第1章「出逢いの季節」②
天音楓、朝陽仁が、ちゃんと出逢います。
ここから、物語が動き出します。
「もしもーし。眠り姫、ちゃんと起きてる?」
「今から、眠りにつこうとしていたのに…」
その日の夜、香奈子から電話が掛かってきた。
香奈子からは、二日に一回くらいのペースでこうして電話が掛かってくる。電話が来る時間は、いつも何故か私の就寝前のタイミングで、さて少しだけベッドの中でうだうだ過ごしてそのまま寝ちゃおう、という時に掛かってくる。
しかし、毎回特に用件らしい用件はなく、ただの雑談をするだけなんだけど、何だかんだ話していると数十分,時には一時間くらい話していることも珍しくない。
だから、香奈子に名付けられた「眠り姫」というあだ名の原因の一端は間違いなく香奈子にあると思う。
「相変わらず、良い子ちゃんだね楓ー。夜はまだこれからだよ?」
「11時は、充分就寝時間だと思うけど?」
せめてもの抵抗を伝えるも、当然のように香奈子はそんな私の主張は無視だ。
「いいからいいからー。どうせ、いつものように少しベッドの中でうだうだしてから、そのまま寝ちゃおうとか思ってたんでしょ?」
図星を突かれて、思わず押し黙った。
「図星だね」
顔は見えてないはずなのに、香奈子はその感情まで言い当てて受話器の向こうで「ふふふ」と笑っている。
「…香奈子は、意地悪な子だ」
「好きな子に意地悪したくなるのは、いくつになっても変わらないものだよ?」
減らず口も減らない。
「そういえば、香奈子だったら知ってるかな?」
「うん?何が?」
これ以上、香奈子とまともに正面からぶつかっても勝てる気がしなかったので、あえて話題を変えた。香奈子も、唐突な話題変更にごく自然に合わせてきた。
「二組の男の子のこととか分かるかな?」
「えっ?まぁ、全員は流石に分からないけど、ある程度なら…」
香奈子は、交友関係が広い。比較的クラスの中では私と一緒にいることが多いけれど、基本的に男女問わず色んな子と話ができるし、それは他クラスの子たちも同様だ。
「でも、どうしたの急に?二組に気になる子でもできた?」
言われて、グッと言葉に詰まった。確かに、気にはなったけど、そう言われると何ともすぐに返答しかねる。
「えっ、本当に!?本当に気になる子できたの!?」
ところが、そんな私の沈黙を香奈子は逃さなかった。声がワントーン高くなって、明らかにテンションが上がっていた。寝っ転がっていたのが、バッと飛び起きている姿まで想像できた。
「誰?誰?」
「うーん、別にそういうんじゃないから、香奈子とりあえず落ち着いて!」
思わず、少し大きな声が出た。しかし、すぐに夜であることを思い出して、慌てて声を萎める。
「…もう、あんまり大きい声出させないで。たまに、うるさいって次の日お母さんから怒られるんだから」
「ごめんごめん。思わず、私も興奮しちゃった」
香奈子は、一応素直に「ごめん」とは言っているけど、まだ声の端々に興奮の色が隠せていない。
「で?どういう子なの?」
気を取り直して、香奈子が聴いてきた。
「うーん、正直今日会っただけで、顔も今まで見たことないんだけど、とりあえず同学年で二組ってことだけ分かってるんだけど…」
私の話を聴きながら、電話の向こうで「ふんふん」と香奈子は声を弾ませていた。何とも楽しそうだ。
「名前とかは全然分からないんだけど…」
「顔とか性格の特徴は?」
名探偵さながらに、香奈子は質問を投げ掛けてきた。
「うーん、凄くきれいな顔してたかな?」
「あれ?楓って、面食いだったっけ?」
すぐに香奈子は茶化してくる。
「もう、だからそういうんじゃないってば!」
「ごめんごめん。あんまり大きい声出したら怒られるよ?」
