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Berry  作者: ねこじゃ・じぇねこ
陽気なクーガー-イブニング
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2.マダムバタフライ

 まだ明るいイブニングの飲食街。空は真っ暗になっていても、周囲の陽気な空気はまだなだ眠りについていなかった。お酒で楽しくなった人々が肩を組んで歩いている。ボクの知らない歌を唄いながら、様々な種族の人間たちがはしゃいでいる。

 見た目も毛色も異なる人々が楽しそうに笑っている場面を見ていると、何故だかボクも楽しくなった。そんなお酒の匂いが充満する通りを歩きながら、ボクはラズとライオネルと一緒に宿へと向かっていた。


 寂しいけれど、ボクたちの夜はそろそろおしまい。明日も早いから夜更かしはせずに、スノーブリッジに向かわなければいけないのだ。まだまだ眠るつもりのない皆を眺めていると、少し惜しい気もした。けれど、ライオネルはこっそり教えてくれた。早朝には早朝の美味しさがあるのだって。

 だから、ボクは素直にラズたちと歩きながら、幸せの気分を反芻していた。

 これまでとは違う香辛料とさまざまなベリーによって味付けられたバイソンと七面鳥の肉料理。思い出すたびによだれとため息が漏れる。食の楽しみこそ、人間世界での贅沢なのだとボクは改めて学んだ。


「本当に美味しかった。イブニングって良い所なんだね」


 ため息交じりに呟くと、ラズがくすりと笑いながらボクを見つめてきた。


「でしょう? ここで食べられる料理はどれも絶品よ。マダムバタフライはそれだけ偉大な御方なの」

「マダムバタフライ……?」


 訊ね返すと、ラズは少しだけ足を止めて教えてくれた。


「ああ、そっか。えっと、マダムバタフライっていうのはね、さっきのお店でクーバさんが言っていた妖精の女王の別名なの……あ、いや、妖精の女王が別名と言うべきかしらね」


 にこりとラズが笑うその横で、ライオネルもボクを見つめながら通りの一角を指差してくれた。そちらを見つめてみれば、とある料理店の看板に優しそうなヒト族の女性がにこりと笑っている絵が描かれている。クーバやニャーマのような先住民の特徴が強い顔つきだった。


「あれがマダムバタフライだ。アットホームな見た目をしているだろう? たぶん、あれはここが有名になった後のイメージ図だね。もともとはもっと妖艶な美人で、旅人たちは彼女を目当てにイブニングにたむろしていたらしい。開拓時代のお話だけれどね」

「開拓時代……」


 ボクは首を傾げて繰り返した。


 ドラゴンメイドの開拓について、ボクは正直あまり知らない。ただ、故郷のおとな達はその時代をあまり良いものとは思っていなかったし、実際にいかに開拓が酷いものだったのかを伝えるお話は一部のおとなに良く聞かされた。

 けれど、開拓を通して出会わなかった者が結びついたという話も聞かされた。高い雪山から広い草原を見つめたボクの脳裏に浮かんだのは、果てしない世界に点々と存在するあらゆる人々との出会いだったかもしれない。

 そう思った途端、開拓時代のお話にも俄然がぜん興味が湧いた。


「マダムバタフライってどんな人だったの?」


 ボクの質問に、ラズとライオネルが顔を見合わせる。返ってきたのは、同じ答えだった。


「料理の魔女よ」

「料理の魔女さ」


 ボクはまたしても首を傾げてしまった。


「料理の、魔女?」


 魔女といえば、魔法を使う人のこと。

 確かに、たくさんのレシピを残し、それが今でも多くのひとびとの心を掴んで離さないというのならば、それは魔法なのかもしれない。けれども、だとしたらやっぱり不思議だ。彼女はどうしてこの場所で、美味しい料理を作り続けたのだろう。

 そんなボクの質問を汲み取ったのだろうか。ラズは付け加えるように教えてくれた。


「ここはね、開拓時代はとても物騒な場所だったそうよ」

「物騒? ここが?」

「ああ、スノーブリッジからイブニングの辺りまで、かつては様々な種族が対立しあっていたからね」


 ライオネルが頷き、語りだす。


「なんたってここいらはドギーベリーの群生地。古くからここに暮らすマヒンガ、そのマヒンガと古い親戚だったと言われているオオカミ族、そして、建国前よりヒト族を支えてきたイヌ族、そしてベリーの研究に熱心だったその他の種族たち……あらゆる者たちがドギーベリーの処遇を巡って対立したんだ」

「ドギーベリーを巡って?」

「うん。開拓民たちは土地を切り開き、建物を作り、後にイブニングやスノーブリッジとなる町を完成させていった。だが、これまでの暮らしを守りたかったマヒンガたちはそれを許容しなかった。ただでさえ険悪な状態だったのに、ドギーベリーの魅惑のせいか、それぞれにドギーベリーを相手が独り占めしようとしているなんてデマが流れてしまってね、イヌ族とオオカミ族まで内紛を起こし、一時期はドラゴンメイドでもっとも危険な場所になってしまったという記録が残っているんだ」

