結婚式
結婚式
1
十月四日大安吉日、槇草と美希の結婚式が行われた。
緊張した面持ちで、槇草は朝十時に式場である住吉神社に着いた。
親族は式の一時間前にここに集合するはずである。
美希は今頃、神社の控え室で着付けをしている頃だろう。
紋付袴に着替えた槇草は、他に何もする事がないので神社の境内を散策する事にした。
神殿の裏手に回り銀杏の木を見上げていると、神殿の床下から微かに動物の足音がした。
見ると、丸い小さな目が槇草を見詰めている。
最初は犬かと思った、だが犬にしては鼻が短い。槇草はもっとよく見るために膝を折ってしゃがんだ。
「狸じゃよ」
後ろから声を掛けられ、ぎょっとして振り向くと、白衣に水色の袴を付けた神主が立っていた。何処か狸に似ている。
「最近ここに住み着いたのじゃ」神主は槇草の驚きを無視して話を続けた。
「その狸はまだ子供じゃ、この前そこの交差点で母親が車にはねられて死んだ。どうじゃ、お前さんそいつを飼わんか?」神主は出し抜けに槇草に訊いた。
「いきなり飼えと言われても・・・」
「お前さん、槇草というのじゃろう?平助から話は聞いておるぞ」
「あっ、師匠のお友達の・・・」
「友達では無い、戦友じゃ。互いに南方で戦った仲じゃ」
「はい、師匠から聞いております、一番苦しかった時期に・・・」
神主は手を開いて槇草の話を遮り再び訊いた。
「その話はよい、それよりも飼うのか飼わんのか?」
いきなり決断を迫られて、槇草は一瞬迷ったが、「飼います!」と答えた。
「うむ、よい決断じゃ。武術家は須らくそうあるべきじゃな」
槇草は、あっけに取られてしまい次の言葉が出てこない。
「お前さんの嫁も小さい頃母親を亡くしておろう、よい供養になるぞ」
神主は平助から美希のことも聞いているようだ。
「この狸は雌なのですか?」槇草は一応訊いてみた。
「さあな、小さすぎてまだ分からん。じゃがここに居ってもいずれ狸汁になるだけじゃからな、アハハハハハハ」神主は豪快に笑った。
「はあ・・・」
「さて、儂も衣替えをしてこよう。今日は男は脇役じゃ、緊張せず堂々と構えておれ、後は儂に任せておくが良い」
そういい置いて、神主は狸顔を撫でながら式場の方に歩いて行った。
「なんだか狐につままれたような気分だな。いや狸だから化かされた気分か?」
槇草は、不思議そうに自分の顔を見ている子狸を見て笑った。
2
美希は式場の着付け室で髪を結いあげ白無垢の衣装を身に纏っていた。
剛三は、控え室で親族と談笑している。
「お綺麗ですよ・・・」
美希に着付けをしていた中年の女性が言った。胸の名札に”志野”と書いてある。
美希には、これが苗字なのか名前なのかは分からなかった。
「長年この仕事をしておりますが、こんな綺麗な花嫁は滅多におられませんよ」
「有難うございます・・・」美希は目元を赤くして答えた。
「いえ、決してお世辞ではありませんよ」着付けをしながら志野は目を潤ませていた。
「どうかなさいましたの?」
「申し訳ありません・・・何でもないのですよ」志野はハンカチで目頭を押さえている。
「あの、もし宜しければ、お話になって。私でよければですが」
「はい・・・あの、このようなおめでたい日にお話しするようなことではないのですが」
「構いませんわ、おっしゃって」
「実は、私にも娘がおりましたのですが・・・」
「はい・・・」
「昨年、交通事故で他界してしまったので御座いますよ」
「それは・・・」
美希は、志野に辛い事を思い出させてしまった事を後悔した。
「あの・・不躾なお願いとは存じますが、今日は娘を嫁に出すと思ってお世話をさせて頂いてもよう御座いますか?」
志野は、にっこりと笑ってそう言った。もう、泣いてはいなかった。
「私の方こそお願い致します。私も母を事故で亡くしておりますので・・・」
「そうでしたか・・・では、お宜しいのですね?」
「はい、よろしくお願い致します」
「有難う、心を込めて努めさせていただきますね」
それから志野は、まるで本当の娘にするように、美希に接した。
美希も、母が生き返ったような錯覚に何度も陥った。
志野は、丁寧に丁寧に、美希が苦しくないようにと気を配り着付けを終えた。
まるで京人形の様に、清楚で艶やかな花嫁が出来上がった。
志野は、鏡に映る美希の姿に、満足そうに頷いた。
「これで私のお役目は終わりで御座います。どうぞ末長くお幸せに」