わざとやってるな、と思ったけど、それを言ったら更に面白がられそうだったので、口には出さなかった。
その代わりに、バレないように掛け布団を少しずり上げた。
「もう…うーん、イケメンっていうよりは、結構童顔な感じだった。年下って言われても納得しちゃいそうな感じ」
「あっ、分かったかも」
たったこれだけのヒントで、香奈子はピンと来たようだ。
「えっ、嘘?これで分かったの?」
流石に、これだけのヒントで分かるとは、香奈子の人脈網恐るべし。
「えっ、誰?誰?」
「待った待った。まぁ、そんなに慌てなさるな。まだ、100%って言い切れるわけじゃないから、もう少しヒント頂戴」
まるで私ががっついてるみたいに諭されて、顔が赤くなるのを感じた。
「…うーん、そうだなー。何となく不思議な雰囲気の子で、ピアノが凄く上手かった」
「はい、100%分かりました」
香奈子は、間髪入れずに言った。
「えっ?本当に?」
「うん。というか、その子多分結構有名な子だと思うけど、むしろ楓は知らないの?」
有名、と言われて、改めて思い返してみてもやはり特に見覚えはなかった。
「まぁ、楓は全然男の子とかそういう話には興味ないからねー」
何となく、子ども扱いされているような気がしたけど、言ってることは本当のことなので、何も言い返せない。
「そんなに、有名な子なの?」
「まぁ、主に女の子の間ではね。単純にイケメンだし」
確かに、そういえば私もパッと見た時は同じような感想を抱いていた。
ただ、いかんせん悲しいのは、私自身それに対して「へぇー」という感想しか抱いてないところだ。
「確かに、すごい綺麗な顔してる子だった」
「でしょ?と言っても、私も噂で聞くくらいで実は直接会ったり話したりしたことはないんだけど」
「何それ。じゃあ、100%合ってるなんて、信憑性も怪しいなー」
「あんな少ないヒントでむしろ目星付けてるんだから、充分凄いと思うけどな。まぁ、そんなこと言うなら教えてあげなくてもいいけど」
「香奈子さん、ごめんなさい。教えてください」
変わり身の早さには自信がある。布団に潜ったままではあるけど、心の中ではちゃんと深く頭を下げた。
「素直でよろしい。ただ、今度何か奢ってね」
やはり、香奈子はそんなに甘くない。アルバイトを禁止されてる高校で、少ないお小遣いだけで何とかやり繰りしているのに、容赦ない。
「…うーん、良いけどお手柔らかにお願いします」
「おっ?こんなにあっさり承諾してくれるとは、本当にその子の名前聴きたいんだね。よしよし、じゃあその素直さに免じてタダで教えてあげよう」
本当は、私をからかいたかっただけで、最初からタダで教えてくれたんじゃないかと思ったけど、それを言うと本当に何か奢らされそうなので、ここはグッと我慢だ。
「きっと、その子の名前は、『あさひじん』君だよ」
言われた時に、パッとどんな漢字を書くのか浮かんで来なかった。でも、格好良い響きの名前に対して、失礼ながら童顔なあの子には何だかそのまま当てはまらない気がした。
「確か漢字は、朝昼晩の『朝』に陽光の『陽』。そして、仁義の『仁』だよ。どう?漢字も結構格好良いと思わない?」
朝陽仁。今教えてもらった名前を頭の中で書いてみると、確かに格好良い気がしたけど、やはりあの子にピッタリ合うとは正直思えなかった。
ただ、今は朧げになっているあの笑顔を浮かべると、「朝陽」という名前は合っているかもしれないと思った。
「へぇー、やっぱり初めて聞いた名前だ」
変に意識していることを悟られたくなくて、返答は少し淡白になった。
「あれ?思ったより反応薄めだね」
「うん。もう、どんな顔してたのか正直曖昧にはなってるんだけど、何かイメージと違ったなー、って思っちゃった」
「って、どんな想像してたの?」
