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君の歌が聴こえる  作者: ひふみん
2/8

第1章「出逢いの季節」①

「海に向かって」の次の作品を投稿開始させて頂きます。


題名は、「君の歌が聴こえる」


「海に向かって」が完成すると同時に、立て続けに序盤部分だけアップさせて頂いた作品です。

ずっと続きをアップせず、放置している状態になってましたが、スピンオフを書き上げないことにはここに取り掛かることはできませんでした。

ただ、そのスピンオフも無事書き終わり、ここから心置きなく取り掛かることができます♫


こちらは、「海に向かって」同様青春小説ですが、今回のテーマは「音楽×花火」です。

先にアップしてます冒頭部分のイメージが最初に浮かんで、そこからどんどんとイメージを膨らませていった作品です。

構想自体は一年前に浮かんでいまして、それをこの一年間自分の頭の中でずっとブラッシュアップさせてきました。

音楽を文章で表現していくことと、情景描写を美しく描いていくことを意識して、「海に向かって」を超えるもっと面白い作品にしようと思っています。

なので、少しずつの投稿になっていくとは思いますが、ぜひぜひお付き合い頂ければと思うのでよろしくお願いします!


4月29日に、中途半端に終わってた箇所を最後まで書き足しました!

 目を閉じると、キュッと胸が苦しくなる光景がある。


 頭上で炸裂する爆発音。瞼の裏からでも分かる鮮やかな閃光。遥か上空から、届くはずないと思うのに感じる熱。そして、少し遅れて漂ってくる火薬の匂い。


 それを感じながら、胸が苦しくなって何も考えられなくなる。頭の中は真っ白で、口は開くのに声が出ない。


 喉に貼り付いて声が出てくれない。ギターを爪弾く指が動いてくれない。身体が石化してしまったみたいに動けない。汗が止まらない。


 私、何で浴衣なんて着てるんだろう。あぁ、だからきっとこんなにも暑いんだ。


 花火が終わって、まだ瞼は閉じたままなのに、その裏から無数の視線が私を視ているのを感じる。心を、貫いていく。


 息が上がる。息を吸っているはずなのに、どんどん苦しくなっていく。肺に空気が溜まっていかない。正しい呼吸を忘れてしまったように、どんどん、どんどん、


 そして、、


「おーい、眠り姫ー。次は、移動教室だよー。行くよー」


 机に突っ伏していたところに、元気な声が頭の上から降り注いできた。


 顔を上げなくても分かる。この声は、香奈子かなこだ。


「姫じゃない。今、私は眠れる獅子なのです」


 顔を上げることなく答える。むしろ、より一層顔を抱え込むように両腕を手繰り寄せた。


「そうかそうか。でも、早く行かないとチャイム鳴っちゃうよ」

「獅子は、そんなものでは動じないのです」

「怒られるよー」

「獅子は、以下略」

「はいはい。分かったから、早く行こうニャン」

「それじゃあ、猫じゃん!」


 ガバッと勢いよく顔を上げた。すると、顔を上げた先で頬杖をつきながら香奈子が微笑んでいた。


「よしよし、ようやく起きたか」

「ガオ」

「よーし、じゃあとっとと行こうかー」


 せっかくライオンの手までつけたのに、香奈子は無視して授業道具を持って教室を出ていってしまった。


「待ってよー」


 慌てて、引き出しの中から次の授業道具を取り出して、教室を後にした。


---


 季節は、秋の気配が近付き始めた9月の中程だった。


 長かった夏休みが終わり、既に学校は二学期が始まっていた。


 高校生になって初めての夏休みはあっという間で、高校で離れてしまった中学時代の友だちに会ったり、高校でできた友だちと買い物に出掛けたり、一応夏休みの宿題に追われたりと、なかなかに忙しい1ヶ月を過ごしていた。


 しかし、その夏休みが終わって、また始まってしまった学校生活にうんざりしていたのもほんの束の間、気付けばすっかり夏休み気分の方が抜けて、学校生活に慣れ始めていた。


 残暑がまだまだ残っていて、気温は夏とそこまでまだ変わらない。だから、まだ衣替えには早く、着ている制服も半袖だけれども、肌に感じる空気感は少しずつ秋を感じ始めていた。


