3(後編―下)
岡西は疲弊していた。充実した指導もなく、成功体験もなく。そうして今日もこうして現場に駆り出されていたからである。
雑居ビルの屋上に座り込み、手首のウェアラブルウォッチをカチカチと動かす。黙視はできないが、わずかに白い電波が発信されているはずだ。そうすると、おそらく「それ」は捉えるだろう、確実に。
「お待たせ」
別に待ち合わせの約束などしていないというのに、そのような第一声で、目的の魔法少女――緋色は現れた。
「あなたと待ち合わせをした記憶はありませんよ」
「知ってる。でも、呼んだでしょ?」
敵意すら感じられない気だるげな魔法少女である。台詞から察するに、理解していながらわざわざ岡西に応じたように見受けられる。
岡西はゆっくりと立ち上がった。
「おおよそ、あなたの想像どおりだと思います。何の捻りもない策略にすぎません」
「そ。じゃあもう帰っていいのかな」
「いいえ、私はここであなたを足留めする必要があります」
「なるほどね。付き合ってあげてもいいけど、結果は変わらないよ。白鳥は一人でも問題ないから」
緋色は淡々と答える。岡西はそれを初めから理解していたが、組織に所属している以上は、魔法少女を足留めすることが業務に他ならない。それが無意味であっても、与えられた業務であるなら受け入れざるを得ない。また顛末書……いや、今度は始末書かもしれないな、などと岡西はぼんやりと考えていた。
一方の緋色は、珍しくやや訝しげな顔をしていた。どうにも、この白いローブの彼女は初めて見かけるタイプだなあ、などと考えていた。とはいえ、さほど興味があるわけでもない。
「用がないのなら、私は帰るけど」
案の定、数ミリ程度の疑心をそのままに、緋色は帰ろうとしていた。
「いえ、そういうわけにもいかないのです。やることはやっておかなければ」
岡西はローブから剣を取り出す。グリップからブレイドに至るまで真っ白な剣である。言わずもがな、拳で戦う緋色とは分が悪い。
岡西は剣を構えてから、空気を吸い込み、それを慎重に吐き出した。そうして、前足を踏み込み、緋色を狙う。
「なるほどね」
緋色は様子を伺いながら、岡西の攻撃を交わす。避けた先を見れば、煙が舞ってアスファルトが崩れている。当たっていればただでは済まないだろうということは緋色にも理解できた。
そうこう考えている間にも岡西の切っ先は緋色に向かってきた。間髪いれずに攻撃されるも、妙な間があり全体的に重さを感じる。
緋色は岡西と距離を取り、相手を捉えてから駆け出す。指のリングが桃色に光った。目標の手前で床を殴ればアスファルトは砕け、桃色の煙幕が上がる。飛び散ったアスファルトの破片は岡西を襲うも、煙幕で視界が悪く岡西は思うように避けられない。緋色は岡西の背後の壁を蹴りあげ、そのまま彼女の利き手目掛けてまた拳を突き出した。
「うわっ」
緋色の攻撃に耐えられず、岡西の手元から呆気なく剣が落とされる。カランカランと虚しい音をさせながら回転し、やがて止まる。この状況で拾いに行ける距離ではない。
爆風でフードも外れ、岡西の赤い髪と顔は露になっていた。その時、緋色がオーガだと思っていた目の前の彼女に、角がないことを知る。
「あー……何だかいつもと感じが違うと思ってたけど。あんた、人間だったんだね」
緋色はまじまじと彼女を見つめる。オーガでないのであれば彼女はきっと白の組織の一員なのだろう。今まで魔法少女として勤務するも、組織の実態を見たことのない緋色には、この機会はかなり特異な状況なのだと理解した。といったところで、緋色には、岡西を問い詰めるほどの好奇心も責任感もない。
「私はオーガとは違います……」
ぼそぼそと、岡西は声を発した。
「私はちゃんと考えて、あなたたちの討伐を……」
緋色の胸元の端末が、微かに反応した。岡西ははっと我に返り、口をつぐむ。
「私の目的はもう済みました。もう、いいでしょう」
岡西は緋色が攻撃する意思がないのを悟り立ち上がると、飛ばされた剣を拾いに歩きだす。剣士としては屈辱だ。しかし、恥じらいを感じるほどの余裕も岡西には残っていなかった。
緋色は無防備な岡西の背中に向かって声をかけた。
「あんたはさ、どうして組織に属してるの」
「……あなたに教える義理はありません。でも」
岡西は剣を拾い上げる。
「あなたはどうして魔法少女を?」
「雇用条件がいいから」
迷いなく答える緋色に、岡西は呆れながらも少し羨ましく思ってしまう。軽い、ため息を吐いた。
「……即答ですか」
「うん、そうね。そっちは? 景気はいいの?」
「さあ……どうでしょうね」
拾い上げた剣を鞘に納める。組織の備品だ。失くしたり破損させたりすれば、始末書を書くことになるだろう。そのような規則一つを取ってみても、緋色の「景気」という言葉を拾えば、それはきっと良いわけではないのだと思う。そもそも、緋色たち魔法少女の所為であるのだが。
