1.ウサギたち町
ミルキーウェイの夜風は程よく冷たく、焦りのあまり熱った心を落ち着かせてくれる。
ふわりふわりと揺れる白いカーテンの動きを視界の端にちらほら感じながら、私は机に向かっていた。グローベリーのセットされたベリーランプの灯りを頼りに文字を綴りながら、何度も何度も文章を考える。
白い壁と白い床、そして白い窓の向こうに広がるテラスと、それらを眺めているブルーの背中。時折、それらを眺めては、思い浮かぶ文面をメモしてみて、やっぱり違うと棒線を引く。こんなことをしている間に、時間はどんどん過ぎていった。
始まりはミルキーウェイで受け取った郵便だった。
それまでの手続きは順調そのもの。ベリー売買の手続きも、ブルーに関する手続きも、心配していたような問題は発生しないまま、面白い程スムーズに終わった。タイトルページからミルキーウェイ向けに申請をしていたおかげでもある。ブルーの件に関しては、ウサギ族の役人が銀河色だとアピールしていた夜空のような色合いのミルキーウェイ限定デザインの鑑札を実にあっさりと受け取れた。
あとはベリー市場の市場長に挨拶をして、いつものように店の準備をするだけ。それだけだと思い込んでいたのだ。それなのに、たった一通の手紙で予定は大きく狂ってしまった。
差出人はトワイライトのグース=ベリー。
つまり私の姉であった。
そこには心配性な姉の表情が浮かぶような文面が書かれていた。いったいこれはどういうことだろうと読み進めていくうちに、私はふと自分の失敗に気づいたのだった。
グースはブルーのことをヒト族の男の子だと思っていたのだ。
理由は勿論、私の書き忘れである。
ああ、もう、いつもこうだ。
クランのことをバカに出来ないのは、私自身が相当なうっかり者だからでもある。クランだっていい勝負だが、普段から私を振り回すのはいつだって私自身だ。今回はその酷さのせいで面倒なことになってしまった。
さて、落ち着こう。
起きてしまったことはしょうがない。ならば、さっさと誤解を解く手紙を書かなくては。
と、机に向かったはいいが、それから長時間、私は悶々としていた。なんて書けばいいのだろう。ブルーは賢くて素直なオオカミで、とでも書けばいいのだろうか。お話をするイヌですと書いたところで、聡い祖母にはバレてしまうだろう。
どうすればグースに心配させずにブルーのことを説明できるのか何度も何度も考え、考えれば考えるほど問題はこんがらがっていった。
何度目かの溜息を吐いたところで、ブルーがくるりと振り返った。
「お手紙書けた?」
「まだなんだけどね。ちょっと休憩しようかな」
「そっか」
「お空は綺麗?」
「うん、とっても!」
ブルーの返答を聞きながら立ち上がってみれば、体はずっしりと重たくなっていた。もうずいぶんと長く机に向かっていたらしい。
背伸びをしながらブルーの隣に立って、一緒にテラスへと出た。すると、何度見ても驚いてしまうような白く輝く満天の星が私たちを見下ろしていた。
ミルキーウェイ。ここは美しい星空が有名な地でもある。
建国前からここは星にまつわる神話がたくさん誕生した場所だったらしい。かつて人々が大事にしてきたその神話たちは、建国後の今、ウサギ族をはじめとしたミルキーウェイに暮らす人間たちの手で絵画や音楽、そして舞台芸術へと姿を変え、親しまれている。
ここはさまざまな美しい娯楽の故郷であり、芸術の都でもあるのだ。
ブルーがテラスの手すりに前脚をかけて、ミルキーウェイの街並みを眺めている。美しい星空を守るためか、町はとても柔らかな明かりに包まれており、ずっと見つめていると、まどろんでしまいそうだ。だが、そのとろんとした夢のような世界の中で、ひと際存在感を放っているのが、ミルキーウェイという町の象徴でもある劇場だった。
「立派だね、あれも劇場なんでしょう?」