「そうなんだ。ドギーベリーにそんな歴史があったなんて」


 これまでただただその美味しさに感動してきただけに、ボクは少しショックだった。

 美味しいものが争いを産んでしまうなんて。


「そんな時代の中でね、マダムバタフライはイブニングにお店を開いたの」


 ラズが言った。


「いつから彼女がそこに居たかは記録にない。けれど、彼女はいつの間にかイブニングにいて、自らマダムバタフライと名乗っていた。そして、開拓を進める者にも、反対する者にも平等に料理を出した。彼女は実際にマヒンガにもおいしい食べ物を振るったそうよ。当時のマヒンガの中でも円満解決を望んでいたものはいたし、そういう話し合いが少しでもうまくいくようにって、ベリーに関するレシピをたくさん考えて、皆が喜ぶ料理を求め続けたの」

「これは有名な話だけれど、彼女は恋をしていたらしい」


 と、ライオネル。


「話し合いを円滑にしたかったのは、現場を取り仕切っていた開拓民の中に美しいヒト族の青年がいて、彼を思うあまりに料理に精を出していたと言われているんだ。現代まで伝わる彼女の美味しい世界は、全て彼への想いが産んだっていうわけさ」

「それで……その人はその男の人と結ばれたの?」


 何気なく訊ねてみると、ラズとライオネルは顔を見合わせ、そして共に苦笑を浮かべた。


「いいえ。その恋は実らなかったのですって」


 寂し気にラズは言った。


「マダムバタフライは自分の気持ちを彼に伝えなかった。だから、彼は気づかなかったの。それで、同じ開拓民の女性と両想いで結ばれた。もちろんヒト族のね。その上、彼は夫婦でイブニングを離れてしまったの」

「え……」

「それでも、マダムバタフライは挫けなかったらしい」


 ライオネルが長い尻尾をぱたぱたと揺らしながら言った。


「それならそれで、彼の幸せを祝福するような味をとレシピ作りに精を出した。……けれど、その後にスノーブリッジからイブニングの辺りで大きな暴動が起きたんだ」

「暴動……」


 その単語を口にしながら、賑やかなこの通りをボクは眺めた。

 そう言えば、聞いたことはある。昔はドラゴンメイドのあちらこちらで争いがあったのだって。その対立はマヒンガと人間たちという単純なものではなく、マヒンガ同士であっても、人間同士であっても、考え方の違いや状況の違いがすれ違いを産んで、最終的には力と力でぶつかり合うことになったのだって。


「その暴動はすぐには治まらなかったそうよ」


 ラズが歩みだしながら言った。


「好戦的な人だけでなく、平和的解決を求める人たちの多くも巻き込まれて、命を落としたり、行方知れずになったりしてしまった。マダムバタフライが想いを寄せた彼も、妻となった女性共々巻き込まれて、ふたりとも行方が分からなくなってしまったのですって」

「それでも、彼女は待ち続けたんだ」


 ライオネルもまた歩みだしながら続ける。ボクも彼らの後について、イブニングの今の風を全身で感じた。


「いつかまた奥さんと共に訪れてくれる日を信じて、たくさんのレシピを考えて、残して、イブニングを訪れる人々のために料理の腕を振るい続けた。……けれど、戦火はさらに広がって、イブニングもまた包まれてしまったんだ」


 それは、今ではちっとも想像がつかない過去の話だった。

 肩を寄せ合って美味しい時間を楽しんでいる人々の姿とは、どうしても重ならない。

 美味しい匂いに楽しい声。その二つを間近に感じながら、ボクは茫然とした気持ちと共に、ふたりのお話に耳を傾けていた。


「とても不思議なことだけれど、マダムバタフライは突然いなくなってしまったそうよ」


 ラズが教えてくれた。


「混乱が広がる最中、彼女を心配したイブニングの人たちがどうにか無事を確かめようとお店を訊ねたのだけれど、新しいレシピをいくつも置いたまま、忽然こつぜんと彼女はいなくなっていた。てっきり暴徒の足音を聞きつけて避難したのだとみんな思ったそうだけれど、混乱が収まっても彼女は二度と戻らなかったのですって」

「いなくなっちゃったの? どうして?」

「それは誰にも分からないんだ。マダムバタフライがどうなったかという記録は何処にもない。そして、二度と現れなかった。それが今も伝わる事実なのさ」


 ライオネルはそう言って、腕を組みなおす。


「だが、彼女の残したレシピだけは今もこうして伝わっている。恋心は成就せず、平和への願いも打ち砕かれた。しかし、彼女の想いのこもったレシピは残り続け、平和が戻った今も、多くの人々に喜びを与えている。イブニングっていうのはね、そんなセンチメンタルな場所なのさ」

「センチメンタル、かあ」


 ため息交じりに繰り返し、ボクは胸いっぱいに美味しい匂いのする空気を吸い込んだ。

 ただただその味と匂いに感動していたさっきまでとは少し違って、哀愁が含まれているような、そんな気がしてしまう。


 美味しいご飯の前では誰しも平等。

 マダムバタフライはどんな気持ちでその言葉を残したのだろう。


 誰も知らないその始まりと終わりに途方もない想像を向けながら、ボクはラズたちと一緒に宿へと戻っていった。

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