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幻の鎮守府  作者: 凪沢渋次
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7.調査の果て

 あかね色に染まった海を背景に、大型のヘリコプターが黒い影となって飛んでいく。

 冷房のよくきいた部屋にいても、この色の景色を見ていると、少しの蒸し暑さと息苦しいような切なさを感じるのは何故なのか。

 昼間、数百名を動員して決行した小林確保作戦が空振りに終わった我々だったが、その撤退もまた素早かった。かなり大規模な作戦展開ではあったが、特殊部隊のあまりの俊敏さのおかげで、街行く人のほとんどが、その事実に気がついていなかったようだ。そう考えると、日本の自衛隊の作戦遂行能力の高さを身近に感じられたのが、本日の収穫の一つだったかもしれない。


 今はプロジェクトの大本営である「大澤邸」のリビングで、私は夕焼けの太平洋に目を細めていた。

 高台にあるこの屋敷は、昭和初期、国政で敏腕政治家として活躍した、大澤栄二郎の別荘だった。私邸でありながら、ここを使用する際の主な目的は、政治家同士の密談、海外要人との密約、財界のドンとの契約交渉の場であったらしい。現在なら誰で知っているような法律や、条約の一部は、この屋敷の、このリビングで決まったものが少なくないという。

 今は政府が管理しており、「大澤邸」と言いながらも、一応“国の施設”として機能している。館山の自衛隊関係者はもちろん、地元の政治家、財界人、そして、国の官僚や政治家たちが、とても重要な、なおかつ誰にも聞かれたくない話をするときは、高級料亭ではなく、このような私邸を利用しているのだ。今回の作戦は、館山自体に目的があったでここに本部機能を持たせたが、本来は、東京から離れた場所で内緒の話をするための場所なのだ。実はこのような場所は全国各地に数多くあるらしい。政治家にはいったい、どれだけの“秘密”があるのだろうと勘ぐってしまう。

 程なくして、2階から永谷が降りてきた。その階段を踏む音をきっかけに、私と山崎はソファにつき、今回の「成果」について、永谷に報告する体制に入った。山崎は既に戦闘服を着がえ、いつものラフなシャツ姿になっていた。

 相変わらず無駄を嫌う永谷なので、作戦を労う言葉も、失敗を責める言葉もなく、ただ、

「始めましょう。」

 とだけ言った。

 そう言いながら永谷は視線を落とし、何かを見つけたようだった。大理石の天板が乗っている重たそうなローテーブルの上には、小さな千代紙で折られた人形が数点置かれていた。永谷がそれを見つけたのを確認した上で、

「これが今回の成果です。」

 私は、努めて冷静に報告を始めた。

 永谷は折り紙をつまみ上げて、目の高さまで持っていき、

「何でしょう?これは。」

 と、珍しく、興味を示した。

 人形はどこをどう折るとそうなるのか、全くわからなかったが、小さな“犬”の形をしていた。それらは赤や橙、紫や深緑の和柄が施されており、色彩とデザインの愛らしさもあったが、それ以上に、精細に組み立てられているその技術の高さに、数学的“美”を感じる作品でもあった。

「小林邸の地下室に、祭壇のようなものが設けられてありまして、この人形がいくつも飾られていました。そして同じものが安房神社にも。」

 私は、今度は胸ポケットから、同じように折られた“犬”を出し、ローテーブルに並べた。

「つまり?」

 永谷はソファに深くかけ直し、私の話をゆっくりと聞く体制に入った。


 私は、妄想とも言われかねない壮大な仮説を、ここから延々と話すことになる。

 本当は自分の研究として独自に調査を進めたかった。しかし、計画がここまで大事になると、このチームに隠しておくのは不可能だ。何せ、相手は“国”なのだから。

 ポジティブに捉えれば、“国”を巻き込むことで、私の研究は格段に進む。今から永谷にする報告は、私にとってはプレゼンなのだ。私の研究のために、“国”を動かせるかどうかの。


 戦時中、館山に海軍鎮守府を建設しようという計画が水面下で進められていた。そして横須賀の基地にいた雨宮海軍中将がその資金集めの音頭をとった。実際にかなりの資金が集まり、それは金塊という形でこの館山の地に運ばれるはずだった。しかし、その途中、空襲に遭い、金塊を積んだ船は東京湾に沈んでしまう。その後、館山の漁師たちによって金塊は引き上げられ、海軍施設のどこかに運び込まれた。引き上げから、さらに金塊をどこかに隠す指揮をとったのは、おそらく小林の祖父、小林宗一郎だ。宗一郎にはそれだけの力があった。金塊を自分の屋敷のどこかに隠しておくことなど朝飯前だったはずだ。

しかし、ここまででは宗一郎がただの泥棒になってしまう。もちろん、金塊は宗一郎からしても“お宝”であったろう。しかし、地元ですでに大きな権力を持っている宗一郎が、政府の、海軍の金塊を横取りするリスクを犯すとは考えにくい。

 ここで私は発想を切り替えた。この金塊奪取劇には、元々政府が絡んでいたのではないか?小林宗一郎は、国家のために一肌脱いだのではないか?という発想だ。

 そもそもだ。いくら当時海軍の人気が高かったからとは言え、戦時中の、日本中が貧しかった時代に、鎮守府建設のためとは言え、そんな大金が集まるものなのだろうか?

