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弥勒の拳  作者: 真桑瓜
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帰還



帰還


篠塚が舞い戻って来た、という噂を聞いたのは三日前だった。

剛道館の門下生が、飲み屋街を歩いている篠塚を見かけたのだ。人相の悪い男たちと一緒だったという。

この報せを持ってきたのは美希である。平助は槇草には黙っておくように美希に釘を刺した。

篠塚はきっと槇草を付け狙う、その前になんとかしなければ。

オカマのケンちゃんを助けたのも情報を集めている途中だった。

ケンちゃんは『お礼をしたい』と言った。篠塚の話をすると『何かわかったら丸山に連絡する』と言っていた。

松尾の親分には迷惑をかけたくない、今夜も丸山でケンちゃんからの連絡を待っていよう。

階段を上って重い木の扉を開けると金髪の後ろ姿が見えた。が、その隣には白髪で恰幅の良い和装の男が座っていた。

男の横には黒いスーツ姿の男が立っていた。他に客はない。

「先生、お久しぶりです」和装の男は立ち上がり平助に手を差し出した。

「親分か、何故こんな所にお出でですかな?」平助は松尾の手を握り返しながら訊いた。

「水臭いことは言いっこなしですぜ。話はケンから聞いた」

「先生、ごめんなさい。親分に睨まれたら誰だってしゃべってしまうでしょう?」

「おまえさんに頼んだ儂も悪かったよ」平助は諦め顔で言った。

「さあ、座って話を聞きましょうか」松尾は平助のために椅子を引いた。

平助は立っている男を見た。

「この男は黒田と言います。座れと言っても座らない、俺を守っているつもりなのでしょう」

黒田は引き締まった体格の目付きの鋭い小柄な男だ。若いが武道の心得があることは間違いない。

「触れれば斬れる抜き身のようじゃな」平助はわざと黒田の前を通って椅子に座った。

黒田が壁際に身を引いたが、平助は首筋にヒヤリとした感触を感じた。


平助は今までの経緯を掻い摘んで話した。松尾は黙って聞いていたが、平助の話が終わると言った。

「近頃、豊嶋組の組長が恐ろしく強いボディガードを雇ったそうです」

豊嶋組は、最近のし上がってきた新興の暴力団であり松尾組とは対立関係にある。

「そいつが空手を使うと聞いた。なんでも豊嶋を狙った平田組の鉄砲玉が返り討ちにあったそうです」松尾は黒田の方をチラッと見たが、黒田は動かない。

「間違いなさそうじゃな。あとは儂がなんとかするから親分は手を引いてくれ」平助は松尾に言った。

「それがそうもいかんのですよ。この前ケンをいたぶっていたのは豊嶋組の奴でしてね」松尾はグラスの酒で唇を湿した。「このままでは子分たちに示しがつかんのです。あそこは松尾組のシマですからね」

その時、入り口のドアが開いて男が入ってきた。

「おう中川か、どうした?」松尾は振り返って訊いた。

「親分、豊嶋の組長が“白い靴”に現れました。例の用心棒も一緒ですぜ」中川と呼ばれた男が言った。

「そうか、俺も舐められたものだ」

松尾は自嘲気味に言って暫く思案する風をしていたが、やがて口を開いた。

「“分田中”の離れを予約しろ。それから青木に豊嶋を迎えに行かせるんだ、丁重にお連れせよと伝えておけ」

“分田中”はこの歓楽街では老舗の料亭だ。

「へい、承知いたしました」中川は腰を割って挨拶し出て行った。

「と、いうわけです先生、あとは高見の見物と洒落てみてはいかがですかな?」

「ふむ、儂の出る幕はなくなったか」平助はちょっと寂しそうに笑った。



松尾組の若頭、青木は“白い靴”のドアを開けた。

舎弟たちが一緒に行くと言ったが叱り飛ばして一人で入った。

十人ほどの一団が店の奥のボックス席にいる。

パリッとしたスーツを着こなしているのが豊嶋だろう。一見サラリーマンの重役風だ。

青木が近づくと子分達が一斉に立ち上がった。

子分の一人が青木の前に立ち塞がる。

青木はいきなりそいつを張り倒した。

子分たちが殺気立つ。

青木はスッと腰を割って仁義を切った。

「お初にお目にかかりやす、あっしは松尾組の若頭、青木というケチな野郎でござんす。以後お見知り置きのほどよろしくお頼み申します。ただいまこうして参上いたしましたのは他でもありません。うちの松尾が申しますには、本日せっかく豊嶋の親分さんが中洲においでいただきましたのに、ご挨拶もしないのでは心苦しい。つきましてはお粗末ではございますが、一席設けましたので是非ご足労願いたいとのことでございます」青木は値踏みするようにぐっと豊嶋を睨んだ。

