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弥勒の拳  作者: 真桑瓜
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槇草の恋


槇草の恋


槇草は美希と歩いていた。なぜこういう状況になったのか分からない。

平助の勧めで最近よく剛道館に出稽古に来る。

観音寺剛三の教える型『三戦』は、一言で言うなら重厚で軽い。

矛盾するようだが他に形容の仕様がない。

呼吸と動きが一体となり、集中力が増せば正に動く禅だ。

沖縄空手の真髄がそこにある。

名人の域に達すれば一呼吸の中に型が終わるという。

篠塚のいなくなった剛道館は皆伸び伸びとしている。恐怖に萎縮することがなくなったからだろう。

門下生とも仲良くなった。新しい師範代の吉田とはたまに飲みに行き、武術談義に花を咲かせる。

剛三はそんな槇草を好もしく思っているようだ。

今日、剛道館に稽古に来たら、帰りに美希が門の外で待っていたのだ。

「駅の近くまでご一緒してもよろしいかしら?」

美希は所用で出掛けるところらしい。

「はあ、僕は構いませんが・・・」

槇草は困惑した、美希と面と向かって話すのは初めてだ。

「近頃、無門先生に可愛いお弟子さんができたそうですね?」

「はい、中学二年で福と言います、師匠はまるで孫のように可愛がっております、たまに酒を飲ませようとするので困っておりますが」

「まあ、よほど可愛いのですね」

「俺と同じで剣道をやっていたのですが、スポーツではない武道がやりたいと言って入門したのです」

「父も武道のスポーツ化は仕方がないと言っておりますが、なんだか寂しそうですよ」

「時の流れには逆らえません。我々は我々の道を行くだけです」

槇草は生真面目に返答をした。美希が話題を変えた。

「ところで槇草さん、狂言はお好きですか?」

「えっ、狂言って、あの狂言ですか?」

「そう、あの狂言」

「いや、まだ見たこともないです」

「では、今度の日曜お暇ですか?」

「はあ、一応非番になっておりますが」

「それでは、十二時に堀端の能楽堂にお出で下さい・・・ご迷惑でなければですが?」美希はじっと槇草を見つめた。

「迷惑だなんて・・・」槇草はしどろもどろになって言った。

「では御約束しました、能楽堂の入り口でお待ちしております」

美希はお辞儀をして駅とは違う方向に向かって去っていった。

「狂言かぁ、寝ないようにしなければいかんな」槇草は独り言を呟いた。


当日、美希は和服で能楽堂の入り口に立っていた。

「遅くなって済まんです」槇草は美希に言った。

「まだ十二時前ですわ」美希はにっこりと微笑んだ。


開演は十二時半だ。席についてパンフレットを読む。

今日は狂言師宗像萬蔵の独演会らしい。

開演時間になった、萬蔵が挨拶に出る。

槇草は目を見張った、動きが武術と同じ順体だ。

昔、能・狂言は武士の嗜みだったという。武士の体捌きが能や狂言に取り入れられて残ったとしても不思議ではない。

足運び重心の移動など武術に通じるところが多い。

ただちょっと姿勢が良すぎると槇草は思った。

狂言三番の中「呂蓮」という出し物の時、槇草は「名」について考えた。

旅の僧が宿の主人に「名」をつけるという内容だ。

「名」は、動きを固定してしまう、空手で言えば“上段受け”と名をつけるから“受け”にしか使えなくなる、抽象性が消え即物的な現象のみが残り応用が利かなくなる。

これが「型」の形骸化だ、と槇草は思う。

あっという間に三番が終る。眠る暇などなかった。

 「いかがでしたか?」帰りの電車の中で美希は槇草に訊いた。

槇草は嬉々として、体捌きの事や、「名」に関する自分の考えを語った。

「槇草さんは武術の事になると、本当に楽しそうにお話なさるのね」美希は可笑しそうに笑う。

「済まんです、世間の話題には疎いもんですから」槇草は頭を掻いた。

「そんな槇草さん、私は好きですよ」

「え・・・?」

「またお誘いしますから付き合ってくださいね、今度はお弁当を作ってきますから」

「俺も・・、いや僕も師匠に着物を借りて着て来ようかな」

「まあ、楽しみ!」美希も嬉しそうに笑った。





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