 教室から見える木々も、まだ色付いてはいないけど、風に揺れて反射する木漏れ日は夏よりも幾分か柔らかくなっていた。


「はぁー…」

「あからさまな溜息を吐いたね、かえで


 分かりやすい溜息を、香奈子は見逃さなかった。


 授業は全て終わって、放課後になっていた。廊下を歩いてると、部活に行くクラスメイト達とすれ違う。


「うん。少しずつ秋も近付いて来てるからね、少し感傷的な気持ちにもなっちゃうのかな」

「そんな事言って、どうせまた夏祭りのこと思い出してたんでしょ?」

「どうしてそれを!」


 精一杯驚いた表情をしたのに、香奈子はカラカラと笑っている。


「そりゃ、分かるよ。というか、楓は色々分かり易すぎる」

「うーん、もう少しポーカーフェイスを覚えないといけないか…」

「楓には無理だから、先に諦めておいた方が良いよ」


 気兼ねない友人からの指摘は、相変わらず手厳しい。


「ひどいなー。私だって、少しくらいはできるよー」

「はい、じゃあもう一回思い出して」

「………」


 香奈子は、すぐ嫌なことを言う。


「ほら、すぐ顔に出る」


 香奈子は、勝ち誇った表情でまた笑った。


「……そんなに、顔に出てる?」

「出てる出てる。手鏡持ってるから、貸してあげようか?」

「それはいい」


 香奈子の親切をすかさず断る。しかし、ずっとムッとした顔をしてるはずなのに香奈子は何だかずっと楽しそうだ。


「まぁ、なかなか忘れろって言っても難しいとは思うけど、あんまり思い詰め過ぎない方が良いよ。楓、結構気にしいだから」


 香奈子は、高校に入ってから仲良くなった友だちで、付き合い自体はまだ半年くらいだ。


 だけど、結構ちゃんと人のことを見てくれていて、いじってくるけどその後に掛けてくれる言葉は、こちらのことを考えてくれてて優しい。


 でも、だからこそここで少し許してあげようと思ってしまってる自分が悔しい。


「うん、頑張る」

「そうだ、頑張れ頑張れ」


 また、香奈子はカラカラ笑った。何だか、同級生のはずなのに、まるで香奈子がお姉ちゃんみたいで、しかもそれが私ができない妹で、香奈子がそれを宥める姉という構造になってるのが嫌だ。


