6.そして旅は続いていく
アーノルドの長話を聞きながら、ボクはこれまでの道のりを思い出していた。
トワイライトを旅立ってから、ボクたちはずいぶんとたくさんの人に出会い、刺激を受けてきたものだった。一か所に留まるということはしなくとも、残してきたものは確かにあったのだ。そう思うと、何だか誇らしくもあった。
深く関わった人も、その場でちょっと会話をしただけの人も、それぞれにそれぞれの思い出がある。それらの記憶も感情と結びつき、大地に吸い込まれていくのかもしれない。
そして、ドラゴンメイドの夢の素となって、ベリーに生まれ変わったり、精霊たちに生まれ変わったりするのかもしれない。
エニグマやナイトメアたちに囲まれながら眠りについた時のことを思い返していると、ひとりで寝そべっていても、ひとりぼっちではないような気持ちになった。
この大地にはベリーが溢れている。ベリーは人々の心そのもので、魂そのものだ。だから、草花たちを含めたすべての生き物がひしめき合うように、大地を命で満たしてくれている。寂しい時、悲しい時、心がぽっきりと折れてしまわないのは、きっとこの大地にベリーが存在しているからだ。
そのことを全身で実感しながら、ボクはアーノルドに向かって告げた。
「ありがとう。各地のことがよくわかったよ。アーノルドの話を聞いて居ると、ボクも皆に会いに行きたくなっちゃった」
「ぜひ、顔を見せておやりよ。誰も彼も君たちと話たがっていたよ」
「嬉しいな」
尻尾を振りながらボクは目を細めた。前よりも、だいぶ自然に笑えるようになった気がする。オオカミらしく生きるには不必要なことだけれど、ラズと共に暮らす上ではとても大切な事のひとつだ。
そんなボクを見つめ、アーノルドもまた普通のカラスが浮かべないような微笑みを浮かべて見下ろしてきた。
「初めて見た時から君は変わらないね。だが昔よりも、その変わらない良さにさらに磨きが掛かったようだ。それもこれも、君のこれまでの旅があったからなのだろうか」
「勿論だよ!」
ボクは思わず即答した。
「だって、ラズっていう先生と旅をしたのだもの」
起き上がり、アーノルドを見上げるこの視線は確かに昔と変わらない。相変わらず、アーノルドは高い空から見降ろせる分だけ視野は広いし、ボクなんかよりも経験豊富で知識も大きい。彼に比べればボクはまだまだ世間知らずだ。でも、その差はたいして変らないかもしれないけれど、少なくとも昔のボクと今のボクとでは何もかもがらりと変わってしまった。
オオカミらしい生き方しか知らなかったボク。それはそれで一つの生き方だっただろうし、オオカミらしい幸せを得て、穏やかに暮らせたかもしれない。
でも、そんなもしもの未来をどんなに想像してみても、憧れはしなかった。
大変な目に遭っても、精霊のような存在になってしまっても、ボクは幸せだった。何故なら、ボクの傍にはいつだってラズがいる。ずっと傍にいたいと思えるような相手と、ずっと傍にいることができる。それだけでどんな自由よりも幸福を感じることができるのだ。
それだけじゃない。
ラズと一緒にベリーロードを歩んでいくうちに、ボクは人間たちのことを知る事ができた。それまでだって、アーノルドに聞いて知っていたことはあったけれど、話を利いて想像することと、実際にこの目で見つめて知ることでは全く違う。
ドラゴンメイドに生まれ、ドラゴンメイドをそれなりに尊敬して生きてきたつもりだったけれど、ドラゴンメイドのことを半分も知らなかったのだとつくづく思った。きっとまだまだ知らないことが世の中には溢れているのだろう。そう思うと、ボクはわくわくした。
ボクたちの出会いは奇跡を生んだ。多くを救い、多くに救われ、ボクたちはまたたくさんの奇跡と遭遇することになるだろう。
どんな出来事がボクたちを待ち受けているかは分からないけれど、また再びベリーロードを歩めるのならば、ボクは満足だった。
ラズと一緒なら、何処だろうと歩み続けることができるだろう。
