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君の歌が聴こえる  作者: ひふみん
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第2章「私の楽器」②

第2章、第2話です!


「…ふぅー、やっと終わったー」


 六限目の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、先生が教室から出ていくなり、身体中の空気を全て吐き出すように大きな溜息が漏れた。


「随分お疲れだね、楓」


 苦笑いを浮かべながら、いつものように香奈子が私の席に近付いてきた。


「…ちなみに言うと、この疲れの七割は香奈子のせいだからね」


 背もたれにぐだーと身体を預けながら、そのまま逆さに香奈子を睨む。


「あれ?私何かしたっけ?」

「忘れたとは言わせないからね!昼休み、散々私のこといじり倒して!」


 まるで身に覚えがないような香奈子の反応に、思わず身体を起こして勢いよく振り返りながら抗議する。


 昼休み、朝陽君と分かれて、自分の教室に帰ると「あれ?思ったより早いご帰還だね?」と香奈子に言われたかと思ったら、そこからは終始ニヤニヤ笑いを浮かべた香奈子から根掘り葉掘り聞かれた。


「朝陽君と何してたの?」「秘密」「楽しかった?」「そんなんじゃない」「王子様からお迎えあるなんて、本当凄いじゃん」「だから、そんなんじゃない」「じゃあ、何であんなに慌てて顔真っ赤だったの?」「真っ赤じゃない!」…


 なんて、そんな矢継ぎ早なやり取りがあって、慌ててお弁当を食べ終えてそのまま昼休みは休むことなんて全くできるはずもなく、あっという間に終わってしまった。


「私の貴重なお昼休みの時間を取っておいて、よくもまぁそんなしらばっくれることできるね」

「『お昼休みの時間取って』って、お弁当食べる時間が遅くなったのは楓が何か用事に行ってたからでしょ?」

「それじゃなくて、矢継ぎ早に私に質問して来たことです」

「いやいや、あんな面白そうなこと、質問せずに過ごすなんて土台無理な話だよ?」


 さも当たり前のように言われる。


「それに、私がインタビューしてなかったら、きっと他の子達から四方八方から質問攻めにあってたと思うよ?」

「嘘?そんなわけないよ」

「いやいや、そんなわけあるよ。私がインタビューしてる時、周りの子達がバッチリ聴いてるの気付いてなかった?」

「えっ、嘘!?」


 それは全く気付いてなくて、思わず大声が出た。


「やっぱり、気付いてなかったんだね」

「うん、全然…」


 予想通りだったのだろう、香奈子は呆れたように笑いながら言って、私は私で昼休みのことを思い返していた。


 あの時は、矢継ぎ早な香奈子の質問に一つ一つ地雷を踏まないように答えることと、時間内にお弁当を食べ終えることに必死で、周りにまで気なんて遣えてなかった。


 「何で…」と口に出そうとして、直前でその言葉を飲み込んだ。理由なんて、少し考えれば分かることだし、その片鱗は昨日何度か見ている。


「まぁ、楓は特に地雷踏んでなかったから、大丈夫だと思うよ」


 香奈子は、私の頭の中なんてバッチリ読んでいるように、心配になったことをすかさず言ってくれた。正直、そんな意識で昨日は答えてなかったので、下手な返答をしてないかと思ったけど、香奈子がそう言ってくれるなら大丈夫だろう。


「そっか、良かった」

「でも、あの朝陽君と一緒にいる時は少し周りに気は遣った方が良いかもね。まぁ、楓は変なことにはならないと思うけど」


 普段なら軽口を叩くことも多いし、すかさず私をからかって楽しんでくる香奈子だけど、こういう時は真面目な顔してちゃんとこちらのことを考えてくれている。そう言われると、もしかして昨日私にあれこれ聴いてきたのは香奈子なりのフォローだったりするのかな、とそんなことを思った。


「で?楓は放課後も何か予定あったりするの?」

「うん、すぐ行かなきゃ」


 思いの外、香奈子と話し込んでしまった。疲れていると言ったのは、正直今から行くところのせいも多分にあるんだけど、そんなことを言ってる場合じゃない。早く行かないと、本当にあの子は帰ってしまうかもしれない。


 慌てて、鞄の中に筆記用具など荷物を詰め込んで席を立ち上がった。


「じゃあね、香奈子。また明日」


 言うが早いか、鞄を引っ掴んでそのまま教室を後にしようとした。


「うん、また明日ね。何だか最近、楓が元気になって色々やるようになってて、私は嬉しいよ」

「えっ?何だそれ」


 すれ違いざまに変なことを言われて、笑いながら思わず言葉が零れた。


 しかし、香奈子はそれから言葉を続けることなく手を振りながら、「早く行きなよー」と私を送り出してくれた。私も、振り返りながら香奈子に手を振って、すぐ前に向き直って早歩きで2組の教室へと向かった。