「楓は、今日どうするの?帰宅部発動?」

「うーん、今日もちょっとあそこに行こうかなって思ってる」


 まだ、どうしようか考えてるところだったけど、このまま家に帰っても色々モヤモヤしそうなので、今行くことを決めた。


「そう。頑張るねー」

「香奈子だってそうじゃん。大会、近いんだよね?」


 香奈子が肩に掛けてるケースを見ながら言う。


 香奈子は吹奏楽部に所属していて、パートはフルートだ。中学からずっとやっていて、実際に聴いたことはないけれど、一年生ながらになかなかの腕前らしい。


「そう。夏休みも、ほぼ休みなしで練習ばっかりだったからね。私の高校生としての初めての夏は、何もなく終わっちゃったよー」


 言ってることはボヤキなのに、香奈子の顔はそこまで嫌そうには見えなかった。何だかんだ言いながらも、香奈子も部活を楽しんでるみたいだ。


「頑張ってね、香奈子!私も、大会応援に行くよ!」

「ありがとう。気持ちはありがたく貰うけど、大会は一般生徒は来れないようになってるんだよねー」

「うん、知ってる!」

「おい」


 すかさず、ペシッと二の腕を軽く叩かれた。


「いたーい」

「可愛子ぶってもダメ。私のありがとうを返せ」

「でも、香奈子の演奏が聴きたいっていうのは本当だもん」

「そっか。なら、許してあげよう」


 香奈子は、今叩いた私の二の腕をサスサス撫でてくれた。素肌を直接撫でられるので、ほんの少しだけ冷たくて気持ち良い。


「じゃあ、11月にある演奏会は、ちゃんとお客さん呼んでやる定期演奏会だから、そっちは来てよね」

「分かった!」


 ビシッと姿勢を正して敬礼を決めると、「はいはい」と香奈子はつれない反応だ。でも、口元が微かに緩んでいることは隠せてなくて、それを見て私も密かにほくそ笑んだ。


 部活に向かう香奈子を見送って、私も自分の行き先へと向かう。部活動に向かう同級生たちの波に逆らいながら、階段を上がっていく。


 学年ごとに階が決められているので、私たち一年生は1階。そのまま、2階,3階と階数に倣って学年が上がっていく。


 特に部活動にも参加していないので、見知った先輩などもいない中で一人階段を上がっていくのは、いまだに少し緊張する。なるべく、先輩たちと遭遇しないように少し大回りで校内を回って、あまり人が通らない階段を上がっていくけど、それでも数人の先輩たちとはすれ違う。


 一年や二年しか歳が違わないはずなのに、すれ違う先輩たちはなぜか誰もが自分よりも全然大人に見えた。だから、皆帰宅や部活動の為に階段を下っていく中、一人そこを逆流していく私は、ただでさえ目立つので、気持ち小さくなって先輩たちの横をするりするりと抜けていった。


 ようやく3階まで辿り着いて、ホッと肩を撫で下ろした。


 上から見るとコの字型になってるうちの高校は、主に使っている教室はコの字の下の方に全て連なっていて、コの字の上の方には主に多目的教室や理科室など、普段は使わない教室が多く並んでいた。


 しかし、そんな中で3階にはあまりそういった教室もなく、空き教室が多くあった。


 いつもここに来ると、もうちょっと有効活用したら良いのに、なんて余計なお世話が過ぎるけど、ただそのおかげで人に知られることなくあそこを使えているので、むしろ感謝しなきゃいけない。


 誰もいない長い廊下を歩いて行く。ペタペタと自分の内履きの音が微妙に廊下内で反響する。長い廊下だけど、他に誰もいない為にその音は結構響いた。それが、誰かにバレるんじゃないかといつもヒヤヒヤするけど、何だか極秘ミッションに臨んでいるスパイのような気分で、案外嫌いじゃなかった。


 長く感じる廊下の突き当たり。それまでに並んでいる教室とは、明らかに違う扉が現れる。


 他の教室は基本的に木の扉なのに、ここだけは銀色の少しだけ光沢感のある扉だ。そして、取手の部分は横向きではなく、縦向きになっている。ガチャッと、音を立てて開ける防音扉だ。


 ここは、音楽室だった。


 ただ、校内にはもう一つ音楽の時間で使う広めの音楽室があるので、こっちの部屋が使われたことは一度もなかった。


 ここを教えてくれたのは香奈子だった。吹奏楽部では、部活の時間は色んな空き教室や中庭を使って各自が練習しているけれど、ここを使う人は一人もいない。というのも、この音楽室は防音などはしっかりしているけれども、吹奏楽部が練習するには少し狭く、また中にはピアノも入っているのでそれが余計に部屋を狭くしていた。


 そして、それが授業などでも使われてない理由で、だからこそ一体どうしてこんなところにこんな部屋を作ったのかは分からなかった。


 ただ、ギターや歌の練習を家でやると、流石にお母さんから怒られるんだとボヤいた私に、香奈子がこの部屋の存在を教えてくれた。どうして香奈子がこの部屋のことを知っていたのかは聴いてないけど、一度使ってみると一人で練習するには充分すぎるくらいに広くて、誰にも気付かれることなく練習もできるのですっかり気に入ってしまった。それからは、足繁くここに通って、ギターや歌の練習をしていた。


 ほとんど使われていない空き教室が並んでいる3階の、それも一番奥の部屋。密会するには何とも適した場所に思えるけど、幸運にもこれまでそうした場面に遭遇したことはなかった。


 でも、向こう側が全く見えないこの重い扉を開ける時にはいつも緊張する。いつも、誰かがいることなんてないけど、もしも誰かがいたらどうしようとドキドキするし、防音室ならではの、ガチャッと大きな音がなる取手も誰かにバレるんじゃないかとドキドキする。


