11.勇気を出して
居間に出てみれば、そこにはクランがいた。
ゆったりとした異国風のソファに座り、考え事をしていたらしい。私とブルーが出てきたのを見ると、一瞬だけ顔をあげたがすぐに逃れるように目を逸らした。
私は勇気を出してブルーと一緒にその隣に座った。沈黙が流れ、緊張が高まる。ブルーに見守られながら、私はそっとクランに声をかけてみた。
「ねえ、クラン」
「さっきはごめん」
と、私が言うよりも先に、クランはそう言った。
「好き放題言い過ぎた。ブルーもさ、せっかくの料理も不味くなったろ。ごめんな」
「……クラン」
驚く私をちらりと見つめ、クランは大きくため息を吐いた。
「知っていると思うけど、俺さ、意地っ張りなんだよね。でも、そうしようと思ってそうなっているわけじゃない。自分でもどうしようもないって思うのにさ」
ため息を吐く彼に、私はそっと頷いた。
「それは分かる、だって私もそうだもの」
すると、クランはキツネの顔に苦笑を浮かべた。
「たぶん、ラズが思っている以上だと思うよ。でもまあ、いつまでも意地張っている方がカッコ悪いよなって思ってさ」
そう言って、彼は伸びをした。全身の毛が逆立つその様子は、キツネ族そのものだ。しかし、振る舞いや表情の端々に、ヒト族の顔をしていた頃のクランの面影が現れる。
当たり前の存在だったその顔を思い出して少しだけ懐かしんでいると、クランは水色の目でこちらを見つめてきた。
「言っとくけどさ、バカにしたかったわけじゃないんだよ」
彼は言った。
「たださ、俺、見たくなかったんだよ。ラズが傷つくところ」
そして、クランはキツネの両耳を伏せる。
「俺がゴチャゴチャ言うよりも、きっと信じた相手に裏切られる方が辛いだろうし……。それなのに、ラズときたら、あっさり渡しちゃうんだもん。なんでそうするんだって思ったらなんか感情が抑えられなくなっちまってさ。……勝手かな?」
ため息を吐く彼に、私はそっと笑いかけた。
「そうね、勝手だわ」
売り言葉に買い言葉。
小さい頃から私たちは喧嘩ばかりしてきた。その度に、どちらかが自分の心の手綱をぐっと引かなければ、お互いの心が血だらけになってしまうよってよく叱ってくれたのが私たちの姉、グースだった。お祖母ちゃんもよく叱ってくれたし、お母さんは心配ばかりしていた。クランと並んで座らされて、長々とお説教を聞かされたときもあった。
大人になって身体は大きくなったし、出来ることも責任もいっぱい増えた。
けれど、私もクランもあの頃からちっとも変わっていないのかもしれない。どんなに世の中のことが分かっていっても、経験を積んでも、根本的な部分は同じ。
たとえ、姿が変わってしまったとしても、大切なところは変わっていない。
「昔からそういうところ、全然変わらない。クランも、そして私も」
ため息交じりにそう言うと、クランは私を見つめ、そして苦笑をもらした。
ブルーはそんな私たちを見守り、少しだけ尻尾を振る。純朴な彼に見つめられていると、トワイライトの実家で愛犬のサンに同じように見つめられていた日々の事を思い出す。猫のデューもまた呆れたように見つめていたものだった。ふたりとも元気だろうか。ブルーを見たら、驚くだろうか。
長らく帰っていない我が家の事を思い出していると、クランが言った。
「ラズは怖くないの?」
「怖いって何が?」
すぐに訊ね返すと、クランは怯えたような目でこちらを見つめてきた。
「信じた相手に裏切られる事」
カエルのヴィンスのことだと分かり、私は答えた。
「怖くないっていえばウソになるかもね」
そう言って、私は改めて自分の気持ちに問いながら、丁寧に答えた。
「そうね、やっぱり怖い。だって、多少なりとも傷つくものだし、出来れば傷つきたくないもの。でもね、クラン。あの時に私は思ったの。あのまま見捨てるようにしたら、それこそ一生気にしたまま生きていくことになったかもしれないって」
「一生……?」
彼の問いに私はしっかりと頷いた。
「しばらく経てば忘れていたかもしれないけれどね、もしかしたら、ふとした瞬間に彼のことを思い出して、あの時に見放したのは果たして正しい事だったのだろうかって考えてしまう気がしたの。それなら、裏切られたとしても見放さない方がいい……そう思った」
同じ事が十回続けば、五百鱗だ。
こうもりの台所でクランが言っていた言葉を思い出す。あの時は興奮していた彼だから、思いついたままに飛び出した言葉だったかもしれない。けれど、私の胸には深く突き刺さっている言葉だった。
だって、その通りだもの。十回も、百回も、千回も、同じように繰り返すつもりなのかと問われれば、きっとそれは不可能だろう。だから、私の選択は偽善だったのか、単なる自己満足の愚かなことだったのか、ちょっと不安になったのだ。
それでも、あの場はどうしようもなかった。
「だから、渡したの。信じてみようって」
見放すことが、どうしてもできなかったから。
「そっか」
クランはひとり納得したように呟いた。
「やっと理解できたよ。ちょっとだけだけど」
そう言って、彼は薄っすらと笑った。
「俺、ちょっと勘違いしていたかも。ベテランのベリー売りのくせにあまりにお人好しだって思っちゃったからさ。でも、違ったんだ。……うん、そういうことなら、俺も……ちょっとだけだけど、ポジティブに考えようかな」
吹っ切れた様子で彼は言った。
ブルーがその横顔を見て、安心したように笑みを浮かべる。私もまた同じだった。
クランはやっぱりクランだ。何度喧嘩しようともそこは変わらない。
へそ曲がりで素直じゃないけれど、最後には分かり合える。そんな家族。キツネの見た目をしていても、何処か照れ臭そうに笑う彼の表情は私の記憶の中にあるクランと同じだった。
あとはドラゴンメイドの導きを信じるだけ。
たとえその導きが私たちの希望にそぐわないものであったとしても、運命を呪わないようにしたいものだ。