 教室を出ると、様々な部活道具を持った同級生達が部活動に向かっていた。その流れに逆流して、2組の教室へと足を速めた。


 はてさて、本当に友美はまだ教室に居てくれるだろうか。


 まず心配になるのはやはりそこで、でも居てくれなかったらそれはそれで楽だな、と自分の中の悪魔が良くない囁きを吹き込んでくる。


 良くない良くない、と頭の中でその悪魔を必死に追い払うように、更に歩みを速めた。


 昼間は少し長く感じた2組の教室への道のりはあっという間で、教室の前で足を止めた。


「…よし」


 ギュッと目を閉じて、小さな声で気合いを入れた。そしてそのまま、ゆっくりと教室に足を踏み入れた。


「お邪魔しまーす…」


 まだまだ、他の教室に入るというのはなかなか慣れない。思わず、か細く断りの声が出た。


 教室の中に入って目を開くと、昼間行った時と同じように友美は頬杖をついて外を眺めていた。


 しかし、昼間と違うのはそんな友美の隣で朝陽君が何だか苦笑いを浮かべて立っていて、友美もただ外を眺めているというよりも何だかそっぽを向いているように見えた。


「あぁ、天音さん…」


 私が近付いていくと、朝陽君は明らかにほっとした様子で肩の力を抜いた。


 そんな朝陽君の様子に、少し嫌な予感がした。


「どう…」

「朝陽君が、私を引き留めてたのよ。帰ろうとしたら、すぐに朝陽君が私の机まで来て、あんたが来るからもう少し待っててあげて、って」


 「どうしたの?」と聴こうとするのも遮られて、すぐさま友美が朝陽君の様子の説明をしてくれた。


 見ると、朝陽君は居たたまれない様子で頬を掻いた。


「朝陽君に言われたから、こうして待ってたけど、楓も来たんだし、もう帰って良いよね?」


 言うが早いか、友美は鞄を持ってすぐさま席を立った。


「いやいやいや、待って待って!」


 慌ててブンブン手を振りながら、友美の行く手を遮る。


「私は、友美に用事があったから来たんだよ!」

「私は、楓に用事がない。待ってて、って言われたから待ってたけど、もう楓も来たんだし約束は果たした。だから、そこをどいて」

「どかない!」


 断固として大きく両手を広げながら、友美を行かせないように牽制する。


 少しの間、じっと私の様子を冷ややかに見つめていた友美だったが、「はぁー」とこれみよがしに溜め息をつきながら、一応もう一度席に着いてくれた。


「分かった分かった。で、一体なんの用?」


 友美は頬杖をつきながら、しかし今度はこちらを見ながら問い掛けた。


「ありがとう!ねぇ、私達と一緒に来年の花火ステージに出ない?」

「出ない」


 まるで、何を言われるのか事前に分かっていたかのように、友美の返事は即答だった。


「…えっ?」


 あまりに早い回答に、思考が固まる。


 そのまま、視線が朝陽君に向いた。


「朝陽君、友美にもうこの事言った?」

「えっ?ううん、僕からは特に何も言ってないけど?」


 朝陽君には昨日、「幼馴染で楽器やってる子が朝陽君のクラスにいるから、明日昼休み始まったら教室行くね」とは伝えていた。でも、朝陽君がその幼馴染とは友美ということは今日の昼に初めて知ったことだし、そんな状態で朝陽君が先に誘うというのは考えられない。そして、ここに来るまでの間に友美から朝陽君に「何の用なの?」なんて聴いてることも考えにくい。


 それでも、友美のあまりに早い返答に、思わずそんなことを朝陽君に聴いてしまっていた。


 しかし、そんなやり取り眺めながら、友美は呆れた溜め息をつきながら種明かしをしてくれた。


「あのね、私も一応楓とは付き合い長いんだから、楓が何を言ってくるのかなんて大体想像つくの。まぁ、まさか本当にその誘いだとは思ってなかったけど」


 友美は、「一応」を殊更強調してもう一度溜め息をついて見せた。どうやら、昼間のことはまだ根に持たれているみたいだ。


 それでも、ここでこのまま怯んでしまったらダメだ。何とか状況を好転させないと。


「分かってたなら、話早いでしょ!良いでしょ、一緒にやろうよー」

「幾つか予想してた中の、一番最悪な予想が的中しただけ!…良いから、隙あらば抱きついて泣き落とししようとしてくるな!」


 両手を大きく伸ばしながら、友美に突撃していこうとすると、これも予想通りだったようで、私よりも20センチ近く身長が高い友美は腕も長く、易々と片手で私の頭を鷲掴みにしてこれ以上先に進ませてくれない。リーチの差で一向に友美に届かないので、「ゔーっ!」と唸りながらブンブン両腕を振り回すことしかできない。