「うーん、特に分かんないんだけど」
「何だそりゃ」と言いながら、香奈子はカラカラと笑った。
「でも、朝陽仁って、何か芸能人みたいな名前だね」
「あぁ、言われてみたらそうかもね。って、楓の名前も充分芸能人っぽいと思うけど?」
「えっ、そうかな?」
「そうだよー。『天音楓』なんて、ドラマのヒロインの名前でも全然違和感ないもん」
思いがけず自分の言葉がブーメランで返ってきたので、少し顔が熱くなった。
「香奈子は……まぁ、香奈子だね」
「あっ!今イジったでしょ!」
受話器の向こうで、また香奈子がバッと飛び起きたような気がした。
「イジってないよー。新見香奈子ちゃん」
「あっ、こいつ絶対イジって来てる。明日、学校で覚えてろよ」
香奈子に、恐ろしい宣告を受けたけれど、普段香奈子をイジれる機会なんてほとんどないので、楽しくなってコロコロ笑った。
そのまま、お互い下らないやり取りを続けて、結局気が付けば電話を切ったのはすっかり時計の針もてっぺんをとうに超えた時間だった。
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翌日からは、しばらくいつもの日常の繰り返しだった。
あの男の子の名前を聴いた翌日は、朝登校するなり香奈子から「昨日の仕返しだー!」と頭をワシャワシャされてせっかく整えてきた髪の毛を乱され、すぐにトイレに直行させられた。
それ以外は、あまりにいつも通りの一日だった。授業を受けて、授業の合間に香奈子と喋って、お昼休みにお弁当を食べて、午後の授業は少し眠たくて、放課後になったら香奈子は部活に行って、私は音楽室に向かった。
正直、移動教室の時や授業の合間に教室の外に出る時、思わずあの子の姿を見かけないかと、意識はしていた。しかし、あの子の姿を見ることは一向になく、放課後音楽室で一人ギターを弾いて歌を歌っていても、あの子が現れることはなかった。
そんな日々が、何日も続いた。
それは、今までは当たり前のことで、何も気に掛けることない日常の日々だった。
なのに、ふとした時に私は、またあのピアノを聴きたいと自然と思うようになっていた。
たった一度だけ、偶然に聴いた何気ない一曲のピアノ演奏。それに、私はちゃんと心を掴まれてしまっていた。
だけど、自分から二組の教室に行こうとはしなかった。
自分から見に行ってしまうのは、何だかあの子に対して完全な敗北宣言をするような気がして、別に何の勝負をしているわけでもないのに悔しくて、ちっちゃいちっちゃい私のプライドが「ダメ!」と心の中で精一杯バッテンマークを掲げていた。
そして、そんな自分のプライドのせいなのか、元々見たことなかったので当然そうなのか、日常の中であの子と出会うことはなかった。
そして、しばらく日が経ち、あの子の顔も本当にほぼほぼ薄れてしまったある日のことだった。
「あれ?」
いつもの放課後、いつものように音楽室の扉を開けようとすると、僅かに開けた扉から微かにピアノの音を聞いた気がした。
あの日から、音楽室の扉を開ける時は自然と慎重になっていた。もしかしたらあの子がまた来てるかもしれない、という淡い期待も多少あったけど、それ以上にもしもあの子がまたピアノを演奏していたら、それを邪魔したくはなかった。
あわよくば、また隣で静かにあの演奏を聴きたかった。
「……」
だからこそ、僅かに開けた扉の向こうから音が聞こえた時、否応なしに胸がときめいた。
「……よし」
誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いて、決して邪魔をしないようにゆっくりと静かに扉を開けた。
ところが、
「あっ、やっぱり来たんだね」
「って、何で今日は演奏止めちゃうの!?」