志野は、丁寧にお辞儀をして着付け室から出て行った。
美希は志野の後ろ姿に、「ありがとう・・・お母さん」と小さく呟いた。
拝殿に神職の奏でる雅楽が厳かに流れている。時間通りに式が始まった。
神様から観て左に新郎右に新婦、同じ側にそれぞれの親族が床机に腰掛け畏まっている。
剛三はもう目を潤ませていた。
先ほどの神主が正服に着替え、御神体に向かって祝詞を奏上している。
流石に年季が入っていて美しい詩の様だ。
槇草も美希も、頭を垂れて神妙な面持ちでそれを聴いている。
三々九度、指輪の交換と進み槇草と美希は神様の前で誓いの言葉を読み上げた。
槇草は緊張していたが、神主と目が合うとなぜか狸の顔を思い出し鼻から息を吐いた。
「誓詞、私共は今日を佳き日と選び、住吉大神の大前で結婚式を擧げました。今後は信頼と愛情とを以って輔け合い励まし合って、良い家庭を築いて行きたいと存じます。何卒幾久しくお守りください。昭和四十三年十月四日、夫槇草悠・・・」
「・・妻、美希」と美希が続けて、誓詞奏上が終わる。
これで式の山は越えた。玉串拝礼、親族杯の儀と続き斎主一拝で式は終わった。剛三は、その間ずっと泣きっぱなしだった。
平助は、披露宴の一時間前に住吉神社に着いた。羽織袴、左手に錦の刀袋を提げている。
社務所を覗くと、老神主が一仕事終えたという顔でパイプ椅子に腰掛けてタバコを吸っていた。
「ガンちゃん、今日は済まなかったな」平助が神主に声をかけた。
神主は煙に眼を細めて平助を見た。
「平助か、今日は本来なら息子に任せておったのじゃ。お前の頼みだから仕方なく祝詞をあげた。ああくたびれた」
平助からガンちゃんと呼ばれた神主は、椅子に座ったまま背伸びをした。神主の名前は岩本善介、戦場では皆からガンちゃんと呼ばれていた。
「そのかわり、お前の弟子に狸を押し付けた」
「狸じゃと?」
「ああ、いつの間にか母子で御神殿の床下に住みついておったのじゃが、母親が事故で死んでしもうてな、飼い主を探していたとこじゃった」
「槇草は、ウンといったのか?」
「うむ、思い切りの良い奴じゃな」
「うははは、きっとお前さんの迫力に負けたのじゃろうて」
平助は苦笑しながら、神主の前にパイプ椅子の背を逆さにして座った。
「それはそうと、今日は居合をやるのか?」神主は平助の提げている錦の袋を見て尋ねた。
「ああ、槇草のたっての望みでな。人前でやるのは何十年ぶりじゃろう?」
「そうか・・・思い出すなぁ、敵の陣地に夜襲をかけた時のお前さんの腕の冴え。惚れ惚れしたぞ。久しぶりに見たいもんじゃ、儂も会場の隅から見学しても良いか?」
「一応槇草には聞いてみるが、嫌とは言うまい。ところで槇草は何処に居るのかのう?」
「さあ、写真撮影が済んだら新婦はお色直しに時間がかかる、新郎は今頃親族の相手で天手古舞であろうよ」
「そうか、では時間までここに居るとしよう」
「終わったら久し振りに一杯やるか」神主は盃を掲げる真似をした。
「望む所じゃ、益々剣の腕が冴えるであろうよ」平助も自然と顔が綻んでいた。
3
披露宴の会場は、神社に隣接する敷地に立って居る。
場内アナウンスが流れ参列者の入場を促していた。
会場の入り口には、槇草と両親、美希と剛三が皆を迎えている。
槇草は紋付袴のままだが、美希は艶やかな色打掛に着替えていた。
皆それぞれにお祝いの言葉を述べている。
「師匠、よくおいで下さいました。本日はよろしくお願い致します」列の一番後ろから姿を現した平助に、槇草が言った。
「おめでとう」
美希が嬉しそうに「ありがとう御座います」と言った。
「神主が儂の居合を見たいと言っておるが、良いか?」
「勿論です」
「そうか、では伝えておく」
宴が始まった。新郎新婦が入場し、席に着く。
客席側から見て、左に新郎、右に新婦、それぞれの外側に媒酌人夫婦が座る。
媒酌人の鯨津が二人の経歴を披露し祝辞を述べた。
その後、槇草の上司、美希の高校の恩師が主賓の祝辞を述べ乾杯に移る。
披露宴のメインは、何と言ってもケーキ入刀だろう。二人で一本のナイフを持ちケーキにナイフを入れた時には、会場中やんやの喝采だった。
平助の居合は、祝電の披露や出席者の余興が始まる前に、清めの神事として行われる。刀は魔を払うといって縁起が良いのだ。
槇草は、平助の動きを絶対に見逃さないようにしようと思った。