「ズルいぞ!この、高身長モデル体型黒髪ロング美人!」

「うん、貶しているように言ってるけど、全部褒め言葉になってるね。ありがとう、素直に受け取っておくよ」


 友美は、苦笑いを浮かべながら一応鷲掴みにしていた腕の力を緩めてくれた。


 おかげで一歩引いて、ここは友美から少し距離を取る。


「うぅ、こうなったら…」

「諦めな、楓。私は絶対音楽なんてやらないから」


 ヒラヒラと手を振りながら、まるで「しっしっ」とでも言うように私をあしらってくる。


「牧町さんって、何の楽器できるの?」


 思わず、内心で「ナイス!」と声を上げた。


 ここで、天然炸裂の朝陽君が純粋に友美に問い掛けた。


「えっ…?えっと、それは…」


 友美も、ここで別方向から話が飛んでくると思ってなかったようで、しかもそれが朝陽君からだ。流石の友美も言葉を詰まらせて、戸惑いを隠せない様子だ。


 「ここだ!」と、すかさず畳み掛けるように言った。


「そう!何を隠そう、友美は地元でも有名な『神童』と呼ばれたバイオリニストなんだから!」


 それは、あくまでも朝陽君に向けての援護射撃のつもりだった。


 これを言うことで、朝陽君が「凄い!」となって、そのままなし崩し的に友美が仲間に加わってくれないかなと思っていた。


 ところが、


「楓」


 声が上がったのは朝陽君ではなく、友美からだった。


 そして、その声は先程までとは打って変わった冷たさを湛えていた。


「ごめんだけど、他の人の前でその話はしないで。そして、私にバイオリンを弾いてって言うなら、それこそ何言われても私は弾かないからね」


 言うが早いか、友美は鞄を掴むと席を立った。そのまま、真っ直ぐ前を向いて教室の外へと歩いて行こうとした。


「えっ?…ちょっ、ちょっと待って!」


 友美の様子の移り変わりに、流石に戸惑いながら何とか友美の前に立ち塞がって、行く手を阻む。


 だけど、


「退いて、マジで」


 低い声で言われて、身体がキュッと縮まった。


 その迫力に押されて、どうしようもなくそのまま道を譲った。


 道を譲った私に、僅かに視線を向けた友美だったけど、そのまま何も言わずに教室を出て行ってしまった。


 友美が居なくなった教室に、私と朝陽君はポツンと取り残された。


「…あれ?」


 遅れて、思い出したように声が出た。


 そして、朝陽君の方を見た。


 朝陽君も、目を丸くして驚いた表情を浮かべていた。


「もしかして私、何か地雷踏んじゃった?」


 その答えを出せる人は既にこの場を去っており、朝陽君はただ戸惑ったように、「うーん、どうやらそうみたいだね」と苦笑いを浮かべた。


---


「どうしよう、朝陽君!」


 場所を変えて、いつもの音楽室に移動して扉を閉めるなり頭を抱えた。


「どうしようねー」

「『どうしようねー』、じゃないよ!絶対友美怒ってたよね?」

「うーん、まぁそんな感じではあったね」

「どうしよう…朝陽君、何で友美が怒ったか分かる?」

「流石に、僕は牧町さんとは今日初めて話したから分かんないよ」


 それは至極当たり前の回答だった。しかし、その回答よりも、慌てている私に対してやけにあっさりとした反応を示している朝陽君が気になった。


「というか、何で朝陽君はそんなに冷静なの?私は、こんなにアワアワしてるのに」

「どちらかと言うと、天音さんがアワアワしてるから、僕は冷静の方が良いかなって」


 それはそれで、一応言い分としては合っている気がしたけど、やはり私と朝陽君の反応があまりに正反対で少し面白くない。


「もう。もうちょっと、一緒に悩んでよー」

「大丈夫だよ。多分、天音さんが思ってるより大丈夫だと思うから」


 いつものニコニコ笑いであっさりとそんなことを言ってきた朝陽君に、思わずムスッとした顔を向ける。


「大丈夫って、どういうこと?」

「今日、お昼と放課後に天音さんと牧町さんのやり取り見てて思ったけど、二人ともすごい仲良かったから、あれは別に牧町さんが天音さんのこと嫌いになったとかじゃないと思うよ」


 思いがけない言い分に、目を丸くした。


「仲良かった?朝陽君が見てて?」

「うん。あれ?違うの?」


 朝陽君は、さも当たり前ように言って首を傾げた。


「あんなにワーワー言い合ってて、友美もほとんどそっぽ向いてたのに?」

「牧町さんって、クラスでもあんまり誰かと喋ったりしてるの見たことないけど、あんな風に楽しそうに喋ってるの初めてみたから」


 あれが楽しそうに見えたなんて、朝陽君には友美がどんな風に見えているのか。


「楽しそうだったかな?私には、全力で私を拒絶してるように見えたけど…」

「それは、単純に天音さんがグイグイ来てたからだと思うよ?それに、仲良くないと逆にあんな風に取り合ってくれたり、僕が待っててと言って本当に待ってくれたりしないよ」


 最初の方に、引っ掛かることを言われた気がしたけど、続く言葉に思わず黙り込んでしまう。


 確かに、昔から友美は色んな人とワイワイ仲良くするようなタイプではない。自分が嫌だと思うことにはハッキリ嫌と言うタイプだし、本当に必要ないと思ったら朝陽君が制止したところで気にせず帰ってしまっていただろう。


 嫌な顔を浮かべつつも何だかんだ対応してくれたり、付き合ってくれたり、友美はあれで優しいところがある。


「そう言われてみれば、確かにそうだけど」

「でしょ?だから、大丈夫だよ」

「いや、でも…!」


 何だか、話を上手いことまとめられそうになったけど、思わず立ち上がってしまいそうになったところを膝を叩いて抑える。


「一緒にステージは乗ってくれないって言って、最後は怒って帰っちゃったんだよ!?」


 こればっかりは、どうしようもないところだ。確かに、それまでのやり取りは朝陽君の言う通りな所もある気はするけど、最後は明らかに友美は怒っていた。


「私たちは、友美にステージに一緒に立ってもらうお願いをしに行ったんだよ?それなのに、あんな風に返答されたんじゃ…」

「天音さんは、牧町さんにただ一緒にステージに乗ってくれるだけで良いの?」


 朝陽君に投げ掛けられた問い掛けに、一体何を言いたいのか分からなかった。


「えっ、それってどういうこと?」

「天音さん、牧町さんとは幼馴染ってことだったけど、話すのって結構久しぶりだったんだよね?」

「えっ?うん、そうだけど…」


 私の問い掛けに、朝陽君からは答えではなく重ねて問い掛けが投げられた。何なんだろう、と思いつつ歯切れ悪く答えた。


 私の返答に、朝陽君は「なるほどね」と何やら一人合点がいった様子で微笑みながら小さく頷いた。


「えっ、なになに?朝陽君は何か納得してるみたいだけど、私は全然分かってないんだけど!」


 少し前のめりになりながら、朝陽君に詰め寄った。まるで、何も知らない子どもが「何それ何それー!」と答えをせがんでるみたいだ、とアホな想像をしてしまったけど、私が本当に子どもだったら、多分思い切り朝陽君を揺すってせがんでいたと思うから案外笑えない。


 しかし、そんな私に対して朝陽君は変わらず落ち着いた様子で微笑んでいた。


「もしも、僕が牧町さんの立場だとしたら、仲良かった友だちが久しぶりに、わざわざ教室まで遊びに来たのに、ただただお願い事の用事しかないとしたら、少し寂しいかな」

「えっ?」


 朝陽君の言葉に、初めてハッとさせられた。


 実際の友美の心情は知りはしない。だけど、朝陽君の言う通り、友美と話すのは何気に高校に入ってからは初めてで、思えば随分久しぶりになっていた。だからこそ、教室に行くまではあんなに緊張してドキドキしていたのに、いざ昼休みに行って少し慣れてしまうと、放課後にはつい昔と同じようなノリで絡みに行ってしまった。


 そういえば、放課後会いに行った友美はどんな表情を浮かべていた?