開口一番、思わず飛び出したのはそんな言葉だった。
意を決して扉を開けると、それまでは確かにピアノを演奏していた手が止まっていた。
「えっ?どうして?」
「どうしてって、前はあんな音立てて入ったのに気付かなかったのに、今日は私静かに入ったと思うんだけど」
「あぁ、もしかしたら来るかもしれないなー、って思ってたから」
てっきり演奏を続けるもんだと思ってたのに、それを当然のように止められて面食らったけど、その理由が自分自身によるものであった事に少し胸が跳ねた。
この子も、同じように私を待っていてくれたのかな。
ここ数日、自分が抱いていた感情を共有してたんだと思うと、嬉しかった。
「私も、もしかしたら来てるかもしれないって思って静かに扉開けたのに」
「あっ、気遣ってくれてた?」
言われて、確かにその通りではあるんだけど、それはそのまま私がこの子のことを待っていたと言ってるようなもので、顔が熱くなった。
「…えっと、朝陽仁君で合ってるのかな?」
思わず視線を逸らして、髪をいじりながら話題を変えた。
「えっ、何で僕の名前知ってるの?」
驚いた声が音楽室に響いた。
視線を戻すと、朝陽君は目を丸くして本当に驚いた表情を浮かべていた。
「えーっと、前回会った時にそういえば名前聞いてなかったな、と思って。で、友だちに聴いて、それって朝陽君じゃないか、って言われて…」
言いながら、少しずつ声が尻すぼみになっていく。確かに、さっきから朝陽君の言ってることとその反応は至極当然で、演奏してる所に誰かが入って来たら演奏を止めるのは当然で、名乗ってもいないのに自分の名前を知られていたら驚くのも当たり前だ。
ここ最近、ずっとモヤモヤしてたから、いざ朝陽君を前にしたら何だか調子が狂う。
「ごめんね。勝手に名前聞いちゃってて」
「えっ?別に謝ることじゃないし、それは全然良いんだけど、ごめんね、僕は君の名前を知らなくて」
朝陽君は、そう言ってペコリと頭を下げた。
それこそ、朝陽君は謝ることじゃないのに、「ごめんね」と言っていて頭を下げてる姿に、思わずプッと笑ってしまった。
「それは、君も同じだよ。それこそ、別に謝る事じゃないのに」
「あっ、そういえば」
笑いながら言う私に、朝陽君も笑ってくれた。
「あはは、確かにそうかもね」
そうして笑う朝陽君は、この前見た優しい笑顔を浮かべる少年の顔をしていた。
何だか、朝陽君の笑顔を見て改めて、私は久しぶりにこの子と再会できたんだということを実感した。
「私は、天音楓。天の音と書いて『天音』で、楓は植物の『楓』」
ようやくまともに朝陽君の顔を正面に見ながら、自己紹介をした。
「へぇー、天音さんか。綺麗な名前だね」
優しい笑顔でストレートに言われて、面食らった。そんなことを臆面もなく言えることもすごいけど、それが本当に自然で、言われても全く違和感がなかった。
「朝陽君こそ、良い名前だと思うよ。何か、芸能人みたいって友だちと話してたもん」
「えっ?そうかな?」
言われたことをそのまま返してみたけど、朝陽君はお決まりのキョトン顔だ。香奈子に対してもそうだけど、仕返ししたつもりでも私が望む反応が返ってくることはない。
「うん、そうだよ」
だから、目一杯強がりをする。
でも、そんな私に対して、「そうなのかな」と朝陽君は笑ってくれた。
「……」
数日前に香奈子に話していた、失礼な自分を叱ってやりたくなる。
改めて朝陽君を目の前にして話していると、名前だけで聞いてた時はどこか違和感があった「朝陽仁」という名前が、むしろこの子にピッタリだなと思えた。
どこか不思議で天然なところがあって、でも優しい笑顔と声のこの子には、この名前がとてもしっくり来た。
結構チョロい楓は、書いてて楽しいです(笑)