「皆様、ここで新郎槇草くんの武術の師、無門平助先生による居合の演武を披露して頂きたいと思います。先生の技は神技の域に達し、新郎新婦のたっての願いでこの場で披露していただける事になりました。普通の結婚式では絶対に見ることの出来ない技をご堪能ください」媒酌人の鯨津が立ち上がって平助を紹介した。
平助は、雛壇の横に設えられた畳二畳ほどの舞台の上に立った。
「あんな狭いところでやるのか?」だれかが囁いている。
平助は日頃から、『居合は、狭いなら狭いなりに、広いなら広いなりに抜け』と言っている。
礼式が終わり、真剣を帯に差して座構えに構える。
一本目は最初から最後まで、とてもゆっくりと等速度で進む。
平助の躰は一調子の間で動いている。
二本目は、額の前で刀が半抜きのまま止まる。
次の瞬間、刀は空間を真下から斬り上げ、後太刀を打って鞘に収まった。
三本目、平助は立ち上がり左手の親指を鍔にかけて構える。
一瞬の光芒が鞘走り、太刀が、今度は真っ向を斬り下げた。
四本目、再び座構えに戻る。
静かに座っている姿が、宙に浮いているようだ。
刹那、音も無く立った時には、刃が十字を斬って鞘に戻っていた。
五本目、一本目と同じようにゆっくりと動いているが、どの瞬間にも毛一本入る隙が無い。
披露宴の客は、息をするのも忘れて見入っている。
平助は、静かに帯から刀を抜き刀礼をして、舞台から降りた。演武の間中無言であった客が、我に返った瞬間どっと湧いた。拍手が鳴り止まない。
「平助の奴、変わらんなぁ」会場の隅で狸顔が呟いた。
その後、歓談と食事の時間になった。祝電の披露や友人による祝辞が続く。
槇草は職場の同僚に散々飲まされていたが、美希は笑ってそれを見ている。
槇草も美希も、お色直しはしない。中座することは、せっかく来て頂いた方々に失礼だと思ったからだ。
宴も終盤に近づき、花束贈呈に移った。剛三がまた涙ぐんでいる。
槇草の父が、緊張しながら出席者に対し謝辞を述べた。
また、新郎新婦に対し先輩として言った言葉が、皆の心に残った。
「結婚とは『責任を結ぶ』と言う事です。『私はあなたに対して責任を持ちます』と、相手の『命』に責任を持つのです」
槇草は参加者全員に対し、心からの謝辞を述べ、立派に宴を締め括る。
司会が閉宴を告げ、披露宴は終わった。
4
平助は社務所で盃を手にして、神主の岩ちゃんと向かい合って座っていた。
岩ちゃんはタバコをふかしながら笑っている。
「平助、相変わらず見事な技だった」
「そうか?歳には勝てん気がしたがな」
「まだまだ大丈夫だ、わしが保証する」
「ふふふ、岩ちゃんにそう言われると嬉しいぞ」
平助は盃に口を付けて、酒を舐めた。
その時社務所の扉が開いて、槇草と美希が入ってきた。
「今日は本当に有難うございました」二人は平助と神主に頭を下げた。
「いや、良い目の保養をした、本当に美しい花嫁じゃった。そうそう、槇草の挨拶も立派じゃったぞ」平助は二人を交互に見て頷いた。
「何だかついでみたいだなぁ」槇草が口を尖らせる。
「あははは、儂が言うたではないか、今日は男は脇役じゃと」神主は笑いながら二人にパイプ椅子を勧めた。
「あの、狸の子がいると悠さんにお聞きしたのですが」美希が神主に尋ねる。
「おお、そうじゃった。ちょっと見てみるかね?」
「はい、お願いします」
四人は神殿の裏手に回った。神主が手を打つと床下から狸の子が顔を出した。
「まあ、可愛い子。こっちにおいで」美希が子狸に向かって手を差し出すと、狸は警戒しながらも近寄り美希の手を嗅いだ。
美希はそっと狸を抱き上げる。
「あなたは今日からうちの子ですよ」美希が狸に囁くと、狸は嬉しそうに美希の顔を舐めた。
「あの、一つお聞きしたいのですが」美希は神主の顔を見つめて訊いた。
「なんじゃな?」
「着付け係に志野さんと言う女の方はいらっしゃいますか?」
「ふむ、着付けは業者からの派遣じゃが、志野という名前は聞いたことが無い。その女性がどうかしたのか?」
「いえ、何でもありません。つまらないことをお聞きしました」美希は話を変えた。「ところで、私達は明日から新婚旅行で熱海に参ります。その間この子を預かっていただけますか?」
「勿論じゃ、安心して行ってくるがよい」
「では、”しの”をよろしくお願いいたします」
「ほう、その名前をつけるのか?」
「はい、この子はきっと女の子ですもの」美希はにっこりと笑った。
翌日、槇草と美希は新婚旅行へと旅立って行った。




