2(中編)
海の音が聞こえる。波が砂浜に押し寄せ、引いていく音だ。遠くから、カンカンカンと踏切の閉まる音も聞こえた。列車が通っているのだろう。
「失敗の報告はさ」
海と同じ色の淡いグラデーションが綺麗なゼリーを口に運んで、書類に目を通す。
「改善の余地があるから受理されるんだよ」
「……それは」
海を眺められる白い建物。要塞と呼ぶにはあまりにもこじんまりとしていて、外観だけでいえば気の効いたカフェのような佇まいだった。
建物近辺に人の気配はなく、静かだからこそ、自然の音が一層大袈裟に聞こえるのだ。
そんな建物のテラスには日がよく差し込み、白いローブを纏った人影が二つほど。
「前例が無いから不用意に咎められないし。組織の方針もあるからさ、分かるんだけど」
「はい」
「やっぱり芽は今のうちに詰んでおかないとっていうか」
「はい」
「ま、判子を押す身としては、ね?」
「はい」
「うん。じゃあ、まあ。そんな感じで」
よろしく、とあしらわれる。相変わらずゼリーを食べることにしか注意を向けていない女である。書類に捺印された文字は「天音」と記されていた。それが彼女の名字なのだろう。
ブリーチした髪の毛先をライトピンクに染め、手先は異様に長いネイルをした、第一印象はなんだかけばけばしいとしか言い様のない女であった。無駄に厚底のヒールがテーブルの脚をカツンカツンとつつく。
そんな天音の叱責ともよく分からない言動に、覇気の無い返事を繰り返しているのは赤い髪の女だった。燃えるような髪の色とは真逆で、彼女の性格は明るくないようである。
「あの、失礼します……」
「はいはい、じゃあね~」
天音は最後まで彼女に見向きもせずに手をひらひらと振って、ゼリーを食べ続けた。
天音から受け取った書類には「顛末書」という題目と、天音の印に並んで、「岡西」という印も記されていた。今、この書類を握り潰したい気持ちに圧されながら、いやでも、これは上に提出する公式な書類であるし……と自身のストレスと葛藤している彼女こそ、岡西なのである。
天音は岡西直属の上司であった。先の振る舞いのとおり、上司とは名ばかり、具体的な指示もしなければ、部下に興味も示さない。当の自身は何をしているのかも正直なところよく分かっていない。
今日も、ハラジュクへと足を運び、適当な人間を見つけては、白い電波で鬼化させた。白い電波を発する機器は、リストバンド式のウェアラブル端末である。この機器から発せられる電波を浴びた人間には白い角が生えて、意識は組織に染まる。
人類白紙化計画。二年前に白の組織によって、アナウンスされたとんでもない計画だ。そのとんでもない計画を実行し、儚くも失敗した組織に、天音と岡西は属していた。実のところ、岡西は二年前の出来事を記憶していない。岡西が組織に属したのは一年前のことで、組織の歴史は「教育」によって知ったにすぎない。
岡西の仕事は、敵対する魔法少女の討伐だ。だが、それはあくまで形式的な話であり、実のところはお気持ちばかりの足止めに留まっている。
白い電磁波は無限に使えるものではなく、限りあるエネルギーによって成り立っていると聞かされている。そのエネルギーの正体さえ、岡西のような下の者には明かされていなかった。それでも、端末を持って、限られた電波で人間を鬼化し、鬼化した人間(魔法少女はオーガと呼んでいる)に魔法少女と戦ってもらう他ない。それが、仕事だからだ。
とはいえ、だ。失敗すれば顛末書を提出しなければならないし、嫌な思いもたくさんする。先ほどの天音とのやり取りだってそうだ。もっと何か根本的な改善をしなければ、平行線の戦いを続けることになるのでは、と岡西は顛末書を書く度に思っている。天音にそれを告げたところで「ふうん、そうかもね」で終わることは明白なので、思うだけに留まっている。
そうしてまた、端末を持ってあの町に出掛けるのだ。黒い電波塔のあった、ハラジュクへと。
「向いてないのかな、この仕事」
岡西は空虚にぼやいた。
無論、そんな台詞は波の音に容赦なくかき消されていった。