ブルーが眺めた先にあるのは、ミルキーウェイで一番大きな劇場であるギャラクシーホールである。クックークロックやミッドナイト、メインゲートにも特設会場を持っているドラゴンメイド最大規模の劇団、ギャラクシー座の専用会場で、とても豪華な舞台芸術とトップクラスの楽団の演奏と共に、鍛え抜かれた名優たちによる演劇が楽しめる。チケット代はとても高いが、それ以上の価値はあるとクランは言っていた。
だが、ミルキーウェイに存在する劇場は他にもいつくかある。ギャラクシー座ほどの規模ではないと言われているが、いずれもミルキーウェイの芸術学校でしっかりと学んだものたちが集うプロ集団だ。その中でも、最近になってドラゴンメイド全域で注目度が高まってきているのが、ミルキーウェイの劇場の中で二番目に大きいスターライト劇場だった。
スターライト歌劇団の専用会場であり、ギャラクシー座とはまた違って一癖も二癖もある脚本や独特な舞台美術、演出が売りとなっている。中でも特徴的なのが、劇団員――とくに役者の種族だ。
大半がミルキーウェイ出身のウサギ族であるのだ。
ミルキーウェイ芸術学校の学生の大多数はウサギ族であるし、当然といえば当然のはずなのだが、ここ最近までこういうことはあまりなかった。というのも、歴史も長く伝統的なギャラクシー座に所属する役者は、どう見てもヒト族が多い。それは、明確に差別のあった時代から存在する名残だと言われている。そして、そんな時代でなくなったはずの今でさえも、同じレベルならヒト族をと採用されがちだと囁かれているのだ。
悲しい事にそれは、ギャラクシー座だけの話じゃない。他の劇団だって、よっぽど優秀でなければヒト族が選ばれやすいという噂はある。
だが、そこに風穴を開けたのが、スターライト歌劇団の成功と、そこから誕生した新しいスター、ウサギ族の女優レベッカ=アービュタスだったのだ。
「レベッカ=アービュタス……クランが言っていた人だっけ。ボクすごく気になるな」
尻尾をぱたぱた振りながら、ブルーは呟いた。
たしか、スターライト歌劇団の公演は人間のパートナーであるケモノたちも一緒に鑑賞していいというルールがあって、そこも話題になっていたはずだ。一応、人間のマナーをきちんと守れるのならばいう前提があるが、ブルーならば問題ないだろう。むしろ、彼のような者のためにあるルールともいえる。
「チケットが買えるか分からないけれど、買えそうだったら行ってみる?」
「うん!」
もちろん、ベリー売りの仕事とブラックやカレン=ストロベリーを捜す方が優先になってしまうだろうけれど、それでもブルーが尻尾を振って喜んでくれるのならば、私も喜んでチケットを買いに行けるというものだ。
それにしても楽しみだった。ひとりでミルキーウェイに来た時もあったけれど、こうやって演劇を楽しもうという気にすらならなかった。ひょんなことから観劇したこと自体はあるけれど、こんなにワクワクしながら計画を立てるなんてことはあっただろうか。
そこで、私はふとグース姉さんに宛てる手紙の文面を思いついた。
『ブルーは言葉を話すオオカミです。おそらくマヒンガなのでしょう。けれど、彼と共に旅をしたトワイライトからミルキーウェイまでの日々はワクワクすることがたくさんあって、今ではかけがえのない相棒となっています。だから心配はいりません』
忘れないうちに机に戻り、その文章を手紙に書いてしまうと、私はタイトルページからサンセット、そしてミルキーウェイまでの思い出を綴った。
『きっとミルキーウェイでの日々も楽しいものとなるでしょう。ここを去る時にまたお手紙を書きます』
一度言葉が出てくれば、あとはすんなりと書くことが出来た。
あれほど詰まっていたのが嘘みたいだ。サイコベリーも効かなかったのに、一番効果があるのがブルーとの会話だったなんて。
かけがえのない相棒の姿を見てほっこりとしながら、私は手紙に封をする。明日からのミルキーウェイでの日々が楽しみで仕方がなかった。




