11.どうして仲良くできないんだろう
宿に戻る頃には、雪山の寒さとの比較なんて忘れてしまい、スノーブリッジへたどり着いた時と同じように私は凍えそうになっていた。銀世界は非常に美しいし、スノーブリッジはスノーブリッジで珍しいベリーも多いものだから楽しみなのだけれど、やっぱりこの寒さだけはどうしても慣れない。
ここに滞在する場合は、これからも暖炉用のフレイムベリーを大量に用意しておくべきだろう。一応、宿の受付でも売ってはいるのだけれど当然ながら割高だ。それに、用意を怠るなんてベリー売りとして恥ずかしいというものだ。
今宵も一つ、フレイムベリーを消費して、温かな空間にほっと一息ついた。ブルーはすっかり疲れたようで床に寝そべっている。その姿を横目に、私はさっそく明日から本格的に始まるベリー売りとしての仕事の準備に取り掛かっていた。
昨日も今日も出来たことといえば場所取りだけだったが、開店準備にはさほど時間はかからない。まとまった運用資金と商品のベリーを仕分け、ここを発つのに十分な目標金額を頭の中で計算しながら、明確な滞在期間を決めるくらいだ。
また何をどれだけ採取しておくのかも重要だ。スノーベリーはいっぱい獲得できたけれど、スノーブリッジで採れるベリーはまだまだたくさんある。その中にはここから経由するミッドナイトで飛ぶように売れるものもあるし、ずっと先にあるサンドストームまで行けば高値で売れるものもある。
資金は多ければ多いほどいい。
ペンを片手にさっそくリストを作りながら、私はこの先の事を思い描いていた。
ブルーが急に隣に来たのは、そんな時だった。
「どうしたの?」
問いかえると、ブルーは窺うように私を見上げ、躊躇いつつも訊ねてきた。
「ちょっと、お話してもいい?」
やけに遠慮がちだ。私はその頭を撫でて、頷いた。ブルーとのお話は、こうした味気ない業務の良きスパイスでもある。いうなれば、仕事中に噛む嗜好用のミントベリーのようなもの。邪魔などではなくむしろ作業効率はあがるだろう。
「どんなお話?」
訊ねてみれば、ブルーは憂鬱そうに俯いた。
そこでようやく私は思い出した。ミリエルの店〈オオカミの足跡〉を出た時から、そういえば彼はこんな表情を引きずっていた。思い当たることがあるかといえば、ある。客同士の喧嘩を見てからずっとこうだ。
「あの……あのね、ボクずっと不思議に思って考えていたの」
ブルーは言った。
「どうして、喧嘩って起こるんだろうって」
心底不思議そうに彼は首を傾げた。
「ここの人間たちも、ボクたちの親族も、みんな喧嘩をしている。この場所の歴史もまた深刻な喧嘩の記録が残っている。どうしてだろう。なんで、譲り合えないんだろう。そう思ったの」
息抜きのつもりだったけれど、どうやら真面目に考えなくてはいけないお話のようだ。
私は気持ちを切り替えて作業の手を止め、ブルーに向き合った。そして、さっそく考えてみたけれど、なかなかうまい答えは出てこなかった。
結局、飛び出したのは中身のない答えだけだった。
「なんでだろうね」
そして、ブルーの顔をじっと見つめる。
クランによれば、遠き異国には「喧嘩するほど仲がいい」という言葉があるらしい。ドラゴンメイドの諺で近いものは「親しき者同士の口論もまたドラゴンメイドの夢のうち」というものだろう。いつも一緒に居れば、たとえ家族だろうと友人だろうと自分たちの気持ちをぶつけあうことも当然ある。
ただし、ブルーと喧嘩をしたことがあったかといえば、そうではない。彼は友人であると同時に愛犬でもあるのだろう。よく懐いた愛犬と喧嘩をしたという人間の話はあまり聞いたことがないものだから、不思議なことではない。
けれど、もしかしたらブルーはそもそも喧嘩というものと無縁な存在なのかもしれない。怒ることはあるだろうし、不満なこともあるだろう。雪山では確かにウィニフレッドと一緒に戦おうともしてくれたけれど、本来はそういう性格ではないのかもしれない。
そんな彼にとって、対立は不可解な存在なのかもしれない。