 ふぅ、と軽く息をついてから、いつものように縦になっている取手をガチャッと横に引いて、ゆっくりと扉を開けた。


 すると、


「……あれ?」


 僅かに開いた扉の向こうから、ピアノの音色を聞いた気がした。


 そのまま、恐る恐る扉を開けた。



 ♫ ♪ ♫ …



 今度は、確かにピアノの旋律が聞こえた。誰かが、中で演奏しているみたいだ。


 「まずい!」と咄嗟に思って、扉を閉めようとしたけれど、聞こえてきたメロディーに聞き覚えがあって、その手が止まった。


 それは、日本の世界的な作曲家が創ったピアノの代表曲で、私も大好きな曲だった。


 扉を開けた時に結構大きな音がしたはずなのに、ピアノは一切演奏を止めずにメロディーを奏で続けていた。


 印象的なフレーズを、丁寧に丁寧に演奏していた。


 その音色は、少し聞いただけでもスッと耳と胸の中に入ってきた。まるで、優しく頭を撫でられているような、子供のときにお母さんの膝の上で丸まって眠っている時のような、そんな優しさがあった。


 そんな音色を聴いてしまったからだと思う。思わず私は、閉めようとしていた扉をそのまま開いていた。


 扉を開いた先で、一人の少年がピアノを弾いていた。


 いや、少年と思ったけれど、着ているのは制服で、それは間違いなくうちの学校の制服だった。


 パッと見た時に咄嗟に「少年」と思うほど、ピアノを弾いてるのは童顔の男の子で、全く知らない子だった。


 高校生というには何処となく幼さが残るその顔立ちに、先輩であるという線は自分の中で消えていて、勝手に同級生で隣のクラスの子かな?と決めつけていた。


 とても綺麗な顔の子だった。ここからは横顔しか見えないけど、横顔だけで整った顔をしていることが分かる。多分、クラスにいたら普通に座ってるだけで目立つし、女の子たちが影でキャーキャー言ってる絵が簡単に浮かんだ。言うなれば、王子様的な雰囲気があった。


 ただ、それ以上に奏でているピアノに魅了された。


 男の子は、私が入って来たことも気が付いてないように、止めることなく演奏を続けていた。


 男の子は、まるで優しく撫でるかのようにピアノの鍵盤を鳴らしていた。次の鍵盤に行くまでの動きには一切の淀みがなく、流れるようにその細い指を鍵盤の上で滑らせていた。


 そこから紡ぎ出される音は、どれもがとても優しかった。扉を全て開けて聴いたその音色は、当然ボリュームが上がっているはずなのに、身体に入ってくるのはとても優しく柔らかだった。


 さっき隙間から聞いただけでも感じた優しさが、そのまますっぽりと全身を包み込んでくれているような、そんな心地よさだった。


「……」


 ただ何も言えず、この音色を邪魔するのが嫌で、扉を閉めることも忘れてただその演奏を聴き続けていた。



 ……♪



「…あれ?誰?」


 ようやく、こちらに気が付いたのか、男の子は目を丸くしてこちらを見た。


「あっ……えっと、その…」


 演奏が終わり、ハッと我に返って今の自分のいたたまれなさを改めて自覚した。


 演奏してる所に勝手に入って来て、挙げ句の果てには横でただボーッと聴いていたのだ。男の子からすると、大分謎の人だ。


「えっと、ごめん…普段、私この音楽室使っていて…」


 そう思っていたのに、口から出た言葉は我ながら訳が分からない。全く言い訳になっていないし、むしろ勝手に自分のものだと主張するなんて、おこがましいにも程がある。


「あっ、そうだったんだね。ごめん」


 ところが、男の子は素直にペコリと頭を下げて、すぐに椅子から立ち上がって退いた。


「ごめん、君のピアノだって知らなくて。ピアノがあったから、思わず弾いてみたくなっちゃって」

「いや、ごめんなさい。むしろ私の方がごめんなさい。そのピアノは私のじゃないし、この音楽室も別に私のじゃないです」


 あまりに純粋に言われるもんだから、思わず謝りの言葉を敬語で並べた。何だか、子どもの使ってた物を取り上げて、それを諭された気分だった。


「あれ?そうなの?」


 男の子は、またキョトンとした表情を浮かべた。それは、本当に純粋に驚いている様子で、特に皮肉でも何でもなく、本当に「そうなの?」と思ってる感じだった。そのまま、ピアノが私のものじゃないと分かると、またストンと椅子に座り直した。


