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弥勒の拳  作者: 真桑瓜
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浮沈


浮沈



忍が女学校を卒業してから五、六年経った頃。石炭産業は衰退の一途をたどっていた。

エネルギーが石油に取って代わられようとしている。

豪邸も借金のカタに取られ、一家も離散の憂き目に合った。

もともと父と折り合いの悪かった忍は、残った財産の一部をもらい、それを元手に中洲で店を出す事にした。

川の辺りの、ビルの二階に『スナック忍』をオープンしたのは一年前のことである。

ボックス席側の窓が広く空いていて、川の流れを望む事が出来る。ワインレッドを基調とした上品な店構えだ。


「ジュンちゃん、今日は予約のお客様が二組入っているから、ボックス席の準備をしておいてね」

忍は、店の女の子にそう言いおくとタバコを買うために外へ出た。川風が、頬に心地よい。

中洲の水にも馴染み、常連客もついた。

最新の蓄音機も入れて、自分好みの店に仕上がった。

忍は今、この生活に満足している。

タバコを買って店に戻ると、階段の入り口に男が一人佇んでいた。

「あら、誰かしら?こんなに早い時間に・・・」

忍は、男の姿がはっきりと見えた時、驚愕のあまり声が出なかった。

「ご無沙汰しております」男は、忍に軽く会釈をした。

「あなたは・・・松尾さん?」

「はい、その節はお世話になりました、なのに、お礼も言わず・・・今までそのことがずっと気がかりでした」

松尾は、照れ臭そうにそう言った。

「そんなことより、店に入ってください・・・どうぞ・・さあ、どうぞ」

松尾は、忍に背中を押されるようにして店に入り、カウンターの一番奥の席に座った。

「ジュンちゃん、この人はね、私の一番大切な人なの」忍は、嬉しそうに言った。

「えっ!ママにもそんな人がいたの、だから誰の誘いも受けなかったのね」ジュンが交互に二人を見た。

松尾は、ジュンの憶測はそのままにして姿勢を正した。

「今日は、関の親・・・いや、関さんから用事を頼まれて博多に出てきました。序でと言ってはなんですがこれは開店祝いです・・・少し遅くなりましたが」

松尾は、紅白の水引のついた熨斗袋を、カウンターに置いた。

「そんな・・松尾さんらしくも無い・・・受け取れません」

「いや、今の俺にはこんなことしかできません。ぜひ受け取ってもらわなければ困ります」

忍は、暫く考えてから言った。

「その、他人行儀な口調をどうにかしてくれたら、受け取ってあげます」


松尾も考えていたが、やがて、「そうかい、慣れないことで窮屈だったんだ。なら、お言葉に甘えて寛がせてもらうよ」と言って笑った。

「そうこなくっちゃ」忍は、祝いを受け取り新しいボトルを出してきた。

「これは、二人の再会祝い・・・私からよ」

それから二人は、他愛も無い話をした。互いの苦労話など、聞きたくもなかった。

楽しい時間はあっという間に過ぎた。予約の客が来たのを潮に、松尾は席を立つ。

「また来るよ」

椅子から立ち上がって、財布を出す。

「いいの、今日は奢り。その代わり必ずまた来てね」


階段の下で見送りながら、忍はいつまでも手を振っていた。





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