3.深追いの代償
安房神社はこの地方の鎮守、いわゆる一宮だ。
広大な敷地と美しく威厳のある社殿を見れば、深い歴史と強い信仰心が嫌でも伝わってくる。この神社もやはり、山の中にあり、もっと正確に言えば、切り立った崖の麓にあった。断崖を背に本殿が建っているので、まるで、イカつい崖こそがご神体なのだと言わんばかりであった。
大きなバイパスから1本奥に入ったところにあるため、この神社は、例え古代から続く由緒正しい第一級の社であっても、夜にもなれば真っ暗闇の中であった。付近に住宅もあるが、年寄りが多いのか、21時を過ぎると、どこも灯りを落とし、山全体が静寂に包まれる。
そんな漆黒の闇の中、22時。数台の車が社に向かい、バイパスを左折して集まってきた。
車たちは、神仏への敬意を微塵も感じさせないスピードで、大鳥居のギリギリまで進み、それぞれが慣れたようにバックで駐車した。そして、車を降りた面々は、各々懐中電灯で足下を照らし、鳥居の脇を抜けて、社殿のある方へと早足で向かっていくのだった。
私はその様子を、やはり車の中から見つめていた。こんな時間に駐車していたら、地元の人間に怪しまれるかとも思ったが、何せ暗いので、誰もその存在にすら気づいていないようだった。
運転席の小清水くんは、海洋大学の学生で、今回の“研究”にも協力してくれていた。この日は、普段学校の実習の際に使っている軽自動車を借りてきてくれて、ここまで送ってくれたのだ。私としては、連れてきてくれるだけで充分だったが、彼がどうしてもというので、車ごと残っていてもらうことになり、そのおかげで、ついさっきのにわか雨にも濡れずに済んだ。
「先生。そろそろ行きますか?」
小清水くんは待ちきれない様子で、私を急かした。
さっきの車の連中は、遠くに懐中電灯の先を残して、すっかりこちらの視界からは消えていた。
私は小清水くんの方を向いて、一度頷き、二人でほぼ同時に車を降りた。
長くここで張り込んでいた甲斐もあってか、目が暗闇に慣れていて、懐中電灯無しでもさっきの連中の後を追えた。最も、行き先はハナからわかっているのだが。
玉砂利を踏む音をも最小限にするため、私たちは努めてゆっくりと進み、時間をかけて社殿に着いた。そこには、数は少ないが電灯もあったので、迷うことなく目的地へと近づくことに成功した。
さらにもう一歩、社殿に近づくと、しっかりと閉じられている扉の向こうに、明らかな人の気配があった。建物に沿って社殿の奥へ周り、中を覗けるところがないか探ってみたが、そんな都合のいい場所はなく、私たちはとりあえず、壁に耳を押し当てて、中で行われていることを探ってみた。はっきりとした声こそ聞こえなかったが、雰囲気だけは微かに伝わってきた。それはまるで、何か儀式めいたもののように感じた。
ふと見ると、小清水くんは周到に、自分のスマートフォンで社殿の中の音を録音してくれていた。彼の専門は海底地質学で、特に超音波を使って、海中に空洞や鉱物を探す研究をしていた。木造建物の中の人間が何をしているかを探るなど、海底の神秘に比べたら雑作も無いことなのだろう。
しばらくして、どうやら中の儀式が終わったようだった。
ごそごそと人が動く音がして、大勢でどこかに移動するのがわかった。
音だけで推測すると、中には10人ほどはいるようだ。闇に紛れて張り込みを開始してから、5、6台の車が到着したのだから、あのドライバー達以外にも、既に中にいたメンバーがいたようだ。
社殿の周囲は高い塀で囲われていたが、一カ所だけ、建物の真裏に出られる木戸を見つけ、そこはいとも簡単に開けることができた。そこから私たちはまた建物に沿って裏に向かい、しばしまた息を潜めていることにした。ちょうど、社殿の裏が見える位置に私たちが出たとき、まさに社殿の建物の裏口が開くところだった。
見つかるかと、身をかがめ、静止していたが、中の者たちはこちらのことなど少しも気にする様子なく、真っ直ぐに、つまり、社殿の裏にある崖の中、洞窟へと進んで行った。