とはいえ、岡西のような末端の者に組織の財政事情の詳細が知らされることはない。単純に、天音が開示していないだけの可能性も否めないけれど。
「さようなら」
岡西は真っ白なローブを翻すと、緋色の視界から消えていった。
緋色はため息を吐いてから、蝶子の元へと向かうことにする。もちろん、わざわざ急ぐ必要を感じなかったので、ノロノロと歩いて。
オーガの身長ほどある大きなハサミは見た目ほどの威力はなかった。
ハサミを扱うには開閉の動作が伴ううえに、大きさと重さによって小回りが利かない。ジャキン、ジャキン、という音は蝶子を不安にさせるが、実のところそれだけスムーズに開閉できるということは、即ち意図せずに開きすぎてバランスを保てなくなることもある……ということである。そもそも、開閉の動きを抜きにしても、大きな金属の塊――ましてや刃が重なっていて二重の重さが生じる――となると、オーガの動作は大きくなりがちだ。
オーガはハサミを高く持ち上げ、開く。蝶子の首を迷いなく狙って。
「全く……」
蝶子は地を蹴りあげ自ら刃の間飛び込み、日傘を広げた。間に物体が突っ掛かったものであるから、オーガはもちろんハサミを閉じることはできない。
「そんな弱いの、すぐへし折っちゃう」
そう言いながら、オーガは挟まっている日傘を壊しにかかる。ギシギシと、日傘の骨が軋む音がする。
対オーガ用の武器とはいえ、テコの原理が働くハサミと日傘とでは、力の差は明らかである。
「想定内ですわ。この状況が一度でもあれば十分」
蝶子の胸元のブローチが青く光った。日傘の先端から青い光とともに水の魔法が生じる。それはハサミもろともオーガに命中した。
「そんな……ああ……」
攻撃が直撃したオーガは呆気なく倒れる。やがて角は消えていった。
蝶子は倒れているオーガだった少女をまじまじと見つめる。以前、緋色と共にいた際は躊躇していたが、今回は余裕がある。純粋な興味から観察を試みるも、特別何かを理解できるわけではなかった。
「白鳥ー」
聞き覚えのある気だるげな声に振り向く。何ということもない、緋色だった。ここに来たということはE地区は片付いたのだろう。
「緋色。こちらは終わりましたわ」
「うん」
そろそろ、蝶子は緋色に常識を期待することを諦めていた。しかし、だ。同僚であるなら、「お疲れ様」の一言だとか、簡単な報告だとか、そういった会話は生まれないものだろうか。
いやいや……と蝶子は首を振る。そうだ、緋色は「尋ねれば」答えてくれるはずだ。今度は、うんうんと一人で頷く。コホンと一つ、咳払いを添えて。
「ええと、緋色。私はこのとおりハサミのオーガを人間へと戻しました。ついては、E地区で起こった出来事を伺いたいのですが」
「わかった」
蝶子の予想どおり、緋色はいとも簡単に了承した。
「オーガはいなかったけど、組織の人間と対峙したんだ。元々、私と白鳥の戦力を分散させるために電波を発していたみたいだけど。特に難もなく、退けた……というか。そうね、自発的に帰っていったよ」
蝶子の頭には小宇宙が広がっていた。淡々と語られてはいるが、何か重要なことを言っているような気がしてならない。
蝶子の記憶が正しければ、組織……つまり、白の組織というのは人間をオーガ化していて、所謂魔法少女の敵、ということではなかったか。これまで全貌の見えなかった組織のメンバーと遭遇したことは、こう、もう少し大事……なのではないか。いや、しかしだ。もしかしたら、緋色と壱子は既に組織の人間と関わったことがあって、今回のことは大したことではないのかもしれない。その可能性は十分にあり得る。
「ええと、緋色。白の組織員とは以前にもお会いしたことがありまして?」
「ないよ。初めて」
このままずっこけてやろうか、と蝶子は思った。また、咳払いを一つして、蝶子は口を開く。
「緋色の話からすれば、本当にただ遭遇しただけですのね? 何か……そうですわね、緋色の所感などは」
「ま、組織も一枚岩ではなさそうだね。事務所に帰ったら報告書にまとめておくよ」
「そうですか、わかりましたわ」
気になることはたくさんあるが、蝶子は大人しく報告書を待つことにした。好奇心が過ぎていたかもしれない、と少しばかりの反省をして蝶子は変身を解除する。
緋色と共にルフォーレハラジュクに行くことは叶わなかったが、また機会はあるだろう。当初は緋色からの情報収集を目的として誘ったことも否めないが、今度はそういった目的ではなくなるはずだ。
同僚ゆえ、「友達」と称してよいかどうかは分からないが、それに近い間柄だと認識したい、と蝶子は思った。




