こさんでくれよ」楠の大木を背にして、平助は男に声を掛けた。
「なんだ、爺さんか。ハズレ籤だな」男は倒木にタバコを押し付けて火を消し、ゆっくりと立ち上がる。
「案外当たりかもしれんぞ」
「口の減らない爺さんだ・・・ここでいいか?」
「場所は厭わん」
「じゃあ、始めようか・・・」




