前祝い
前祝い
「君は、美希のことをどう思うかね?」
「えっ・・・?」
槇草は突然のことに、口を半分開いたまま剛三の顔を三秒ほど見詰めてしまった。
剛道館での稽古の後、槇草は剛三に呼ばれて母屋の座敷に座った。
「君は美希のことをどう思うかと聞いておる」剛三は重ねて訊いた。
「どう思うかとは?」いきなり剛三から問われて、槇草は咄嗟に言葉が見つからなかった。
「嫌いかね?」剛三は畳み掛けるように聞く。
「そ、そんな・・・嫌いなはずはありません」槇草は、強く頭を振った。
「ならば単刀直入に言おう、美希を嫁に貰ってくれないか?」
「えっ!いきなりそんなことを言われても困ります!」
「美希は君を好いておる」剛三は断言した。
「美希さんがそう仰ったのですか?」
「長年美希を育ててきたワシが言うのだ、間違いはない」
「しかし・・・」
「頼む、儂は君ならば美希を託せると思っている」
「しかし・・僕には学歴がありません、工業高校しか出てないんです」
「学歴がなんだ、大学出のサラリーマンに美希をやるくらいなら一生結婚はさせん」
「無茶な・・・」
「無茶は承知だ、観音寺剛三一生の頼みだ槇草君」
「・・・」槇草は無言で剛三を見た。
「頼む、この通り・・・」剛三は畳に手をついて頭を下げた。
「お、お手をお上げください先生。じ、実を言うと私の心の中でも、美希さんの存在は日に日に大きくなっておりました」
「おお、では承知してくれるか?」剛三の顔がパッと明るくなった。
「しかし私には、美希さんを養っていける自信がありません」
「そんなものは暮らしているうちにつくものだ、初めからあるものではない」
「しかし・・・」
「ならば、美希は他の男に嫁がせるがそれでも良いか?」
「えっ!」
「実は儂が指導に行っておる警察署の、署長の一人息子の嫁にどうかと打診されておる。君がもらってくれなければ断る理由がない」
「そ、それは困ります!」槇草の額に汗が滲んだ。
「夢を見たのだ」剛三が言った。「君が美希を抱き抱えて『必ず幸せにします』と言った」
「そ、そんな夢を・・・」
「敏江が・・・亡くなった妻が言ったのだ『美希はきっと幸せになります』と。儂は妻の言葉を信じる。君ならきっと美希を幸せにしてくれるだろう。どうだ、槇草君!」
槇草に依存などは無かった。寧ろ剛三から言いだしてくれた事は有難い。槇草は畳に手を着いて頭を下げた。
「先生のお言葉、身にあまる光栄です。元より僕に依存のある筈はありません。勿論、美希さんが承知してくださればですが」
「美希に否のある筈はなかろう。これで儂の肩の荷も下りた。善は急げだ、美希を呼ぼう」剛三は廊下に出て美希を呼んだ。
「なんですか?お父様」
台所仕事の途中だったのだろう、美希は割烹着を着たまま現れた。
「槇草君がお前をもらってくれるそうだ」
「何ですって!お父様、私のいないところでそんな話をしていらしたのですか!」美希は剛三を睨んだ。
「儂の目は誤魔化せんぞ。お前も槇草君を憎からず思っていたのであろう?」
「私は誤魔化したりしてはおりません!」
美希は剛三から視線を外して槇草の方に向き直った。
「槇草さん、私は父の力を借りずともあなたには打ち明けるつもりでした。こうして父に先を越されてしまいましたが、私の気持ちに変わりはありません」まっすぐ槇草の目を見詰めて美希は言った。
「僕の方こそ、美希さんにはいずれ告白するつもりでした。それが少し早まっただけのことです。美希さんが僕の妻になってくれるのなら望外の幸せです」
「これで丸く収まった、はねっかえりの娘だがよろしく頼む」剛三が槇草に頭を下げた。
「お父様のフライングは許してさしあげます。ちょっと可愛くないキューピッドですけれど」
「ははは、槇草君この通りだ、気をつけてくれよ」
「お父様!」美希は怖い目で剛三を睨んだ。
「槇草君、今日から父と呼んでくれても良いぞ。儂は長いこと息子が欲しかったのだ」
「お父様、気が早すぎます!」
「先生、僕は近いうちに美希さんを実家にお連れします」
「おお、そうか。なるべく早い方が良いぞ。美希、酒の用支度をせよ。今夜は前祝いだ!」剛三は上機嫌で美希に命じた。
槇草は、急な展開に戸惑いながらも嬉しさを隠せなかった。
『今度の大安はいつだったかな?』槇草は壁のカレンダーに目をやった。