 てっきり、嫌な素振りを見せていたのは単なるノリだと思っていた。いや、私自身が「振り」だと思いたがっていた。


 幼馴染のよしみだとそれに甘んじて、友美の本心を私は果たしてちゃんと見れていただろうか。


 朝陽君が友美を留めてくれていて、私が来るなり友美は帰ろうとしていた。あの素振りは、案外本心だったんじゃないだろうか。


 全て、私自身が見たくないものを見ないフリをして蓋をして、私の望みだけを友美に押し付けようとしていた。


 そんな私のお願いを、友美が聞いてくれるわけなど、もちろんないはずだ。


「私、ちゃんと友美の顔見れてなかったかもしれない」


 私が呟くと、朝陽君は「正解」と言わんばかりに優しく微笑んで小さく頷いてくれた。


「そうかもしれないね」

「だったら、ちゃんと謝らないとね」


 言うが早いか、居ても立っても居られず立ち上がった。


「ちゃんと、友美に謝る」

「うん、天音さんはきっとそうするだろうと思ってた。僕の時もそうだったしね」


 朝陽君と知り合ったばかりの時、すぐに謝りにいったことを蒸し返されて、少し顔が熱くなった。


「もう、最後の一言は余計だよー。やっぱり、朝陽君まで私をイジるようになってきてる気がする…」


 そういえば、今日の友美に関してもそうだったけど、香奈子や友美のみならず朝陽君まで私をイジってくるのかと思うと、そんな自分のキャラに少し悲しくなる。


「そんな、イジってなんていないよ。そういう素直なところは、天音さんの良いところだと思うよ?」


 朝陽君は、毎度のことながら天然全開でそんなことを言ってくる。しかし、フォローされてると思いきや、何気にイジられキャラに対しての弁明はないことに気付いて、何とも心境は複雑だ。


「何はともあれ、明日もう一回友美の所に行く」

「うん。僕も、牧町さんのことは少し気に掛けておくようにするよ」


 朝陽君がそうしてくれるのは、謝りに行くこちらの身としてもありがたい。誰かがフォローしてくれるというだけで、随分気持ちの持ちようは変わるもんだ。


「あっ、でもステージに乗ってもらう件についてはどうするの?改めてお願いする?」


 朝陽君の提案に、思わず腕組みをした。


「うーん、どうしよう。実際、友美には本気で一緒に演ってほしいって思ってはいるんだけど」

「そういえば、牧町さんってバイオリン弾けるんだね。上手なの?」

「そりゃもう!!」


 思わずテンションが上がって、パチンと手を叩いた。


「本当に、友美のバイオリンは凄いよ!朝陽君のピアノ聴いた時も感動したし凄いって思ったけど、友美のバイオリンも同じくらいに凄かった!なんて言っても、しん…」


 言いかけて、一瞬友美の顔が浮かんで慌てて言葉を止めた。


 あの言葉を言った時に、友美の態度は180度急転したんだ。


「天音さんが言ってた言葉?」


 朝陽君は、あえて私が言おうとした言葉は使わずに問い掛けてくれた。


「うん。でも……」


 私の中で、あの時の友美の反応はやはりいくらか違和感があった。


「正直言って、今も私は友美が何であんな反応をしたのか本当に分からないの。友美は、本当にバイオリン上手かったし、何より朝陽君と同じように楽しそうに演奏していたから…」


 小,中学校時代、友美のバイオリンは何度も聴かせてもらった。


 ほとんどJ-popばかりを聴いていた私にとって、友美の弾く曲は全て知らない曲ばかりだった。今思えば、あれらはクラシックだったのかなと思うけど、幼い頃の私は聴きながら「静かな曲ばっかりだなー」なんて風に思っていた。


 それでも友美の演奏を飽きもせずに聴いていられたのは、友美の演奏が上手かったのもあるけど、何よりも演奏している友美自身が凄く楽しそうだったからだ。


 自分の奏でる音が好きで好きで堪らない。


 普段は物静かで、あまり表情が変わることも少ない友美が、バイオリンを弾く時ばかりはその都度表情が変わって、そんな友美の様子を見ているだけでも私にとっては楽しかった。


 見ている私がそんな風に感じるくらいに、バイオリンを奏でている友美は音楽の楽しさに満ち溢れていた。


 それなのに、どうして?


『私にバイオリンを弾いてって言うなら、それこそ何言われても私は弾かないからね』


 友美の声を思い出して、あの友美があんな言葉を言うなんて今も信じられなかった。


「何だか、牧町さんは本当にバイオリンを弾くのが嫌って感じだったね。天音さん、本当に思い当たることはないの?」


 知らない。知るはずがない。


 だって、そんな友美を、バイオリンを弾くのが嫌なんて言う友美を、私は一度も見たことがない。


 ただ、


「正直、思い当たる節はない。だけど!」


 グッと両手に力を込めて気合いを入れ直す。


「私は、友美と一緒にステージに立ちたい!だから、謝って、許してもらって、それから友美が何でああなったのかも聴いてみる!」


 それが、紛れもない本音だった。


 気合十分の私を見ながら、朝陽君は「それでこそ、天音さんだよ」と笑ってくれた。


---


 翌日は、少し薄雲が掛かった曇り空の日だった。


 昨日までは、半袖で外に出ても朝から少し暑いくらいだったのに、今日は太陽が出てないお陰かちょうど良い気温だった。


 しかし、風が吹くと開けた袖口がほんのりと寒かった。


 目に映る景色も、昨日と今日とでは何も変わるはずはないのに、うっすらと霞が掛かったように見えて、それだけで「あぁ、やっぱりもう秋になってるんだな」と今更ながらにそんなことを思った。