「どうして、譲り合えないんだろうね」
ブルーの鼻先を撫でながら、私は呟いた。
ドラゴンメイドの歴史は、決して明るくて爽やかなだけではなかった。この大地に一つの国が築かれるまでに流れた血の量はおびただしい。ドラゴンメイドの夢もこれまで散々穢されてきたはずだ。普段、穏やかに生活していても、その歴史をきれいさっぱり忘れてしまうわけにはいかない。
私の先祖でもある開拓民たちはより良い暮らしを求めてこのドラゴンメイドの大地にやってきた。そして、かねてからここに暮らしていた先住民たちの一部は彼らを受け入れて新しい時代を築く協力をした。しかし、全員がそうであったわけではない。ヒト族であろうとなかろうと、先住民たちの間には先祖代々変わらなかった暮らしを変えることに反発心を抱いたものも、当然多かった。
マヒンガもそうだし、グリズリーもそうだ。彼らはケモノやマモノとされているけれど、先住民たちと共に伝統を守ってきた種族に他ならない。ウィルオウィスプの密林や、タイトルページの森林の奥深くには、今も伝統的な暮らしを守る爬虫類や両生類に属する人間たちが暮らしており、ドラゴンメイドの国土にいながら、ドラゴンメイドの者たちとは最低限にしか関わろうとしない。
互いに守りたいものがある限り、どうしても譲り合えない瞬間はあるものだ。
その摩擦が強まった時に起こるのが喧嘩であり、それがさらに広がり、深刻さが増せば戦争となってしまう。
だからこそ、と、私はブルーの頭を撫でた。
姿も形も違っても、担う歴史や立場が違っても、こうして触れ合って共にいることを喜び合える仲は貴重だと感じた。
ケモノと人間であっても、言葉が私たちの気持ちを繋いでいる。
分かり合える。
その有難さを噛みしめながら、私はブルーを見つめた。
「ねえ、ブルー。スノーブリッジでは、さっきみたいな喧嘩を度々目撃することがあるかもしれないわ。賢狼ウォルターの言葉は覚えていても、誰もがその姿を常に頭に入れているわけではないもの。でもね、これだけは分かって欲しいの。私と同じ、人間の括りにいる人たちが何を言っていたとしても、それは私の意見ではない。私はブルーと一緒に旅をして、ブルーが楽しいと思える瞬間があればいいとずっと思っている。それだけは忘れないでいてほしいの」
「勿論だよ、ラズ」
ブルーもまた真っすぐ私の目を見つめて答えた。
その純粋無垢な目の奥には、どんな感情が揺らめいているだろう。その全てを見通せたらと思う瞬間もあるけれど、勝手に探るよりも自ら告白してくれるのを待つ方がずっといい。それを淡く期待しながら、私はブルーに言った。
「それに喧嘩というもの自体はね、悪いものばかりでもないのよ」
クランとの口喧嘩のしんどさを思い出しつつも微笑みが漏れる。
「互いに正直になる手段にもある。もちろん、気遣うことは大事だし、限度ってものがあるけれど、黙り込んで気持ちに嘘を吐き続けるよりも、心から信頼できる関係になるために、喧嘩が良い結果をもたらすことだってあるの」
「そうなの?」
ブルーは不思議そうに首を傾げた。
その様子から察するに、あまりピンときていないらしい。案の定、彼は納得いかない様子で呟いた。
「でも、ボクは出来れば喧嘩ってしたくないなぁ」
正直な言葉に苦笑し、私はその頭を撫でた。
それもまた、一つの形だ。他者同士を繋ぐ絆というものはどれも全く同じわけじゃない。これは長く一人で旅をして、各地に暮らす人々の関係を見つめてきた上で思っていることでもある。信頼できる人、家族、パートナー、色々な言葉で絆は分類されるけれど、同じ分類の関係だからといって、誰もが同じように生きるわけではない。
だから、仲良くなりたい人がどんな人なのか、その姿を自分の目でよく見つめる必要があるのだろう。
共に旅をするようになって長くなるブルー。
彼はどんなオオカミなのか。その全てを理解するにはまだまだ時間が足りないけれど、少なくとも今日のこの瞬間、さっきまでよりは幾らか詳しくなれたような気がした。