 何だか、不思議な子だなと思った。


「一年生?」


 ペースが少し狂いそうだったので、とりあえず差し障りのない質問を投げた。


「うん、一年だよ。君も一年かな?」

「うん、私も一年。一組。」

「そうなんだね。僕は二組」


 話してる間、男の子はずっと楽しそうにニコニコしていた。そのおかげか、初めましての人とそこまで流暢に話せるわけでもないのに、すごく自然と会話ができた。


「君は、いつもここに来るの?」


 男の子が聴いてきた。


「うん。私、部活とかも入ってないから、放課後にこっそり来てギター弾いたり歌ったりするんだ」

「ピアノは弾かないの?」

「ピアノは全然弾けないよ。でも、ギターの練習するから、そこにギター置かせてもらってる」


 一応は、無断で使用している気まずさで端っこの方に置いてあるギターを指差しながら言う。とは言っても、この部屋はピアノの置いてあるスペース以外はほとんど物置のようになっていて、色んな楽器や音楽関係の道具が置かれてあった。


「へぇー、ギターを弾けるなんて凄いね!歌も歌えるんだ!」

「そんな…言うほど上手くないし、歌だって…」


 男の子が純粋に「すごいすごい」と言ってくれるので、思わず照れてしまう。ただ、歌のことを自分で言おうとしてそこで言葉は止まった。


「そんなことないよ。僕は、ピアノしかできないから」

「ピアノしか、って。さっき、聴かせてもらってたけど、めちゃくちゃ上手かったよ。というか、普通に感動しちゃった」


 それは本心から思っていたことなので、言葉にも熱が込もった。


「あれ?聴いてたの?」


 男の子は、キョトンとした表情を浮かべた。それは、惚けてるわけでも何でもなく、本当に今気が付いたという素直な反応だった。


「うん。というか、入る時にあんな大きい音鳴ってたのに気付いてなかったの?」

「うん。僕、ピアノ弾いてる時に結構入り込んじゃうことがあって。それで、周りの音が何も聞こえなくなることがあるんだ。まぁ、それで怒られちゃうことも多いんだけど」


 そう言って、男の子は「たはは」と無邪気に笑った。


 確かに、男の子の演奏するピアノはそういうものだった。聴いているこっちまでその世界に引き込むような、そういった不思議な魅力を持った演奏だった。


「でも、本当に凄かった。うん、なんて言うか、本当に凄かった!」


 自分の感情をちゃんと伝えたいのに、出てくる言葉は同じものばかりで、自分の語彙力のなさに呆れる。


 でも、そんな私を、男の子は優しく微笑んで見つめてくれていた。


「ありがとう」


 そして、優しい声でお礼を言った。


「あれ?今って何時か分かる?」


 唐突に、男の子から時間を聞かれた。


「えっ?ちょっと待ってね…五時前だけど?」、

「えっ?本当に?」


 携帯を取り出して時間を確認してあげると、男の子は驚いた顔を浮かべて立ち上がった。


 ずっとニコニコしていたから、この表情は初めて見るなー、と思った。


「いけないいけない。そろそろ、行かないと…」


 言うが早いか、男の子はピアノの蓋を閉じると鞄を手に取って私の横を通り過ぎて行った。


「じゃあね」


 そう言って、男の子はそのまま音楽室を出て行った。私も、かろうじて「じゃあ」と言うことはできたけど、唐突な会話の終わりに溢れ出た声はとても小さく、男の子にちゃんと伝わったかは分からない。


 扉が閉まると、音楽室で一人取り残された。


 いつもこの場所に居る時は一人で、他に誰も居ないことが当たり前だったはずなのに、男の子が居なくなってシンと静まり返ったこの部屋は、何だかやけに寂しく感じた。


「…あっ、そういえば」


 だから、思わず思い付いたことが声に漏れた。


「あの子の名前、聴いてない」


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