6.楽屋にて
公演が終わった後、私たちはライオネルと共に会場の外でアルフレッドを待っていた。
どうやらライオネルはスターライト歌劇団にとって馴染みの人物であるらしく、アルフレッドが合流するより前から何人ものスタッフが気さくに話しかけてきた。そのやり取りを隣で聞きつつも、私は劇の余韻から解放されずにいた。
名演奏に名演技、コーラスもダンスも素晴らしく、舞台美術もことごとく美しい。ドラゴンメイドの声を演じていたアビゲイルというワニ族の女性の声は、深みのある味わい深いもので、今でも耳に残っている。
けれど、何と言っても主演の二人だ。ヒルダは駆け出し女優とは思えないほどの熱演で、ウサギ族の見た目であるにも関わらず、ワタリガラスの一族のサロッカであると納得できた。
そして話題のレベッカ=アービュタス。ぞくぞくするほど美しい歌声に、心震える演技。彼女もまたワタリガラスの一族とウサギ族の違いを忘れさせてくれるほどアビという巫女になり切っていた。その妖艶な姿を思い出すと落ち着かなくなる。これから彼女に話を聞きに行くなんて夢のようだった。
ブルーはというと、覚えたらしきフレーズを何度も鼻歌で歌っていた。尻尾を振っているし、上機嫌だ。どうやら楽しんでもらえたようで、ほっとする。
だが、とても意外なことに、私たちのようにひたすら感動した人々ばかりというわけではないらしい。帰ろうとしている客の殆どは良かったという感想を口にしているが、その中にはそうでない感想を呟く者もいたのだ。
別に酷評というわけではない。ただ、心配するような、怪訝そうな声で、彼らは囁いていた。
「どうしたんだろうね、レベッカさん」
たまたま聞こえてきたそれは、プレーリードッグ族の男女の会話だった。
「あ、君も思った? やっぱりちょっとおかしかったよね」
「うん、なんだか曇っているというか。モヤがかかっているみたいな……」
「そうそう。演技も歌もダンスも、前に見た時はもっとキレがあったと思うんだけど……」
聞こえてきたのはその一瞬だけではあったが、耳に残って離れなかった。
私から見れば、十分すぎるほど素晴らしかったレベッカの演技なのだが、観る人が観れば違うということだろうか。本当はもっともっと素晴らしいパフォーマンスが出来るということなのだろうか。そこでふと、アルフレッドの相談が頭をよぎる。やはり、レベッカの悩みはそれだけ深刻なものなのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、ようやくアルフレッドと合流することが出来た。
「お待たせしました。どうぞこちらへ」
周囲をはばかるように言われ、私たちはそっと舞台裏へと吸い込まれていった。
舞台裏において座長の息子であるアルフレッドは勿論、ライオネルも多くの人々に一声かけられては手を振っていた。顔の広さに半ば感心してしまうと同時に、旅のベリー売りとして誰かと仲良くなるコツに興味がわいた。だが、その手がかりを盗んでしまうより先に、ようやくレベッカの楽屋に到着した。
劇場に棲みついているらしいエニグマやナイトメアがその入り口に集っている。彼らを避けつつ中を覗いてみれば、そこにはレベッカのほかに、サロッカ役のヒルダもいた。ヘアの特徴が強く出ている彼女は舞台から降りていても野性味のある美しさで輝いていた。
アルフレッドもレベッカもラビットの特徴が強く出ているせいか、ヒルダはウサギ族にしてはかなり大柄に感じられた。
「やあ、ヒルダも一緒だったんだね。ふたりとも素晴らしかったよ」
アルフレッドの言葉に、ヒルダは照れ臭そうに笑いながら近づいてきた、そして真顔になると、部屋の奥にいるレベッカには聞こえないほどの声でこちらに向かって呟いた。
「レベッカさん、相当落ち込んでいるみたいで」
「落ち込んでいる?」
ライオネルの問いにヒルダは心配そうに頷いた。
「納得できるパフォーマンスじゃなかったって。それでも十分良かったと私は思うし、仮にそうだとしても、レベッカさんなら次の公演で取り返せますよって言ったのだけれど……」
耳を軽く倒して、ヒルダはアルフレッドに向かって笑いかけた。
「やっぱりここは未来の旦那様の力が必要みたい」
小さく呟くと、ヒルダは振り返ってドレッサーの前で項垂れるレベッカに声をかけた。
「レベッカさん、私はそろそろ。お先に失礼します」
「ありがとう、ヒルダ。また明日ね」
軽く片手をあげるレベッカの仕草はとても色っぽかった。
ヒルダを見送りがてら、彼女の視線が私とブルーへと向いた。耳をぴんと立てて、彼女は慌てたように姿勢を正す。
「あら、お客さん? アルとライオネルさんだけだと思ったわ。ごめんなさい」
先ほどまでの気怠さは消え、そこにはぴしっと背筋を伸ばした美しい女優の姿があった。アルフレッドが一歩前へと出て、彼女に告げる。
