鍔隠れ
鍔隠れ
篠塚は丸山の斜め前にあるスナックで飲んでいた。
しかし、グラスの酒はほとんど減っていない。
豊嶋組の若い者に丸山を見張らせている。平助が出てきたら知らせるように言いつけた。
不意にドアが開いて見張りに立たせておいた若者が入って来た。
「出てきましたぜ、錦小路の方へ行きました」小声で篠塚に耳打ちする。
「ご苦労だった、お前は帰れ」
「しかし・・・」
篠塚が睨むと、若者は黙ってしまった。
「もう帰ることはないと親分に伝えてくれ、世話になったとな」
篠塚は音もなく出て行った。
丸山を出た辺りから一つの影がついてくる。
平助は振り返らずに人ごみの中へ入って行った。
少し行ってから、今度は人通りの少ない道を選んで歩く。
影は相変わらず等距離を保ってついて来た。
平助はアーケードを抜け脇道に入った。
平助はだんだんと人通りの少ない方へ向かっている。
篠塚はその意図を察した。
脇道の先に忘れられたような児童公園があった。ブランコや滑り台の影が見える。
平助がその中に入って行った。
篠塚が公園に足を踏み入れると、平助がこちらを向いて立っていた。
「この辺でよかろう」平助が言った。
「やはり知っていたのか」
「もう、腕は治ったのか?」
「ああ」
「思い直す気はないかの?」
「無い!勝っても負けても俺は豊嶋のところへは戻らない。この福岡にもな」
「ならば仕方がない」
篠塚は靴を脱ぎ捨て足場を確かめた。
平助は雪駄を脱いだ。ザラザラとした感触を足裏に感じた。
篠塚は猫足立ちに右構えた。手は開手で正中線を守る。
平助が自然体に構えると右腕がゆっくりと上がって行き、拳が顔の前で止まった。
平助の眼が、拳に隠れて見えなくなった。
篠塚は困惑した。平助がどこを見ているのかわからない。
篠塚は動けなくなった。
平助は、両眼の視点をずらしていった。
拳を透かして篠塚を見る。
篠塚の眼の前で、拳がどんどん大きくなっていった。
錯覚であることは分かっている。しかし、拳の巨大化は止まらない。
ついに平助の姿が拳に隠れた。
篠塚は、平助の姿がどうしても見たくなった。上体を右に曲げて拳の端から覗き込むようにした。
その刹那、篠塚は喉に焼け火箸を突き込まれるような痛みを感じた。
息が止まりそのまま地面に倒れた。
意識が遠ざかって行く。
「・・・篠塚、必ず福岡に帰って来い」平助の声が聞こえた。
どれくらい経っただろう。目を覚ますと雨が降っていた。
篠塚は声を失っていた、もう一生出ないかもしれない。
しかし篠塚は満足だった。鍔隠れ、剣豪伝説の中でしか訊いたことのない技。
失うものもあれば得るものもある。
『あの境地まで俺も行く』篠塚は立ち上がった。
篠塚の姿は、再び福岡から消えた。