 実は、この資金集めの段階から、宗一郎が暗躍していた可能性がある。そして、どうして小林家にそんなことができるのか?を考えていくうちに、そこには宗教、信仰の力が介在していると考えるに至ったのだ。

 ここでもう一つの要素、「里見講」が浮上する。館山の地には、かつて里見氏という大名がいて、この武将自らが金融業を営んでいた。各地から資金を集め、それを膨らませて返金するという、いわゆるファンドビジネスが、すでにこの地に根付いていたのだ。そしてそれを可能とさせていたのが、どうやら稲荷信仰だった。各地にある神社、お稲荷さんは、商売の神様として、とても深く愛され、根強く信仰されており、そのネットワークを使うことで、多くの資金を集めることができた。里見講は稲荷神社のネットワークを使って、資金調達から資金運用までを行っていたのだ。

 ここで最後の疑問が残る、ではいったい、里見氏と稲荷信仰はどこでつながっているのだろう?これが私の研究の肝となる部分なのであった。


 長くなるのはわかっていたが、私はあえて、事細かに、順を追って最初から、考察の過程の全てを説明した。永谷も表情を変えずに粘り強く聞いてくれていた。そして私の解説が里見氏の話に入ったところで、永谷がゆっくりと私を制して、口を挟んだ。

「里見氏は江戸時代に入ってすぐ改易になっています。その後は稲葉氏が館山に入ったと記憶していますが。」

 さすがに永谷も、この作戦の指揮を取るために、いろいろとこの地の歴史を調べてきたようだ。確かに永谷の言うとおり、里見氏は中世からこの地を治めていた武将で、江戸時代に入っても館山藩主となったのだが、江戸幕府によりすぐに取りつぶしとなり、館山城自体も廃城となっていた。ちなみに稲葉氏は、その後も城は持たず、山の麓に屋敷を構えてこの地を統治していた。

「おっしゃるとおりです。しかし、里見講だけは死なずにその後も続いていたのです。」

 私の言葉に、永谷の目が少し見開かれた。山崎も私の話に全神経を集中させているのがわかった。ローテーブルの“犬”たちが、大理石に長い影を作り始めていた。


 私の専門は、日本の海軍の歴史だ。現代史の中でも特に偏った研究対象ではあるが、資料も少なくはなく、また生き証人もいたりするので、比較的、全体像を掴みやすい学問ではある。軍を研究することは、そのまま当時の思想や政策を学ぶことにもなり、社会学や民俗学的なアプローチをする研究者も多い。そのようなジャンルなので、そこからさらに古い時代に遡るような方法論で研究を進めることがあまりない。今回も、私は、そもそも海軍の戦略について調べていた。もしも、あの日終戦を迎えていなかったならば、日本海軍は、次にどのような戦略で、あの難局を乗り切ろうとしていたのか?それを調べていたのだ。

 館山鎮守府構想自体は、比較的すぐに資料に現れた。同じように基地や施設を増やす構想は全国各地にあったので、その中の一つ、くらいに考えていた。しかし、調べていくと、不思議なこと、例えば、現在の価値にして6兆円もの資金を集めていたことや、それが東京湾に沈んだという都市伝説的なストーリーがどんどんと出てきたのだ。そこで私は、現代史の学者としては珍しく、歴史を遡ることにした。海軍の成り立ち、雨宮中将の生い立ち、そしてこの館山という土地の歴史に至るまで、とことん調査対象を広げてみた。その結果、ぶち当たったのが「里見講」であった。「里見講」の地に鎮守府の建設構想が立ち上がった、という逆転の発想から、再度、これらの事実を並べ替えてみると、さらにいろいろと検証すべき項目が浮き彫りになってきた。稲荷信仰について、中世の金融について、普段当たらないような資料まで当たって、あらゆる角度から研究し考察してみた。そして自分なりの結論が形になってきたのだ。それは余りにも現実感のないもので、これまでの私のキャリアを棒にふりかねない、オカルトめいたものだった。それでも、そうと仮定するしか、いろいろなことのツジツマが合わない、ということころまで来ていたのだ。


 窓の外の海はすっかり色を失い、漆黒の中に点々と、わずかな街の灯を映すだけになっていた。

 ローテーブルの上に、私は新たに一冊の書物を置いた。「本」ではなく「書物」だ。古びた和紙が無造作に束ねられているそれは「書物」と呼ぶに相応しい様であった。

「これは?」

 永谷が短く尋ねた。山崎も声には出さなかったが、同じ問いを視線で訴えてきた。

「この土地と稲荷信仰を繋げる証拠です。」

 書物が傷まない程度に、優しく力をかけて、グイと、それを永谷の方に押し出した。永谷の方から字が読めるように、真っ直ぐに押し出した。

「滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』です。」

 千代紙の“犬”たちが、書物を守るように、整然と並んでいた。

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