「急に、涼しくなり始めたなー」


 思わず、誰も居ないのにそんな呟きが漏れた。


 独り言が虚空に消えていくのを聞きながら、改めて自分は緊張しているんだなと自覚した。


 昨日、朝陽君に対しては「友美に謝る!」と大口を叩いてみたけど、つくづく一人になると私は弱い。朝陽君が居た時は普通に言えると思っていたし、友美とも改めてちゃんと話ができると思っていたのに、いざその当日を迎えてこうして学校までの道のりを歩いていると、「本当に言えるのかな?」と心の底から不安が込み上げてくる。


 高校に入ってから、友美と話せていなかった理由は、単純にクラスが別々になったということだけじゃなかった。


 友美は、高校に入ってから何だか雰囲気が変わっていた。


 それこそ、入学したての時なんかはクラスに同じ中学の友だちもそんなに多いわけではなかったので、何度か友美のクラスに遊びに行ってみようかと思っていた。


 他クラスに入っていくのは、もちろんその時もなかなかに勇気のいることだったし、ましてや同じクラスでも見知った顔の子が少ないのに、余計に知らない子が多い他クラスに行くなんていうのは、かなりの難易度だった。


 それでも、自分のクラスで特にやることもなく居た堪れなさを感じながら過ごすよりはマシに思えていた。


 そうやって、いざ勇気を出して2組の教室を覗き込んだ。


 友美はすぐに見つかった。その時も、たまたま友美は窓際の一番後ろの席で、頬杖をついて外を眺めていた。


 後ろから近付いて行って、ワッと驚かせてやろうとそろりそろり近付いて行った。しかし、教室の半分くらいまで進んだところで、気付いてしまった。


 何だか、友美から感じる雰囲気が違う。


 近付いてよく見た友美は、中学の時よりも随分髪が伸びていたけれど、その髪は薄っすらと茶色掛かっていた。校則では、一応髪を染めることは禁止されてる学校だけど、先生から言われるかどうか微妙なラインをついた髪色。しかも、所々で微妙に色味が違っていたので、恐らく前にもっと濃い茶色にしていたことが分かった。


 そして何より驚いたのが、長い髪の隙間から覗かせた耳にピアスの穴が開いていた。


 穴はそこまで大きくはなかったけど、近付いてみると明らかに耳たぶに不自然な穴が開いてることは見てとれた。それこそ、今の友美は耳に掛かるくらい髪を伸ばしているので、もしかしたらこの穴を隠す為に髪を伸ばしたのかな、なんてことを考えてしまった。


 高校生になって、少し羽目を外したりちょっと悪いことをしたくなっちゃう気持ちは分かる。実際、自分のクラスにも友美のクラスにも先生にはバレてないけど同級生から見ると明らかに校則違反をしてる子なんて何人もいた。


 だけど、私にとって友美がそれをしているということは、かなりの衝撃だった。


 真面目ちゃん、と言うほどではないにしても、中学時代の友美は校則を破るようなことは絶対にしない優等生で、先生たちからの評価も良かった。


 そして、それは先生たちが見てないところでも同じで、私と一緒に居る時も友美の行動や態度、格好などは良い子のそれだった。(しかし、私に対する態度は今と変わらずぞんざいなところもあって、そこは全然良い子じゃなかった)


 そんな友美が、俗に言う「高校デビュー」だとしてもここまで大きく変わってしまったのは意外で、信じられなかった。


 そうして、少しの間固まってしまった私の気配を感じたのか、友美は振り向くような素振りを見せた。


「……!」


 気が付けば、私は踵を返して全力で2組の教室を飛び出して、自分の教室へと逃げ帰っていた。廊下から全力疾走で飛び込んできた私に、教室で談笑していたクラスメイト達は一瞬固まって私を見つめていた。


 その時は、恥ずかしさ以上に友美に姿を見られてなかったかどうかが心配で気が気じゃなくて、周りの視線に気を遣う余裕なんてなかった。肩で息をしてたのを整えながら、そのままフラフラと自分の席に歩み寄って、どっかりと椅子に腰を下ろした。


『どうかしたの?そんな風に肩で息しちゃって?』


 唐突に掛けられた声に顔を上げると、その時たまたま前の席だった香奈子が声を掛けてきた。


 そして、それが香奈子と初めて話をした時だった。


「…そっか、そういえばあの時に初めて香奈子と話したんだった」


 2回目の独り言。だけど、今度はさっきより大分学校に近付いて来ていたので、口に出してから慌てて口を押さえて周りに誰もいないかキョロキョロと見渡した。


「ふぅ…」

「朝から溜息とは、恋煩いですか?」


 つい今しがた記憶の中で流れていた声が背後から掛けられて、妄想の主が飛び出してきたのかと、思わずビクリと身体を震わせた。


「って、何で香奈子がここに居るの!?」

「おはよう、楓。そんな大声出して、朝から元気だねー」


 私の質問には答えず、香奈子は涼しい顔で私の横をスイーッと通り過ぎていく。


「…あれ?今の私の言ってたことって聞こえてないよね?」

「うん?言ってたことって?」


 慌てて香奈子の後を追い掛けて、まずは気になっていることを問い掛けた。だけど、香奈子は、何のことか分からないとキョトンとした表情を浮かべている。


 しかし、聞かれてないのなら何よりだ。


「良かったー。聞こえてないならいいや」

「うん、大丈夫だよ。私と初めて会った日のこと思い出してくれてたみたいだけど、私にしか聞こえてないから大丈夫だよ」

「やっぱり、聞こえてるじゃん!!」


 まんまと釣られて、盛大につっこんだ。


 案の定、期待通りだった私の反応に、香奈子はゲラゲラお腹を抱えて笑った。


「いやー、本当朝から良い反応だねー。その反射神経、流石だよ」

「こういう所の反射神経を褒められても嬉しくない!」


 何せ、ここ最近は私をイジってくる人が増えた気がして、ただでさえツッコミのスピードが上がってる気がする。そして、何を隠そうそれをさせている筆頭は間違いなく香奈子だ。