「ラズ先生か。ラズ君にとっても、君は先生のようなものだっただろうね。教え、教わり、旅は続いていく。きっとこれからも、君の見聞は広がり続けるのだろうよ」
「きっとそうだね。たまにアーノルドのお話も聞けるわけだし」
そう言ってみれば、アーノルドはどこか得意げに胸を張った。
「おうともさ。空の上からこれからも時々、君たちの物語を見守らせてもらうよ」
これまでと変わらぬ友好的な口調で、アーノルドはそう言った。彼の温かな態度に安心して微笑みを浮かべていると、家の方から声がかかった。
「ブルー。そこにいるの?」
現れたのは、ラズだった。いつもの頭巾をかぶり、眠りについていた時に来ていた恰好のまま、彼女はボクに近づいてきた。その姿は出会ったときと全く同じ格好だ。それだけに思い入れのある姿でもある。
尻尾を振りながら返事をするボクを見つけ、ラズは優しい眼差しを向けてきた。アーノルドにも気づいて軽く声をかけてから、彼女はボクに視線を合わせて語り掛けてきた。
「明日には出発よ」
「分かった。行先は何処?」
「まずはミルキーウェイに直行よ。かつて封鎖されていた道が、解放されたらしいの。長い間、グリズリーだけが護ってきた場所だから、珍しいベリーがあるかもしれないわ」
目を輝かせて語る彼女を傍から見つめ、アーノルドは首を傾げた。
「おやおや、ラズ君。精霊みたいな存在になってもなお、君は働き続けるつもりかい?」
「ベリーと関わるのはね、確かに仕事だったけれど、それと同時に息抜きでもあるの。だって、世の中にはまだまだベリーに関する秘密が溢れているのだもの。知らずにはいられないわ。それに、私にはまだまだやり残したことがあるの。時間が許す限り、ベリーに関する正しい知識を人々に広めるのが私の使命でもあるの」
「ふむ、良い情熱だ。それで、ブルー君はどう思う?」
急に振られて、もじもじしながらボクは答えた。
「ボクは……ラズがそうしたいのならお手伝いをしたいな。一緒に旅をして、色んなところを見ながら、ボクにできることでお手伝いをしたい。傍にいられるのなら、きっと楽しいだろうし、ドラゴンメイドにもこの楽しさが伝わるはずだから」
明るい気持ちでそう言ってみれば、ラズはそっとボクに視線を合わせてきた。両頬を包み込むように撫でてくるその感触が、くすぐったくもあり、心地よくもあり、ボクは心の底から嬉しくなってしまった。
気のせいだろうか。本当のボクたちと共に眠っているドラゴンメイドも喜んでいるようだ。かつて見えていた世界もだいぶ明るいものだったけれど、今、この瞬間に目に映る世界はさらに明るく見える。それに、ボクの愛するひとの笑顔は輝きを増していた。
離れたくない。一緒にいたい。その強い願いで今がある。これまでのように、この先も、ベリーロードはボクたちをあらゆる物語に導いてくれるのだろう。それが楽しみだった。
ラズはボクをひとしきり撫でると、囁くように言った。
「ありがとう、ブルー」
優しい声がボクの三角耳をくすぐってくる。
「これからも、よろしくね」
ベリーのように甘いその声に、ボクは幸せな気持ちで満たされた。
黄色いレンガの敷き詰められたベリーロードを、ボクたちは歩いている。至る所でベリーは輝き、その先々ではベリーを愛する優しい人々が暮らしている。
大地を踏みしめるたびに感じるのは、眠るドラゴンメイドの温もりだ。その傍で、ボクたちもまた眠っている。この世界はドラゴンメイドの夢だと言われているけれど、きっとボクたちの夢でもあるのかもしれない。
けれど、夢か現かなんて関係ない。
どちらにしたってボクは歩み続ける。
歩んで、歩んで、人々の暮らしを見守り続ける。
何処へ行ったって、ボクはラズと一緒。
たとえ時代の巡りに取り残されたとしても、この人さえ一緒だったら、きっと寂しくはないはずだから。
愛する人の愛する世界をボクもまた愛し続けよう。
そして、何処までも続くベリーロードをふたり一緒に歩み続けよう。
優しい光に包まれながら。