豊嶋は殺気立った子分たちを制して鷹揚に頷いた。

「松尾組の若頭が、直々のお迎えとあらば無下にお断りするわけにも参らんでしょう。だが一人というのも子分たちが心配する、二人ほど連れて行きたいが依存はありますまいな?」豊嶋は青木を睨み返した。

「へい、もちろん依存のあるはずが御座いません」青木は豊嶋の支度を促した。

「お前達は先に帰っていろ」豊嶋は子分達に向かって言った。

「しかし親分・・・」

「心配するな、筋を通すだけだ。大勢で行けば角が立つ」

豊嶋は青木に向き直った。「案内を頼む」

「急ぐこともありますめぇ、ゆるりと参りましょうか」




松尾と平助は“分田中”の離れで豊嶋を待った。黒田も一緒だ。

「親分、ここは世間とは遠い場所、どうとでもご自由にお使いくださいまし」女将は松尾に酌をしながら言った。

「女将、急なことですまねぇな」

「ほほほ、何をおしゃいます。親分の頼みならお安い御用です」そう言って女将は艶やかに笑った。

枯山水の庭がライトアップされて異次元の世界を演出している。

上座は豊嶋のために空けてある。

「親分、格から言えば上座は親分だろうが、なぜ譲られる?」平助が訊いた。

「客は上座と決まっておりやす、格に拘って通る話も通らなければ意味がありますめぇ」

「ふむ、親分はちっとも変わっておらんな」

「ははは、成長が止まっておるのですよ」松尾は屈託なく笑った。



青木が豊嶋を連れて”分田中”に現れた。

篠塚は平助の顔を見て、驚きを隠せなかった。

豊嶋は一瞬怪訝な表情で篠塚を見たが、素知らぬ顔で座敷に入った。

始め固辞した豊嶋だが、松尾に押し切られた形で仕方なく上座に着いた。

「上も下もねえところで話がしたい」と松尾が言ったからだ。

松尾組の青木と黒田、豊嶋組の若頭江藤と篠塚は次の間に控えた。

皆が席に着いた所で、松尾が口を開いた。

「こちらは、私の旧知のお人で無門平助先生だ。今日は是非先生をあんたにお引き合わせしたかった」

「先生のお名前は存じ上げております、既に伝説となられたお方にここでお会いできるとは・・・」豊嶋が言った。

「ほう、どんな伝説かな?」

「先生が食客になられた組のシマでは、争い事がピタッと収まる・・と」

「昔の話じゃよ、今の儂にそんな力はない」

「ご謙遜を・・・」

「豊嶋の、あんたが無門先生を知っているなら話が早い」松尾が切り出した。「そこの用心棒、名前は・・・」

「篠塚です」豊嶋が答えた。

「その男と博多駅の一件、相殺しちゃくれねぇか?」

「ほう、それはどういう事ですかな?」

「博多駅は俺のシマだ、そこを荒らされたとあっちゃあ黙っている訳にはいくめぇ。だがその男を組から追い出してくれたら、あの事は忘れよう、という事だ」

「俺を頼って来た人間を追い出すとは穏やかじゃありませんねぇ。無門先生と関わりがあるのですかな?」

「率直に言おう、うちの弟子に手を出さないことを約束して欲しいのじゃ」松尾の話を引き取って平助が言った。

「何か事情があるようだが、おまえはどう思っている?」豊嶋が篠塚に訊いた。

「狙った獲物は逃がさない。俺は槇草を倒す為に舞い戻って来た。組を追い出されても目的は果たす」

「そうか、ならばこの儂が相手になるが?」平助が篠塚を見据えた。

「望むところ、無門平助と刺し違えれば本望だ」

「では仕方がない、女将には悪いが枯山水の庭を汚させてもらおう」

平助が腰を浮かせた時、初めて黒田が口を開いた。

「ちょっと待ってください」

「何だ、黒田?」松尾が訊いた。

「俺がやる」黒田は篠塚を見据えた。

「さっき丸山で先生が俺の前を通った時、俺は三度斬られた。こんな事は初めてだ。俺に勝てなければ先生には勝てまい」

篠塚は目を細めて黒田を見た。「誰が相手でも構わない。俺の前に立つ奴は、誰であれ倒す!」

「青木、お前はどう思う?」松尾は青木に聞いた。

「へい、あっしはこの二人の殺し合いを見とうござんす、男の喧嘩は半端じゃいけねえ」

「江藤はどうだ」豊嶋が聞いた。

「俺も見たい。結果がどうでもあとは恨みっこなしだ」

「先生、ようござんすか?」松尾が訊いた。

「儂は親分の考えに従うよ・・・」