「まぁまぁ、そう言わずに。楓が、毎回可愛い反応をしてくれるからこそ、私も思わずイジっちゃうんだよ?」

「そう?…って、褒めて誤魔化そうっていってもそうはいかないからね!」


 口ではそう言いつつ、油断すると頬が緩みそうになるのを必死に堪える。


 香奈子は、またカラカラと笑って朝から楽しそうだ。こっちは、そんな香奈子のせいで、今の時点でもう随分くたびれてしまったというのに。


「それで?何で、独り言であんなこと言ってたの?」


 香奈子が気を取り直して、先程の件について問い掛けてくる。そういえば、ここ最近香奈子はやけに私のしていることを気にする。


 だけど、誤魔化そうにももう独り言の件はバレてしまっている以上、隠すのもアホらしいと一つ溜息つきながら素直に白状する。


「ちょっと、昔の感傷に浸っててさ…」

「あー、楓はそんなキャラじゃないのは分かってるから、そういうの大丈夫だよ?」


 あっさりと流されて、あながち間違いでもない回答だったのに思わず憤慨する。


「ちょっと!ちゃんと、昔のこと思い出してたのは本当なんだけど!?」

「それは、『思い出してた』だけでしょ?私がつっこんだのは、『感傷に浸っててさ』の部分だから、別に間違ってないよ」


 ああ言えばこう言う。でも、確かに言ってることは間違ってないので、二の句が継げない。


「うぅ…」

「さぁ、これ以上は楓からの弁明もないようだし、元気に学校行こうか!」


 私の元気をほぼ吸い取っていったと言っても過言ではない元気いっぱいの声で、香奈子は大手を振りながら先導していった。


 「本当、香奈子は私に対して容赦ないよね?」とチクッと嫌味を言ってみても、香奈子は「まぁ、愛してるからね」とサラリと臭いセリフをこともなげに言われて、何故だか赤面してしまってそれ以上は何も言えなかった。


---


 午前中は、一応居眠りなんかもすることなく、黒板とノートに向き合って真面目に授業を受けていた。


 大分涼しくなってきた気候のおかげで、夏の間は全力稼働で時として寒いくらいになっていたクーラーは流石に切られていて、代わりに窓が開けられていた。


 窓際の席の特権は、ふと集中力が途切れた時に何気なく外を見て束の間気分をリセットできることだ。今も、あと少しでお昼休みのチャイムが鳴るというところで、目線を外へと向けた。


 今日はずっと、曇り空ではあるけど、雨が降り出すことはないそんな塩梅の空だった。こちらの地方では、これからの季節は段々と晴れている日が少なくなっていって、雨は降らなくても曇りの日が増えてくる。


 朝、欠かさず天気予報をチェックする癖がついているのもあるけど、基本的に同じ町で16年も過ごしていたらこれが雨降る雲なのかそうじゃないのかは、何となく分かってくる。


 今日は、特に晴れの切れ間もない曇天。でも、その雲は全体的に薄く霞のように広がっていて、直接の陽光は感じられないながらも地上はお昼が近付いてきたお陰もあってか案外明るい。


 そんな空を、ボーッと眺めていた。


「……というわけで」


 先生の話が一区切りついたところで、タイミングよくチャイムが鳴り響いた。


 皆、口やリアクションには出さないものの、ちょっとした息遣いや雰囲気が変わって「終わったー」という空気が教室内にゆっくりと満たされていく。


 そして、私自身は緊張が一気に迫り上がってきて、心臓がゆっくりとドクンドクン言い始めていた。


「…ぃーつ、れぃ…」


 もはや、眠っていてもその声が掛かれば自然と身体が動くように馴染んでしまった終わりの号令を、今日の日直の子が掛ける。


 午前の授業が終わり、お昼休みの始まりに教室内の喧騒が盛り上がってくる中、私の心臓はそれにも負けずうるさく鼓動を始めていた。


「大丈夫ー?楓」


 一応、言葉としては心配してくれている割にのんびりとした口調で、香奈子がいつものようにお弁当袋を持って近付いてきた。


「大丈夫じゃない。緊張で、もう死んじゃいそう」

「そっか。じゃあ、今日はお昼食べれないかな?」

「それとこれとは別。流石に今日はサッと食べてから行く」


 我ながら、いまいちいつも締まらないな、と思いながら渋々お弁当袋を取り出す。昨日は、食べずにそのまま向かったが(そもそも、その前に朝陽君が教室に来たりしてバタバタで、とてもそんな余裕なかった)、今日はお母さんに頼んで気持ちお弁当の量も減らしてもらったので、すぐ食べて友美の元へ向かうつもりだった。


 すぐに行こうかとも思ったけど、よくよく考えたら向こうもお昼ご飯の時間だ。すぐ行って友美のお昼を邪魔してしまうのは、それこそ申し訳ないし迷惑だと思う。


 いつものように机を向かい合わせでくっ付けて香奈子と向かい合う。そして、互いに「いただきます」をしてからお弁当を開けた。


 たしか、お母さんには昨日の晩に「明日のお弁当は少なめで良いから」と伝えていたはずなのに、開いてみたお弁当の量は、正直いつもとさして大差ないように見えた。


 どこか抜けたところがある天然なお母さんなので、ついうっかりいつもの感じで作ったのだろうと思いつつ、いざ目の前に出てくるとやっぱりこれくらいないと一日保たないな、と現金なことを考える。


