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弥勒の拳  作者: 真桑瓜
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新居


新居

                    


槇草と美希の新居は、妙心館から歩いてすぐの所にある。

平屋の一戸建てで小さな庭が付いている。

周りには同じような家が立ち並び、まるで長屋のようだ。

大家は板井作兵衛という世話好きな爺さんで、自分の子供の様に面倒を見てくれる。

彼は、妻を亡くし娘を嫁がせ今は一人暮らしだ、美希が時々惣菜を届けてやるので喜んでいる。

部屋は和室が二間、それに小さな台所と風呂が付いている。

庭の南側には、狸の”しの”の小屋がある。他人が見たら犬小屋かと思うだろう。

しのは家の床下がお気に入りだ。美希が声を掛けるとひょっこりと顔を出す。

今日も、美希が洗濯物を干しながら声を掛けると床下から出て来た。


「しの、今日の晩ご飯は何がいい?」

美希はしのに訊いて見た、しのは美希の顔をじっと見ている。

「鶏皮?ささ身?それとも鯵の開き?」

しのはまだ美希の顔を見ている。

「バナナ?パンと牛乳?」

しのが駆け寄ってくる。

「まぁ、ハイカラだ事。分かったわ、おやつにクッキーもあげましょうね」

しのは美希の足元に纏わりついて来た。

「美希さん、しのにあまり贅沢をさせると太っちゃうよ」

槇草が縁側で足の爪を切りながら笑って言った。

「だって悠さん、しのはまだ子供なのよ。人間の子なら食べ盛りの三歳児」

美希が干したばかりの洗濯物の間から、顔だけ出して答える。

「しょうがないなぁ、きっと俺たちの子供にも甘いんだろうな」

「そう、うんと甘やかしてあげる。その代わり悠さんは空手を教えてあげるのよ」

「あはは、俺が教えなくてもお義父さんと師匠がいるさ」

「ダメ!あの二人絶対に甘やかすもの」

「だって美紀さんも甘やかすんだろう?」

「うん、だから悠さんは厳しくしてね」

「え〜、いいとこ取りだ」

「うふふふ、母親の特権よ」


しのが二人の会話をお座りをして聞いている。

「しの、私たちに子供が出来たら仲良くしてあげてね」美希がしのに優しく言った。

しのが首を傾げる。

「しの、気にするな、美希さんは気が早いんだからな」槇草が言うと、しのは困った顔をして縁側の槇草を見上げた。

「ほら、悠さん、しのが困ってる」

「すまんすまん、しの、今日はクッキー付きだ、あはははは」

しのは、安心した様に縁の下に戻って行った。


その時、玄関で訪う声がした。

「ごめん、悠さんいるかね?」

「あら、大家さんの声だわ」美希が急いで玄関に回る。

「おお、美希さんか。悠さんは?」

「ええ、おりますわ。さあどうぞ上がってくださいな」

美希は、作兵衛を座敷に通し座布団を勧めた。槇草も座敷に入ってきた。

「今お茶を淹れますね」そう言って美希は台所に入って行った。

「大家さん、今日はお早いお越しですね」槇草が笑って作兵衛の前に座る。

「おお、それじゃ。今日は折り入って頼みがあってな」

「何でしょう?」

「実は今朝方、この辺りで不審な男を見かけたと言う者がおってな」

そこへ美希がお茶を持って入って来た。「まあ怖い、いったい誰が目撃したのですか?」

「角のタバコ屋の婆さんと豆腐屋の茂さんじゃ」

「どんな男なのです?」槇草が訊いた。

「うん、顔は髭面で熊のようじゃと言うとった。短身で堅太り、刺し子の着物に袴を短く履いて、棒の様なものに袋をぶら下げて肩に担いでいたそうだ」

「歳は?」

「さあ?髭でよく分からんかったらしい」

「う〜む、よく分からないなぁ、それがどうして怪しいのですか?」

「垣根越しに家の中を覗いて廻っていたらしいんだ」

「誰かの家を探していたのでは?」

「そうかもしれんが用心に越したことは無い、あんた無門先生の弟子じゃろう、ちとその辺を見回ってくれんか?」

「分かりました、大家さんの頼みとあれば断れません」

「良かった、よろしく頼む。タバコ屋の婆さんがうるさくてな」作兵衛はホッと息を吐いた。



「ごめん、どなたかおいでなさらんじゃろか?」

また玄関で訪う声がした。

「今日はよくお客様の見える日ですね」美希が立って玄関に出て行った。

「はい、どなた様でしょう・・・」と言ったまま、美希は固まってしまった。今話題になっている人物と思しき男が目の前に立っているのだ。

「朝から失礼をば致しもす、この辺りに無門平助っちゅうお人が御座らっしゃれんじゃろか?」

ひどい訛りだが、その男は丁寧に美希に尋ねている。悪い人間ではなさそうだ。

「はい、無門先生ならよく存じておりますが・・・今主人を呼んで参りますので少々お待ちください」美希は急いで座敷に戻る。

「美希さん、聞こえたよ、俺が出よう」槇草は立って玄関に出た。後ろから作兵衛もついてくる。

槇草は玄関の上がり框に膝をついて男と向き合った。

「槇草といいます、無門平助は私の師ですが何かご用ですか」

「おお、おはんは無門先生のお弟子さんでごわすか、これはよかところをお尋ねしもした。おいは前田行蔵という武者修行のもんでごわす、是非無門先生に一手御指南ば願いとうて罷り越しもした。どうか取り次いでおくんなはらんか?」

槇草は、見かけは熊のようなこの男の真摯な態度に好感を持った。

「事情は分かりました。しかし師匠は朝が遅い、まだ布団の中でしょう。暫くここで時間を潰していきませんか?次第によっては後で私が師匠のところへお連れ致します」

「そんな、お言葉に甘えて良かとでっしょうか?」行蔵は遠慮がちに訊いた。

「勿論です。さあ、遠慮をなさらずに。狭いところですがお上がりください」

槇草は作兵衛を振り返って言った。「これで一件落着ですね?」

「そ、そのようだね、それじゃ私はこれで・・・」作兵衛はそそくさと帰って言った。

「この辺りの年寄りは、そそっかしいからね」槇草は美希に囁いた。


行蔵を座敷に通した後、槇草は改めて行蔵に尋ねた。「武者修行とおっしゃいましたが?」

「如何にも、そうでごわす。武術の達人ば求めて日本国中を歩いておいもす」

「どこで師匠のことをお聞きになったのですか?」

「そりゃもう、至る所ですたい。ついこの間も千葉の柔術の道場で先生の話を伺ったばかりであいもした」

「ははあ、それでこの辺りを捜しておられたのですね」槇草は頷いた。

「はあ、慣れんところで面目もなかです」行蔵はしきりに頭を掻いた。

「そういう事なら、師匠の所へご案内致しましょう。私もあなたの技が見たい」

一瞬行蔵の目が光った。が直ぐに戻して、「あいがとさんでごわす、よろしゅお頼ん申します」と言った。

機を図っていた様に美希がお茶と茶菓子を持って現れた、「先ほどは失礼いたしました、槇草の家内の美希でございます。主人も武術を志す身、どうぞ話し相手になってやって下さい。やがて無門先生もお目覚めになると思います」

「これはお内儀さん、なんもなんも、気使いせんでおくいやんせ」

それから小一時間、槇草と行蔵は互いに打ち解けて武術談義に花を咲かせた。








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