12.古いボタンを目印に
カエルのヴィンスが訪れてから早くも三日経った。
ベリー売りの方は私もクランも順調そのもので、あの時の五十鱗分もあっという間にカバーしてしまった。あとは、じわじわと経費や仕送りなどを考慮して設定した目標金額を目指すだけ。
旅のベリー売りは私たちの他のもたくさんいるけれど、ベリーを求める人々はそれ以上にたくさんいるものだから、忙しいときはヴィンスのこともすっかり忘れてしまうほどだ。しかし、客足が途絶えたタイミングで休憩していると、どうしても彼のことは思い出してしまう。
あの日から三日しか経っていない。しかし、音沙汰がないと不安になるものだった。やっぱりクランが心配していた通り、嘘っぱちだったのだろうか。
しかし、ブルーは勿論、クランだってひと言も私を責めたりはしなかった。当たり障りのない会話が続き、その日その日でゴーストライクをにぎわすゴシップなんかをネタに話すくらいだった。
そんな感じで過ごしているうちに、今日の一大ニュースは飛び込んできた。
ずっと行方不明だったヴィンセント=クラウド氏が戻ってきたというものだ。
私もクランも、そしてブルーも、当然のように顔を見合わせた。
新聞にはさっそく様々な記事が載っている。公表されたのは昨夜で、続報も出ているものの、ヴィンセントがこれまで何処にいたのか、グレート・アナコンダの関与はあるのか、等の情報はまだはっきりとしていなかった。
「うーん、やっぱりどの記事を見てもヴィンセントさんの失踪にグレート・アナコンダがどう関わったと疑われているのか……みたいなことは一切書かれていないなあ」
買ったばかりのゴーストライクの地方紙を広げながらクランは首を傾げる。
尻尾を揺らしながら、彼は続けた。
「はっきりしているのは無事に見つかったっていう事実と、今どうしているかっていうところ、失踪を巡る背景にグレート・アナコンダが関わっているかもという警察の捜査方針と、ブラッドベリー農場を中心としたクラウド家の事業の現状で終わっている。ヴィンセント氏の言葉とかは書かれていないみたい」
「発表されたばかりだからそんなものかもね……」
もしも見つかったヴィンセントが本当にヴィンスだったとしても、お金が払われるのはもう少し先の事になるかもしれない。
そうは思ったが、気持ちは落ち着かなかった。やっぱり騙されていたのではという疑いがどうしても顔を覗かせるのだ。
考えれば考えるほど、憂鬱な気持ちはどうしても態度に出てしまう。
ちょうどお客がいない時でよかったけれど、いつもの笑顔が自然に出てこないのは困ったものだ。
なんて考えていた矢先、私たちの店に客はやってきた。
「ちょっとよろしいですか?」
イタチ族の男性だった。身なりはとても良く、どことなく厳しい表情をしている。見るからに堅そうな紳士で、私もクランも思わず畏まってしまった。
彼は周囲をちらほらと窺ってから、ふと私のすぐ隣で寛いでいたブルーの姿を確認した。
「どうぞ、椅子におかけください」
立ちっぱなしだった彼にそう促すと、静かに頷いて座った。
長い身体を猫背に丸め、彼は私とクランを見つめると、潜めた声で訊ねてきた。
「数日前、ここにヴィンスと名乗るカエルが来ませんでしたかね?」
ハッと息を飲み、私もクランも黙って頷いた。
隣の店に聞こえないように告げる彼の様子からして、あまり大声で言わない方がいいのかもしれない。そう思って反応を待っていると、イタチ族の男性は少しだけ目を細めて私とクランの姿を見比べ、さらに訊ねてきた。
「彼からボタンを預かったはずです。見せていただけますか?」
静かな問いかけに頷き、無言のまま私はボタンをポケットから出した。
ヴィンスに言われた通り、ずっと大切に保管してきたのだ。古ぼけたそのボタンは一見すると価値があるようには見えない。それでも、イタチ族の男性の表情は確かに変わった。
彼は姿勢を正すと、私たちに向かって丁寧に頭を下げた。
「失礼な態度をお許しください。私はマーテンと申します。いつもはゴーストライクより南のサンライズにあるクラウド家の本邸にて働いております」
「サンライズの……クラウド家の本邸……」
クランが呟き、そして息を飲んだ。
マーテンの胸元で光るバッジは、確かにゴーストライクの町でよく見かけるブラッドベリー農場のバッジだ。ゴーストライクの紋章と同じコウモリのデザイン。そして、ヴィンスから預かっていた古ぼけたボタンとも同じだった。
町役場や商店で売られているようなお土産のバッジとは比べものにならない。それだけの威厳がそのバッジにはあった。
