8.信じるということ
考え込む私と、不安そうな表情を浮かべているカエルのヴィンス。
彼の死角となる場所で、私はこっそりピュアベリーを一つ取り出していた。何物にも染まっていない潔白を思わせるそのベリーは、有名でありふれてはいるけれど、おいそれと売買できるようなものじゃない。
いつも何気なくベリー畑で採取をする私だけれど、その一つ一つの収穫を蔑ろにするようなことをしてはいけないと自覚していた。
そりゃあ、確かに旅の道すがら出会った人に非常食のベリーを惜しみなく無償で渡すことはあるけれど、そうしていいものと、よくないものとの違いは、ベテランのベリー売りならばしっかりと覚えておかなければいけない。
ごく軽い気持ちで摂取できるエナジーベリーとは訳が違うのだから。
「……ラズ」
私の隣でクランが耳打ちしてくる。
その眼差しには若干の戸惑いが感じられるものの、彼がどう判断したのかはしっかりと伝わってきた。彼の気持ちは変わらないだろう。
一方、私たちのすぐ傍でブルーは心配そうに窺っていた。サフィールベリーのようなその眼差しの奥で何を感じているのだろう。気にはなるが今この場で確認することは躊躇われる。
確かめずとも、私の気持ちはすでに決まりかけていた。
後押しを心の中で探り、最初のひと言に迷っている状態だった。
そんな私の心情を、もしかしたらクランは見抜いていたのかもしれない。だって、この世に生まれ落ちるより前から私の間近にいたのだから。
クランは私よりも先にカエルのヴィンスに言ったのだった。
「申し訳ないけれど――」
そんな彼のひと言がむしろ後押しになった。
「いいえ、クラン」
私は遮り、ヴィンスに向かって告げた。
「信じましょう」
その一言で場の空気が凍った。
クランのキツネの顔が焦るように私を見つめている。全身の毛が逆立っているのがよく分かった。
一方、カエルのヴィンスもまた私をぽかんと見つめていた。こちらは嬉しさのあまりといった様子だ。ブルーはというと尻尾を振りながら、私のすぐ横に寄り添っていた。私の返答を知っていたかのような反応だった。
凍った空気の中で最初に口を開いたのは、クランだった。
「お、おい、ラズ」
声を潜めつつも私を咎めようとしてくる。
しかし、そんなクランよりもさらに驚いた様子で声をあげたのがカエルのヴィンスだった。
「……ほ、本当に? 本当にいいんですか?」
断られることを相当覚悟していたのだろう。
ボタンを握り締めるカエルの手が震えている。特徴的なその目も動揺がよく伝わってきた。カエルのヴィンスは私を見つめてくる。私はその眼差しに頷いて、はっきりと答えた。
「あなたを信じることにしました」
そして、私は隣に立つクランの目を見つめて、言った。
「このピュアベリーは私の商品よ。このことでクランが損をすることなんてない。そうでしょう?」
「そう……だけどさ」
と言いかけて、クランはぶるぶると首を振った。
「いや、そうじゃなくて、俺は兄として妹のお前を――」
「クラン、心配しないで」
ひと言だけそう告げて、私はカエルのヴィンスにピュアベリーを差し出した。
「このベリーは本来、ごく少量を香りや隠し味のために使うほか、毒蛇に噛まれるなどした患者さんの治療のために使います。私たちが取引する場合の多くはこれらの用途を前提に話し合っています。そのため、カエルの姿をもとに戻すための用量は正直に言って分かりません。おとぎ話の通りにするにしても、ご使用は自己責任で。よろしいですか?」
やや突き放すようになってしまうことを詫びながらそう言うと、カエルのヴィンスは神妙な面持ちで私を見つめ、頷いた。
「分かりました。お値段についてもお話しいただけますか?」
「はい、勿論。このピュアベリーは平均的な大きさですので、価格も平均的なものになります。しかし、ゴーストライク周辺では数が少ないため、少し割高になってしまいます」
「ちなみにおいくらほど?」
「五十鱗になります」
普通ならば四十鱗といったところだ。よく採れる地域ならば三十鱗。一鱗がリンゴ一つ分の価格であることを考えると、やっぱり高いものだ。しかし、これはピュアベリーの生息数や需要を考慮した上でドラゴンメイドのベリー協会が定めた額でもあった。
カエルのヴィンスは納得したように肯くと、さらに私とそしてクランにも訊ねてきた。
「ありがとうございます。確認しておきたいのですが、ここへ来ればいつでもいらっしゃいますか? 旅をしていらっしゃるのですよね? 滞在期間はいつくらいまで」
「一か月くらいはいるよ。ベリー市場が開いている時なら大抵はいる。まあ、突然休みになることもあるけれど」
クランが答えると、ヴィンスは少しほっとしたように笑った。
「よかった。それなら安心です」
そして、ヴィンスは古ぼけたボタンを私たちに差し出してきた。
「どうか、これを預かっていてください。いいですか、くれぐれも換金したりしちゃダメですよ。大事に持っていて欲しいのです。これと引き換えにお金は支払います」
「分かりました」
ボタンとピュアベリーを交換すると、私はヴィンスに笑みを向けた。
「もとに戻りますように」
ヴィンスは私の顔を見つめ、目を潤ませると何度も頭を下げながらベリー市を去っていった。五十鱗の代わりに手元に残ったのは古ぼけたボタン。五十鱗あれば、二、三日の食事に困らない。
そう考えれば痛いものだけれど、悔いはなかった。
たとえこのままヴィンスが戻ってこなかったとしても、それはそれでドラゴンメイドの導きだったのだ。そう思うことにして、私はひとり納得した。多分ではあるけれど、ブルーだって分かってくれるだろう。
いや、万が一、分かってもらえなくてもいい。私自身が納得しているのだ。後悔はないし、その責任は私一人が持てばいい。
さっぱりとした気持ちで私はヴィンスを見送った。だが、彼が見えなくなるまで、いや、それ以降も、隣に立っている誰かさんは、苛立ち気味にオレンジの尻尾をぶんぶんと振っていた。