「どう?楓。緊張してる?」


 自分のお弁当を食べながら、おもむろに香奈子が聞いてきた。


「うーん、緊張してるはしてるけど、まぁ今回の件は私が悪いから、全身全霊謝るだけだね」

「そうだねー。話聞いてる感じ、その子の地雷踏んじゃった感じなんでしょ?」


 昨日の夜、香奈子から掛かってきた電話の中で、事の顛末はあらかた話していた。


 おおよそ伝え終わると、少しばかり間を置いた後、香奈子は「まぁ、何とかなるんじゃない?」とやけにあっさりと答えた。


 朝陽君と同じ回答をしてきたことに驚いて、「えっ?朝陽君も同じようなこと言ってたんだけど」と思わず言うと、「だろうねー」と香奈子は何やら勝手に納得していた。その理由を問いただそうとしたけど、その後は「じゃあ、今日は眠いからまた明日ねー」とか言ってそのまま電話を切られて、理由は聴かされないままだ。


 そして、今に至る。


「うん。どうやらちゃんと踏んじゃったみたいだから、それこそどうなるか怖いんだけど…」

「楓はちっちゃい地雷を踏んで、いつも自爆してワタワタしてるけど、今回は本当みたいだったもんね。幼馴染だけど、まだ見当はつかないの?」


 毎回毎回、香奈子は最初に言ってくる一言がかなり余計だ。でも、そこを追及するよりも今は、早くお昼食べて2組の教室に行かないと。


「うーん、色々考えてみたけど、まだ正直分かんない」

「まぁ、それならとにかく謝るしかないね。大丈夫、何とかなるよ」


 香奈子は、昨日と同じように言いながら呑気にお弁当を頬張っている。


 こちらは、緊張してて一応食べているもののお弁当の味なんて分かってないのに、対照的な香奈子の態度が少し羨ましかった。


「簡単に言うけど、結構緊張してるんだからねー。というか、何でそんな簡単に言えるの?」

「えっ、そんなの簡単でしょ?」


 香奈子は、キョトンとした表情を浮かべて、お弁当を食べていた手を止めた。


「仮にその子にとって嫌なことを言ってたとしても、冷静になったらわざと楓が言ったなんて思わないよ。楓は、そんなこと言わない子だって、まだまだ付き合い短い私だって分かるよ」


 本当に、香奈子はどうしていつもこうなんだろう。


 さも当たり前のように私のことを庇ってくれて、そして私が今欲しい言葉をちゃんとくれる。お昼の何でもない時間なのに、少しグッと来てしまった。


「…ありがとう。じゃあ、頑張ってくる」

「うん!行って、砕けてこい!」

「って、砕けちゃダメじゃん!」


 せっかく少しウルっと来ていたのに、その涙はすぐに引っ込んでしまって、代わりに香奈子はケラケラ笑っていた。


 お弁当を速攻で食べ終えて、「よし」と気合いを入れて席を立った。「頑張ってきてねー」と相変わらずのんびり口調の香奈子に、親指を立ててグッドポーズを見せながら教室を後にした。


 もはや行き慣れてしまった2組の教室には、あっという間に着いてしまった。全然心の準備が整ってないから、心持ちゆっくりと歩いていたつもりだったのに、それでも余りに早く2組の教室の前に到着してしまった。


「…よし」


 もう一度、間違っても誰にも聞こえない声で呟いて、意を決してそろりそろりと2組の教室を覗き込んだ。


 見ると、昨日と同じく友美は一番後ろの自分の席で頬杖をついて、ボーッと何やら外を眺めていた。


 友美の姿を確認して、ちゃんと居たことに少しホッとしつつも、やっぱり居たかと少し尻込みしそうになってしまった自分を内心で叱咤する。


 何弱気になってるんだ、私。


 ギュッと目を瞑って、もう一度気合いを入れ直した。しかし、そのまま視線はするりと横に流れた。


 友美の席からほんの少し右に視線をやると、朝陽君が自分の席で静かにまだお弁当を食べていた。朝陽君は、特に周りに気を配る様子もなく黙々とお弁当を食べているみたいだったけど、耳にはイヤホンが繋がっているように見えた。


 朝陽君の姿を見たことで、少し自分の気持ちが軽くなってくれたのを感じた。朝陽君はこちらには特に気付いていないようだけど、別に今日はそれで良い。


 朝陽君に頼らず、私一人でちゃんと友美に謝らないとね。


 そして、2組の教室へと足を踏み入れた。


 別クラスの来訪者である私を、教室に居た他の生徒たちは特に気に留める様子もなく、私は真っ直ぐに友美の席へと近付いていった。


「……友美」


 緊張はやはり隠しきれない。ちゃんと出そうと思っていたのに、発せられた声はあまりに弱々しくか細かった。


 あまりに私の声が小さかったからか、友美は微動だにせずじっと外を眺めたままだ。しかし、僅かに動いたと思ったらそのまま頬杖を左手に変えて私の方を向いた。


 友美は、何も言わないものの分かりやすい仏頂面で、「何しに来たの?」と言っているのが表情から前面に出ていた。


 ほぼ想定内の反応ではあったけど、いざ目の前でされると思わずたじろぐ。


「……」


 友美は、私を見ても特に何を言うわけでなく表情も変えずにじっと私のことを見ていた。それは、まるで私が今こうしてやってくることはお見通しだったかのように、迷いのない眼差しだった。


 真っ直ぐに私を貫いてくる視線に、どうしようもなく視線が下がる。


「…えっと」


 言おうと思っていたことが一瞬で頭の中から消え去って、真っ白になる。それに合わせるかのように、目の前の視界もあやふやになって見えているはずなのに何も見えない。


 ヤバい、ヤバい、ヤバい。焦れば焦るほど頭の中には何も浮かんでこない。何もしなかったら、昨日みたいに友美は何も言わずにきっとこのまま席を立って何処かに行ってしまうだろう。