「紹介するよ。こちらはラズさんとブルー君。シルバー級の公認ベリー売りだそうだ」
「へえ、公認ベリー売りさん」
目を細めてレベッカは私の姿を見つめ、そして少しだけ首を傾げた。
「どこかでお会いしたかしら……あなたの顔――とくに目元が誰かに似ているわ」
そこで私は一礼をして挨拶をした。
「初めましてレベッカさん。あなたの演技、とても感動しました。あなたとお会いするのは初めてです。けれど、見覚えがあるというのなら、それはきっと以前ここへお伺いしたという兄のせいだと思います」
「お兄様?」
「はい。私の兄もベリー売りなのです。外見の特徴はあまり似ていませんが……。黒髪に黒い目をした青年で、名前はブラック=ベリーです。覚えておいでですか?」
「ブラックさん……」
目を丸くしてレベッカは震えた。その声に含まれる明らかな動揺に私とブルーも顔を見合わせてしまった。息を飲みながら私はそっと彼女に訊ねてみた。
「もしよろしければ、以前ここで兄と話したことについていくつかお訊ねしたいことがあるのですが……」
すると、レベッカは静かに頷き、アルフレッドに向かって言った。
「アル、悪いけれど少し席を外してくださる?」
アルフレッドは不安そうに耳を倒した。だが、ライオネルがそんな彼の肩を抱くとウインクをして一緒に外へ出て行ってくれた。
レベッカはふたりを見送ると、しっかりと扉を閉めて、そして改めて私に向かって長い垂れ耳を垂らしながら頭を下げた。
「そう、あの方の妹さんなのね」
そして顔をあげた彼女の目は、妙に輝いていた。
「綺麗な方でしたわ。これまでに見たヒト族の男性の中でもとても美しい御方」
てくてくと歩いて椅子を用意すると、座るように促してきた。それに従うと、レベッカは向かい合って座り、そして笑みを浮かべて語りだした。
「お兄さんは今日と同じステージをご覧になって、その話の背景にたいへん興味をお持ちになっていたわ。脚本を書いたのはホニという先住民のヒト族なのだけれど、初演から程なくして亡くなってしまったの。そのことを伝えたらとてもがっかりされていたわ。でも、私もアルも彼とは親しかったから、その思い出話と、アビを演じる上で学んだことについてお話したのよ」
「それって、舞台で語られていた一連の出来事についてでしょうか」
そう訊ねると、レベッカは深く頷いた。
「そうね。それに、この作品では省かれた伝承や伝統についてもいくつか。とくに彼が確かめたがっていたのが、トーテムベリーについてだったわ。劇中では四つだったけれど、本当はもっと多いの。トーテムベリーを守る者たちも今の時代の各主要都市にひとりはいたと言われている。タイトルページの聖熊ベネディクトがもっとも有名かしら。この町においては――」
「助言ウサギのレイモンド、でしたよね?」
私の言葉に、レベッカは満足そうに頷いた。
助言ウサギのレイモンドとは、ミルキーウェイ周辺に昔から伝わるウサギの偉人の話である。
その昔、ドラゴンメイドの道徳が大地に伝わり切る前は、ベリーに選ばれて二足歩行となり人間の仲間入りを果たしたウサギたちも、ヒト族その他に並のウサギと同じように扱われ、皮を剥がれたり食べられたりする恐ろしい時代があったらしい。
しかし、あるウサギ族の男性が仲間たちのため、必死に共通語を学ぶとヒト族その他とウサギ族の架け橋となり、特に活躍の目覚ましかったヒト族たちに自分たちも人間の一員であることを穏便に認めさせたのだという。
それから数百年後に開拓民たちがやってきたとき、彼の教えを受け継いだウサギ族たちは率先して開拓民を持て成し、ヒト族の先住民との交流を円滑にするなど、後の建国に繋がる重要な役割を果たしてきたという。開拓民たちはそんなウサギ族たちの教えに感心し、名前が分からなくなっていたその伝説の男性をレイモンドと呼び、ウサギ族たちと共にその教えを大事に守ってきたのだという。
そのレイモンドが言語を学ぶ上で力の支えとなったものが、トーテムベリーだったと言われている。
「ラビットフットというの。精霊たちの声が届くというそのベリーは勇気を与える。レイモンドがドラゴンメイドの夢へと去っていったとしても、彼を支えたトーテムベリーとその想いは残っている。そう、現在もね」
そう言って、レベッカはドレッサーの引き出しより小箱を取り出すと、鍵を使って開けて中身を取り出した。そこにあったのは、小さいながらも捨て置けない魅惑のある不思議なベリーだった。
「それは……」
息を飲んで訊ねると、レベッカは目を細めて答えた。
「これがラビットフットの欠片よ。そして私は……このトーテムベリーと共にレイモンドの血を継いでいるの」
彼女が答えた途端、その雰囲気がガラリと変わるのを感じた。舞台の上にいた夢の扉の番人アビとも違う神秘的なものがラビットフットの輝きによってレベッカに乗り移ったかのようだった。