崖の麓にある社殿なので、建物の背中は崖と繋がっていたのだ。そのこと自体は古地図を手に入れたときに確認はしていた。しかし、その洞窟の中に何があるか、まではわかっていなかった。
館山鎮守府を建設するための金塊、“雨宮資金”を探し始めて、すでに2週間が経っていた。海上自衛隊が総力を上げて、海も山も捜索していたのだが、何一つ手がかりが見つからなかった。
“雨宮資金”捜索のために集められた我々プロジェクトチームにも、少し諦めムードが漂い始めていたが、リーダーの永谷だけは、顔色一つ変えずに、淡々と指示を出し続けていた。「次はこのエリアを」「今度はあのエリアを」と、毎回、打ち合わせの度に、新たな捜索ポイントを出してきたが、どれも“お宝”のありかとしては的外れに感じ、時間だけが空しく過ぎていた。
私は1週間以上前から、完全に独自の調査を進めており、この神社に来たのもその一貫だった。
この街で、代々影響力を持っていた小林一族が、日本海軍から金塊を奪い、自分の領内に隠し持っている、という私の仮説は、いまだに誰にも話していなかった。自衛隊など、国の力を使えば、もっと早くにここまで辿り着けたのかも知れないが、どうしてもこれは自分でやりたかったのだ。
この安房神社の付近も大部分が小林家の土地で、神社にとっても小林家は有力な氏子であった。そのことは、少しでもこの地域の歴史を調べれば、すぐにわかることで、さらに遡れば、小林家とこの神社の宮司の一族は、元々同じ、一つの大きな豪族だったようだ。
これまで小林家を、政治的、経済的な実力者だと考えていたが、古来からの宗教的権威者でもあったわけだ。このことがまた、一段と私の仮説に自信をつけてくれていた。
中の者たちの、洞窟への移動が終わると、今度は洞窟側の重たい扉がきつく閉められた。洞窟内からは、松明と思われるオレンジの光が煌々と揺らめいてので、扉が閉められた途端に、一転、また元の暗闇に引き戻された。
中の人間が、どうやら全て、洞窟内に移動したのを確認して、私は潜んでいた場所から抜け出して、洞窟に近づき、さらに社殿の方も覗き込んだ。
社殿を裏から見る機会はそうそうないので、見えている様子が、この神社独特なものなのか、あるいは、神社はだいたいこんな感じなのか、私にはわからなかった。簡素でありながら、しかし、細々といろいろな祭具が並べられており、つい数分前まで、確実にここで、何らかの儀式が行われたこと、そして、それを終えてすぐ、後片付けもせずに、面々が洞窟に向かったことがわかった。
今度は洞窟の、閉じられた扉へと近づいた。
やはり中からは、何かしらの儀式が行われている気配がした。しかし、先ほどの壁以上に、この扉は分厚くできており、中の様子は余計にわからなくなった。
小清水くんがポケットから何やら長いコードを取り出し、それを自分のスマートフォンに繋いだ。先端が針のようになっているもので、小清水くんはその針の部分を扉の板目の隙間にグイと差し込んだ。しばし操作をしてから、小清水くんは、今度はスマートフォンの画面を黙って私に見せてくれた。画面では波形がゆらゆらと動いており、何となく、それが洞窟内部の音声に反応していることがわかった。
おそらく中でのやり取りを、のちのち解析するために、扉の振動を記録しているのだろう。本当に優秀な学生なのだ。
洞窟内の儀式は、それから約20分続いた。
ヤブ蚊に悩まされながら、私たちは辛抱強く、扉が開くのをじっと待っていた。というか、それ以上でできることはなかったのだ。中へ突入、あるいは侵入する術など持っているはずもない。私の今日のところの成果としては、小林が夜中に人気のない神社に部下たちを集め、何やら秘密裏な活動をしていることさえ掴めば充分だった。