「この度は、旦那様よりお預かりしたものをお届けに参りました。そして、もう一つ。もしも不都合がなければ、この店にあるベリーをすべて買い取りたいとのことでした」
「……ええっ?」
突然の申し出に驚いて声をあげれば、マーテンは少しだけ表情を崩した。
「突然のことですし戸惑われるのは当然です。それに、ベリーはベリー売りさんたちにとっての大切な財産であると存じております。そこで、この場でお返事いただけない場合は、皆様をサンライズにご招待するようにと」
「サンライズに? それってもしかして、クラウド家のお屋敷ってことですか?」
目を丸くして驚くクランに対し、マーテンは冷静に頷いた。
「そういうことです。勿論、強制などではありません。お世話になった分のお返しとお礼はこちらに」
そう言ってマーテンは私たちに封筒を差し出してきた。
恐る恐る受け取って、中を覗いて驚いてしまった。五十鱗どころじゃない額がその中に収められていたのだ。仕送り金額はこれだけでも補える。
その額に固まってしまった私とクランを見て、マーテンは再び声を潜めた。
「足りないようならすぐに用意できるとのことでした。その代わり、と言ってはなんですが、一つお約束していただきたいことがあります」
「何でしょうか?」
戸惑いつつ訊ねると、マーテンは周囲を窺いながら告げた。
「旦那様がカエルになっていたことはしばらく内密にしていただきたいのです」
茫然とその申し出を聞いていると、マーテンは事情を話してくれた。
ヴィンセントをカエルにした犯人について、警察は今も秘密裏に調査を続けているそうだ。歴史的にクラウド家と対立を続けてきたグレート・アナコンダの関与が疑わしいが、まだその決定的な証拠をつかめてはいない。世間を混乱させずに発表するにはどうしたらいいか話し合っているところであるという。
カエルになっていたヴィンセント=クラウドは、それまで自分にくすぶっていた差別意識とようやく向き合えたと主張しているのだという。
とはいえ、いくら権威のあるクラウド家の当主であったって、世間はそう簡単に変わるものではない。混乱をいたずらに起こさない為にも、水面下で少しずつ動く方がいいということだった。
その上で、ヴィンセントはクラウド家の者達に言ったらしい。
「今後は同じような目に遭った人や、生まれながらの両生類や爬虫類の人間たちにもより一層の配慮しながらビジネスを続けたいと。具体的には、働き口に困っている爬虫類人や両生類人たちのための就職支援や、彼らの生活に寄り添った商品開発も進めていきたいとのことです。その環境が整うまで、恐らく時間がかかるでしょう。けれど、必ずや実現してみせると意気込んでおられました。そして、そのためにも、多くの種類のベリーを研究したいと……」
マーテンの言葉に、少しだけホッとした。
助けて良かったどころか、それ以上の結果だ。それに、目標金額の半数はこの場で貰った謝礼で補えるのだから。ましてや全てのベリーを買い取りたいだなんて。
「さて、改めてお伺いいたします。この店のベリーをすべて我々に売ってはいただけませんか」
彼の言葉にクランがそっと耳打ちをしてきた。
「ラ、ラズ、どうする?」
その問いかけに頷き切れずに、私は考えた。
商人としてはまたとない機会だ。どんなにいい品物を揃えたって、買ってもらえなければ意味がないのだから。しかし、公認ベリー売りとしてはどうだろう。私は心を落ち着けて、ベリー売りとしての誇りを思い出していた。
ブルーにも教えたことだ。
ベリー売りはただの商人ではない。ベリーを正しく知ってもらうために存在している。一つ一つのベリーの正しい価値と知識を広めることもまた私たちの役目なのだと。
そのことを自分の中で改めて再確認した上で、私はマーテンに答えたのだった。
「今、この場で売ることは躊躇われます。用途の確認や注意事項など、きちんとした説明や契約を経て取引しなくてはならないものもありますから……」
なので、と固唾を飲んで、私はマーテンを見つめたのだった。
「サンライズに直接お伺いします」
ドキドキしながらそう言うと、マーテンは納得したように微笑んだ。
丁寧な振る舞いで頭を下げると、彼は私たちに告げた。
「承知いたしました。それではいつでも発てるように用意いたしましょう。詳しい話は追々。ゆっくりで大丈夫ですので、ご準備なさってください」
こうして、私たちの行先は思わぬ場所となった。サンライズのクラウド家本邸。そこでどんな出来事が私たちを待ち受けているのだろう。
半ば夢でも見せられているような気分で、私たちはいそいそと旅立つ準備を進めていったのだった。