 それだけは絶対ダメだと、そんなことは分かっているはずなのに身体は動かず思考も止まってしまっている。


「………はぁ」


 その時、意識してないと多分気付けないくらいの声で、友美から溜息が漏れた気がした。


 そのまま、空気が僅かに揺らぐ気配を感じた。


 その瞬間、咄嗟に身体が動いた。


「ごめん!」


 もうなりふり構ってられないと、反射的に勢いよく頭を下げた。ギュッと目を閉じて、さっきまでのぼんやりとした視界がなくなった代わりに、頭の後ろを細かく打ち付けてくるような嫌な感覚がハッキリと自覚できた。強く閉じているせいか、目蓋の裏も痛い。


 何も見えない中で、さっきまであった教室内の喧騒は鳴りを潜めて、シンと静まり返っていた。勢い任せに謝って頭を下げたはいいものの、その勢いのまま思いの外大きな声が出てしまった。そこから、友美に向けて頭を下げたままじっと動かない私の姿は、お昼休みの教室内では随分と滑稽に映るのだろう。何も見えてないのに、あちこちから私のことを見ている視線を感じる。


 僅かに、指先が震える。


 きっと、皆私のことを見ている。それは漏れなく、「何やってるんだろう?」と奇異なものを見るような目で。


 そう思うと、嫌な記憶と自然にリンクする。呼吸が上がる。暑くないはずなのに身体の内側からじんわりと汗が浮かんでくる。身体が確かに震えているのが分かる。


 誠意を伝える為に、顔は上げない。でも、もしかしたら私のことなんて気にせず、既に友美は何処かに行ってしまっている可能性だってある。昨日の友美の態度と友美の性格を考えるとあながち無い話ではない。誰も居ない机に向かって頭を下げているとしたら、より一層私は変なやつだろう。


 早く、終わって…


 自分で始めたことなのに、そんな弱い自分が首をもたげてくる。目の裏にじんわり冷たいものが浮かび上がりそうになる中で、曖昧になった時間が嫌なくらい長く続いた。


「牧町さん、天音さんの言うことを聴いてあげてくれないかな?」


 その時、後ろの方から声が届いた。


 思いがけない声に、ようやく顔を上げた。


 右斜め後ろ、声のした方を見ると、いつの間にか朝陽君がいつになく真剣な表情で立っていた。


 その目線の先に目をやると、立ち上がったままどこか気まずそうに顔を逸らしている友美が居た。


「…別に、昨日みたいに止めなくても、こんな中で流石に何処かに行ったりは出来ないよ」


 友美は、はぁと一つ溜息をついて、ゆっくりと自分の椅子に座り直した。


「楓も、いい加減顔上げてよ。あんたがそんな似合わないことしてると、こっちもやりにくい」


 憎まれ口を叩きながらも、その声にはいつもの覇気はなく目も逸らしたままだ。そんな友美の様子を見て、ようやく身体を起こした。


「…昨日は、私もあんな態度取ってごめん。思わずカッとなってあんな態度取っちゃった」


 友美は、沈黙に耐えかねたように言葉を続けた。相変わらず目線は逸らしたままだけど、時折チラリとこちらを見てきた。


 そして、ようやくこちらに顔を向けてもう一度小さく溜息をついた。


「はぁ…分かったよ。もう逃げたりもしないし話もちゃんと聴いてあげるから、もう一度ちゃんと話してよ」


 どうぞ、と言うように友美は私に話をするように促した。


 しかし、


「…あっ、そっか。そういえば、謝ったら友美を誘おうとしてたんだった」


 思わず、そんな間の抜けたことを言ってしまった。


 その瞬間、漫画みたいに友美は頬杖の支えが外れてズッコケて、後ろの方で「プッ」と朝陽君が笑いを堪える声を聞いた気がした。


「はぁー!?あんた、何の為にここに来たの!?」


 堪らず、友美は両手で机を叩きながら勢いよく立ち上がった。


「えっ?だって、昨日友美はあんなに怒ってたし、ちゃんと謝った方が良いと思って…それで、確かに謝って友美が許してくれたら、もう一回誘おうと思ってはいたけど、緊張してそれどころじゃなくて…」


 思いがけない友美の剣幕に、言い訳を積み重ねた。きっと、すごく怖い顔をされてると思うけど、それが分かるから、怖くて友美の方が見れない。


「まぁ、楓は確かにそう思いそうな気もするし、謝りに来てくれたことも正直少し嬉しかったけど…それにしても……あー!何かイライラしてきた!」

「えっ、何で!?」


 友美が目の前で何やらモジモジしたと思ったら、すぐさま頭を抱えながら怒り出したのでその七変化に私もタジタジで、思わず戸惑いの声を上げた。


「…って、昨日もそうだったけど、朝陽君も笑ってないでこのアホの子のフォローしてよ!」

「ちょっと待って!アホの子って、私のこと!?何でそんな風になってるの!?」


 訳も分からず振り返って朝陽君を見ると、友美の言うように朝陽君はお腹を抱えて笑っていて、とても何か言えるような状況ではなく、何処に目を向ければいいかも分からず友美に視線を戻すと友美はプリプリ怒ったままだ。


 訳も分からず、視線を朝陽君と友美、交互に向けていると、ようやく笑いを収めた朝陽君が「はぁー…」とか言いながら目頭に浮かんだ涙を拭った。


「いやー、本当に二人のやり取りって漫才コンビみたいで面白いね」


 フォローではなく、不本意な物言いに、「「漫才じゃない!!」」と友美とユニゾンでツッコミを入れると、また朝陽君は笑いを爆発させてしばらくまともに話せなくなってしまった。


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