3.純粋なマヒンガ
ざわつきは治まらなかった。それどころか野次馬の数は増えている。皆の注目はブルーに向いている。聞こえてくるのは警戒の声ばかりだ。
マヒンガ。その言葉には、恐れていた通りネガティブな意味合いが含まれていた。
似たような姿をしたオオカミ族までもが不審そうな目をブルーに向けている。スノーブリッジにも訪れたことがあるので分かってはいたが、ここまで露骨に反応されると心が痛くなってしまう。けれど、当のブルーはというと彼らの姿は目に入っていなかったようだ。
「あ、あの、市場長」
声をかけた私にオズボーンはハッとした。ブルーと私とを見比べて、何かを納得したように腕を下ろした。慎重にブルーの身体を地面に降ろすと、私に向かって訊ねてきた。
「君は……ラズ君だったね。この子は君の知り合い?」
「は……はい。友達のブルーです」
多くの視線を浴びながら私は勇気を出して説明した。
「普段はトワイライトの森に暮らしている子なんです」
すると、ブルーもオズボーンを見上げて口を開いた。
「あ、あの。脅かすつもりはなかったんです。ラズに会いに来たのだけど、ボクちょっと人間の町のことがよく分からなくて。それで、近くにいた人に道を尋ねようとしたら驚かれちゃって……」
なるほど。そう言うことだったのか。
ひとり納得していると、オズボーンが低く頷いてから大きな手でブルーの頭をぽんぽんと撫でた。
「なるほどね。事情は分かったよ」
そして、周囲に集まっていた人々に向かって彼は叫んだ。
「はい、皆さん。お騒がせしましたね。あとはこの私、オズボーンにお任せを。貴重な時間はベリーのために」
半数以上は気になって仕方ないようだったけれど、オズボーンの強面の前に強く出られるものはいなかったようだ。解散していく人々を見送ってから、オズボーンは今一度、しゃがみ込んでブルーと視線を合わせた。
「ブルー君と言ったかな。悪く思わないでね。人間たちは喋るケモノに慣れていないんだ。でも、人間のお友達がいるのなら心配ないね。あっと、ラズ君。ちょっといいかな」
そして立ち上がると、私に耳打ちをした。
「お友達だというのは分かったけれど、マヒンガとなると話はややこしくなる。今後のトラブルを避けるためにも、タイトルページ滞在中だけでも然るべき場所に届けは出した方がいい。我が国でのマヒンガの扱いは飼い犬と同じだ。ならば、そこで一度診断してもらい、鑑札を貰ってしまえば文句を言う人もいないはずだよ。分かったかな。分かったなら、もう行っていいよ」
「はい……すみませんでした」
頭を下げて、私はブルーに声をかけた。
「ブルー。おいで」
彼が頷くのを確認してから、私は路地裏へと向かった。
人目を避けたその場所で、私は改めてブルーと向き合った。別れた時から丸一日。姿はそうそう変わらない。荷物は私があげたベリー袋だけ。それを足元に降ろすとブルーは苦笑いのような表情を浮かべて両耳を倒したのだった。
「ごめんね、ラズ。騒ぎになっちゃって」
「いいのよ。ブルーこそ驚いたでしょう。嫌な思いをさせてごめんね」
「ううん。ボクは別に大丈夫。それよりも、ラズにちゃんと会えてホッとしたよ」
そう言って彼は目を細めた。
尻尾を振るその姿はオオカミというよりも大型犬でしかない。それでも人間の言葉を喋るから、あのような反応をされてしまうのだろう。そう思うと、何だか寂しい気持ちになった。
「ところでブルー。いったいどうしたの? ここまで来るなんて」
「あ、えっとね……」
ブルーは何やら息を飲んで、尻尾を揺らしながら私を見つめた。咳払いをしてから、彼はオオカミなりに真面目な顔で私に訴えた。
「あのね。あれからボク、考えたんだけどさ、トワイライトの森は大好きなんだけど、やっぱりラズとお別れするのが嫌だって思ったの。それで……えっと、それで……その……」
大きく息を吸い込んで、ブルーははっきりと私に願った。
「ボクも一緒について行ってもいいかな?」
突然のことに私も目を丸くしてしまった。
「臆病でちょっと頼りないかもしれないけれど、お兄さんを捜す旅で役に立つことがあるかもしれない。だから……えっと……」
どうしてだろう。こんな申し出をされるなんてその時までは想像すらしていなかったのだ。
別れることに慣れてしまっていたからだろうか。せっかく親しくなっても、いつかは別れなければならない。それを繰り返していたからか、どんなに楽しく過ごしてもまた一緒に過ごせるという期待すら生まれていなかったのだ。
今になって気づいた。私は、寂しかったのかもしれない。
そんな心細さを、やっと自覚した。
「だ……ダメかな?」
不安そうな顔をするブルーの姿に、私は思わず抱き着いてしまっていた。
「そんなことない! そんなことない!」
慌て気味にそう言って、私はブルーの目を見つめた。
「本当について来てくれるの? ずっと一緒に居てくれる?」
「ラズさえ良かったら」
「良いに決まっているじゃない! 歓迎するわ、ブルー」
抱き着きながら私は思った。まだ夢を見ているのだろうか。
ドラゴンメイドの眠る世界で彷徨っているのだろうか。そのくらい現実味がなかった。だが、抱き着いたブルーの感触と、ケモノらしい野生のニオイはとても夢とは思えない。
「これからよろしくね」
私がそう言うと、ブルーは嬉しそうに笑った。
「こちらこそ……よろしく!」
今日からパートナーになるブルーをまじまじと見つめると、自ずと笑みが漏れてきた。こんなに嬉しい気持ちになるのは久しぶりだ。ひょっとしたら、子どもの時以来かもしれない。すっかり諦めていた何かが戻ってきたかのようで、急に未来が明るく輝きだしたような気さえした。
きっとこれもドラゴンメイドの夢の導きなのだろう。ベリーが繋いだこの縁は、きっとちょっとやそっとのことでは切れないだろう。そこにわくわくとしたものを感じながら、私はしばしブルーの感触を味わっていた。
いつもなら少々気になるはずのケモノ臭さも、不思議なことにブルーのものはそれほど気にならなかった。