庭に降りた篠塚と黒田は、向かい合って立った。

それほど広い庭ではない。何処に立つかが勝敗を大きく左右する。足元は白い砂利、灯籠やら石やらの障害物も多く下手をすればこれが命取りになる。

いきなり篠塚が左手の灯籠に向かって跳んだ。

篠塚の躰は無重力のように浮き上がり、灯籠の傘を蹴ってさらに高く舞い上がった。

奇襲の三角飛び。急角度で篠塚の蹴りが落ちて来た。

が、すでにそこには黒田の姿はない。

黒田は篠塚の着地の瞬間を狙って、背後から首に腕を巻き付けた。

一瞬篠塚の首が後方に折れた。

次の瞬間、黒田の鼻から血が吹き出した。後頭部での頭突きがまともに黒田の鼻を潰したのだ。

篠塚は振り向くと同時に黒田の眼を突いた。

五本の指を開き、中指を敵の鼻梁に沿わせれば正確に相手の眼を潰す事が出来る。

黒田は飛び退がってこれを躱し、間合いを切った。

黒田の呼吸が乱れた。

不意に篠塚の右足が上がった。なんの予兆も見せない半月蹴りが黒田の脇腹にめり込む。黒田が蹲ると篠塚の肘が落ちて来た。

肘が黒田の頭部を砕いたと見えた時、黒田は右手で篠塚の左脚首を強く引きつけ、左手で膝を外側に押し込んだ。

篠塚はもんどりうって白い砂利の上に倒れた。

黒田は立ち上がり篠塚の顔面を踏みに行った。容赦のない攻撃である。

篠塚は両腕を交差してこれを受けた。ミシッ!と骨が鳴った。

黒田は素早く篠塚の右腕を抱えるとそのまま自分から仰向けに倒れた。黒田の左足が篠塚の首に掛かった。

腕ひしぎ十字固め。一気に篠塚の腕を折りに行く。ミシミシッと骨の軋む音がした。

遂に、腱の千切れる不気味な音が庭に響いた。あと少し黒田が力を加えれば篠塚の腕は折れる。

その時、座敷で二人の戦いを見ていた者達は、形容し難い絶叫を聞いた。

黒田が左足を抱えて、庭を転げ回って苦しんでいる。

篠塚が左手で右上腕を抑えて立ち上がった。

「ベッ!」幽鬼のような表情で篠塚が肉片を吐き出した。

篠塚はゆっくりと黒田に近づき右足を高く上げた。

ひゅっ!と、盃が飛んできた。篠塚が顔を背けて躱すと、向こう側の岩に当たって砕け散った。

「それまでだ!」平助が叫んだ。

「篠塚、その辺でやめておけ!このままではどちらかが死ぬことになる」豊嶋が言った。

「もとより承知のこと」篠塚が座敷を見上げながら嘯いた。

「お前の気持ちはわかるが、今ここで死人を出すわけにはいかん。組の命運がかかっているのだ!」豊嶋が篠塚を宥めた。

「青木、若い者を呼べ、黒田を病院に連れて行くのだ」松尾が青木に命じた。

「へい、分かりやした」青木は立ち上がって出て行った。

「無門平助、次はお前だ。首を洗って待っていろ」篠塚が平助に言った。

「面白いな、平和すぎて退屈しておったところじゃ」

「篠塚、お前は俺たちを敵に回すことになる」松尾がどすの利いた声で忠告した。

「構うものか」篠塚は右手を抑えてゆっくりと後退し、裏木戸を開けて出て行った。

篠塚の背中を見送ってから豊嶋が松尾に頭を下げた。

「松尾さん、篠塚は私に任せてください。悪いようにはいたしません」

「ほう、どう始末をつけるつもりだ?」松尾は豊嶋を見据えて訊いた。

「篠塚を捕まえて、必ず連れて参ります」

「どういう風の吹き回しだ。松尾組に喧嘩を売るつもりじゃなかったのかい?」

「そのつもりでしたがやめました。私のような駆け出しのペーペーが、親分のような大貫禄に喧嘩を売ったとあっちゃ、世間が許さんでしょう」

「豊嶋の親分」平助が豊嶋に向き直るった。「親分を男と見込んで頼むのじゃが」

「何なりと」

「篠塚を連れて来なくとも良い。ただ、生きれるようにしてやってくれ。奴は死にたがっているようじゃ」

「出来る限りの事を致しましょう」

「頼む」平助は豊嶋に向かって頭を下げた。


その後、再び篠塚は消息を絶った。

平助は篠塚に自分の若い日の幻影を見た。

いらぬお節介だと言われそうだが、篠塚の将来が気に掛かった。

『きっと助けてやる』

平助は切実にそう思った。






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