そもそも小林を追跡し始めたのがちょうど1週間前。すぐに、たびたびこの神社に訪れていることがわかり、それが、熱心な信仰心からくるものなのか?それとも他の理由があるのか?を見極めたかったのだ。昼間に参拝に来ている分にはさほど興味をそそられなかったが、毎週水曜日の夜、22時に、決まって同じメンバーと、この神社の社殿に入っていくのがわかってからは、この会合に、何か大きな秘密があるように感じてならなかった。
さらに興味深いのは、この神社での会合は、我々チームの会議よりも優先されていることだった。会議はいつもだいたい月曜日に行われていたが、あるとき永谷が、彼の事情だと断った上で、「今週だけ水曜にしたい」と言ってきたことがあった。我々は国家に選ばれ、少ないがそこからギャランティを得てプロジェクトに参加している。永谷の言葉は国家からの命令も同様だ。当然、全員が水曜日の会議に同意すると思っていたが、小林が珍しく、その要求を突っぱねたのだ。
「水曜日は不都合です。火曜か木曜なら。」
永谷はさほど気にする様子もなく、それならばと、会議は木曜日に変更になった。
このときのやり取りが、私にはどうにも違和感があった。
普段、我を通すことなど全くない小林が、何故20分で終わるこの会議を断る理由があるのか?よほど大事な用事でもなければ、そんな大胆なことはしないであろう。
そしてその水曜日、小林の唯一の外出先がこの神社で、この儀式の日だったのだ。
儀式が終わり、面々が洞窟から出ていったら、改めて洞窟の中を探ろう、そう思い、ぼちぼち退却しようかと思ったときだった。扉の向こうで儀式が終わった、ような気がした。
小清水くんのスマホの波形もすっかり大人しくなっていた。
無理だとはわかっていたが、つい、重たい扉に耳を押し当ててみた、何か聞こえやしないかと、強く強く、冷たい扉に耳を密着させてみた。
どういうわけか、中からは、すっかり人の気配が消えていた。小清水くんと目を合せると、彼も小首をかしげて不思議そうにしていた。
崖を生暖かい風が下ってきて、二人の髪の毛を少し揺らした。
その瞬間、“パンっ”という音とともに、私たちは大きな照明に照らされた。
余りのまぶしさに、思わず私は目を背けたが、すぐに、逃げなくては、と、もう一度顔を上げた。
かがんでいた小清水くんを無理やり起こし、駐車場へと連れ戻ろうとしたが、すでに私たちは数人の男たちに囲まれていた。
男たちは皆、神官の装束を着ており、眩しい逆光の中でも、何人かは、先ほど車で到着した者であることがわかった。どうやら全員が洞窟に入って行ったわけではなかったようだ。これは完全に私の不覚だった。
重たい音を立てて、洞窟の扉が開くと、松明の光りを背に、今度は小林が現れた。
「森井さん・・・。何で・・・・?」
小林は悲しそうな声でそう言ったが、私を見下す目はまったく冷静だった。そして、すぐに顎を使って、部下たちに、私たちを拘束するよう指示を出したのだった。
神官の部下たちは、あたふたと私と小清水くんをつかみ上げ、社殿の中へと押し込み、工事現場で使うような黒と黄色のロープで私たちを縛った。
外から見るよりも社殿の中は広く、そしてどこか現代的な美しさがあった。
猿ぐつわまでされながら、私は、それでも小林から目を離さなかった。小林は、いつも大澤邸の会議で会うときの顔とは違って見えた。いつもは怯えたような目で他のメンバーの顔色をキョロキョロ見回している印象しかなかったが、目の前にいる神官装束の小林は、どこか威厳をまとい、霊験あらたかなオーラを背負って立っていた。
「不本意ですが、ここのことを知られたら仕方ありません。」
小林がことさら“哀れみ”を湛えた声色で言うと、今度は私たちを指して、部下に向かい言い放った。
「この者たちを、山犬様にお供えせよ!」
社殿の天井から下がっていたランタンに、大きな蛾が激しくぶつかっている様子が、何故か、私の位置からくっきりとよく見えた。死を感じたときというのは、案外、そういうものなのかも知れない。