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弥勒の拳  作者: 真桑瓜
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聖夜


聖夜


「久しぶりじゃ、何年振りかのぅ?」

暖房器具といえば炬燵一つしかない座敷に座って、平助が幸長に語り掛けた。

「島袋先生の葬儀以来だから、もう十五年にもなるかな?」幸長は、遠い昔を懐かしむように窓の外を見た。

「そうか、あの時は悲しかったの」平助は頷いた。

「うん、まるで親父が死んだみたいだった」

「その齢に我々も近づいた」

「そろそろお迎えが来ても不思議ではない」

「その時にはもう逢えんのじゃから、今夜はゆっくり呑み明かそう」

「やはり、僕はお邪魔では」槇草は場違いな気がして尋ねた。

「いや、お前さんはいてくれ、爺いだけでは辛気臭くなる」

「そうだ、さっきの話にはまだ続きがあるのだよ」幸長が言った。

「続き?」

「組手の話だよ」

「はい」盃に酒を注ぎながら、槇草は幸長の言葉を待った。

「創意工夫の後、その効果を試すために“掛け試し”がある、今ならさしずめ自由組手といったところかな?」

「じゃが、真剣味においては雲泥の差がある」平助は槇草に言った。「そこで儂は初めて幸長に会ったのじゃよ」

「あれは、花街の四ツ辻だった」懐かしげに幸長は話し始めた。「辻の南に花街があった、私は南西の角の松に隠れて強い相手が来るのを待っていた」

「そうじゃったな、その時儂は北の辻を南の花街に向かって歩いて行くところじゃった」平助は話を引き取った。

「そのままなら、二人が最初に出会うはずだったのだが、西の辻から相撲取りみたいな巨漢が現れた。子分を五人連れておったな」幸長が言った。

「あれは、那覇手の使い手で、仲間順長と言う花街でも評判の悪じゃったよ」

「普段なら私も、数の不利を悟ってやり過ごしていただろうが、その日はよほど虫の居所が悪かったのだろうな、勢いで順長の前に飛び出してしまった」

「順長はニヤリと笑ったよ、別に数を頼んだ訳ではあるまい、私が小柄だったので侮ったのだな」

「儂は見ていて危ないと思ったな。順長だけなら何とかなるが後の五人が厄介だ、順長が危なくなれば必ず手を出してくる」平助が言った。

「案の定、五人に逃げ道を塞がれた。ま、逃げる気などなかったがな」幸長は笑った。

「儂は暫くの間、高みの見物を決め込んだ」平助も笑った。

「奴は強かったな、初めのうちは形成不利。だが余裕をみせ始めたところで隙ができた。私は順長の脛を、足刀で蹴込んでおいて懐に飛び込んだ、順長は見事に飛んで行ったよ」

「柔術なら“衣被ぎ“と言う技じゃよ」平助が補足した。

「こんな小さな男に投げられたのでは面目が丸潰れだ、順長は血相を変えて向かってきた、私は今だと思った。さっきの技を試したのだよ」

さっきの技とは、『抜塞』の中のあの技だろう。

「順長は倒れ、そのまま動かなくなった」

「予想外の展開だったと見えて暫くは誰も動かなかったが、突然弾かれたように五人が動いた」幸長は酒で喉を潤した。

「同時に儂も動いたな、無意識なので止めようがなかった」平助が言った。

「平助が三人、私が二人を倒した。私は怒った、『邪魔をするなっ!』てね」幸長は笑った。「そして私は、いきなり平助に飛びかかった」

静寂が訪れ、しばらくの間三人はちびりちびりと酒を啜った。

「あの時は、まだ若かったのだな」幸長が囁くように言った。

「ヘトヘトになるまで殴り合ったものな」平助も呟いた。

「どちらからともなく『引き分けだ』と声をかけた」

「その後だ、あの酒場に行ったのは」平助が思い出したように言った。

「あの酔っ払いのじいさんが踊っていた店か?」幸長が問い返す。

「うん、あの時儂は初めて沖縄の怖さを知った」平助は目を瞑った。

「ははは、沖縄の怖さを示したのは私ではなかったのだな?」

「ふふ、じゃがあれが縁で儂も島袋先生に世話になるようになったのじゃからな」

二人は昔を思い出すようにまた黙って酒を呑んだ。

「知っているか?」唐突に幸長が言った。

「何を?」

「先生の奥様が朝、先生を起こしに行く時長い箒を持って行っていた事を」

「いや、知らんな」平助が不思議そうな顔をする。

「先生は眠っていても油断がない、人が近づくと無意識に技が出る」

「だから箒でつついて起こしたのか?」

「そうだ、それを知らない新米が、先生を起こしに行って酷い目にあった。もう名人のレベルだな」

「はは、それは知らんかったよ」平助は可笑しそうに笑った。

「ところでその奥様は・・・」平助は師匠の妻の消息を訊いた。

「去年身罷られた」

「そうか、墓参りに行かねばな。この躰の動くうちに・・・」


「これは、県人会で聞いた話だが」話が湿っぽくなった所で、幸長が話題を変えた。「近頃沖縄の空手界では困った現象が起きているらしいのだ」

「ほう、どういう現象じゃ?」

「『型』だよ、沖縄から渡ったはずの空手が近頃逆輸入されて本土の真似をしているという」

「型試合のことか?」

「そうだ、『型』は他人と比較して優劣をつけるようなものではない、もっと絶対的なものだ」

「そのはずだが?」

「それが、試合に勝つためにどんどん派手になり華美に流れ本質からずれて行く」

「人に見せるための『型』になってしまった?」

「もう『型』は絶滅寸前だ」幸長の顔が厳しくなる。「嘆かわしいことだが、私にはどうすることもできん。私に出来る事は、一人でも多くの弟子に生きた『型』を伝えることだ」

「今の空手が道を見失って迷った時に、帰る家を残さねばな」平助は槇草を見た。「そうじゃろう槇草よ?」

「はい、その通りだと思います」槇草は、自分の負わされた責任が予想以上に重いものだと知った。


次の日、幸長は「駅まで見送ります」という槇草の言葉を断って一人で帰って行った。

平助は、幸長の姿が見えなくなるまで、ずっと見送っていた。

今度いつ逢えるのか・・・何の約束も交わさないままに。

昭和四十七年五月に沖縄が返還される一年前の出来事であった。






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