2.夢の世界
ふと気づくと、そこは見覚えのある場所だった。ラズと一緒になって、ボクはきょろきょろと辺りを見渡した。ボクたちを取り囲むのは、温もりのある木の壁だ。間違いない。クックークロックに来る前に立ち寄った、トワイライトで観た光景――ラズの生家の壁だった。
ラズと一緒に茫然としていると、暖炉の傍で椅子に座り、うたた寝をしている人物の姿が浮かんできた。ラズの祖母であり、ワタリガラスの血を引いているルブルブだった。
ラズが彼女に近寄っていき、そっとその前に座り込む。触れようとしたけれど、触れることは出来ないらしい。ボクも一緒に近寄って、間近でルブルブの姿を見つめてみた。
見えるだけじゃない。ニオイもする。ここにいるみたいだ。けれど、触れない。その不思議さに茫然として、彼女を見つめていると、背後から声がした。
「ここは夢の中です」
振り返ってみれば、そこにはトカゲ族の女性のような容姿の人物がいた。人間と同じように服を着ていて、顔つきもだいぶトカゲ族に近い。けれど、その鱗や目の特徴――そしてニオイで、ボクは気づいた。
ドラゴンメイドだ。けれど、その姿はさっき見たよりもだいぶ小さい。人間の――トカゲ族の女性と同じくらいの大きさになって、ボクたちの前に立っていた。
ラズが立ち上がり、彼女にそっと訊ねた。
「夢の中って……お祖母ちゃんの?」
すると、ドラゴンメイドはそっと微笑んでから答えた。
「ルブルブだけではありません。この大地で生まれ、やがて死んでいく全ての者たちの夢の中なのです。私たちは眠る時、皆、同じ夢を見ているのです。その内容はきっと全く違うものでしょう。けれど、それは起きている時だって同じ。生者も、死者も、眠っている時は同じ夢の世界で過ごしているのです」
「生者も……死者も?」
ボクが訊ねると、ドラゴンメイドは優しく微笑み頷いた。
すると、次の瞬間、彼女の背後に三つの輝きが生まれた。一つは大きく、人間の姿に、そして二つはそれよりも小さく、四つ足のオオカミの姿に。その姿がはっきりした途端、ボクはラズと同時に息を飲んでしまった。
人間はどことなくクランやブラックに似ている男性だった。けれど、髪の色と目の色はラズと一緒。優しそうなその顔つきで、彼が誰なのかがすぐに分かった。そして、ふたりのオオカミは……。
「父さん、母さん……」
たまらずに駆け寄ったけれど、触れることは出来なかった。ただ、久しぶりに目にする両親は、記憶していた以上に温かな眼差しで、そのニオイもまた愛おしいものだった。ふたりは何も言わなかった。それでも、十分だ。
ラズの方も父親の幻影に触れようとしていた。けれど、やっぱり触れることは出来なかった。
それでも、ここにいる。ここにいるニオイがする。彼もまた何も言わない。それでも、その微笑みと眼差しだけで、ラズはぽろぽろと涙を流した。
「生き物はやがて死を迎え、その身体は朽ちていきます。けれど、魂の僅か一部だけは最後まで残り、地底で眠る私のもとへやって来るのです。正確には、私の見ている夢の中へ。生きている者もまた、夢を見ることで頻繁にここへ来ているのですが、誰もがそれを正確には覚えていない。けれど、あなた達は確かに会っている。そして、善い行いも、悪い行いも、すべて見られているのです」
ドラゴンメイドが言い終えると、彼らの姿は急に見えなくなった。
ボクはすぐに周囲を探したけれど、今度はニオイすらしなくなった。周囲の光景もラズの生家ではなくなっていた。うたた寝をするルブルブの姿もない。周囲の景色ごと、皆、消えてしまったのだ。
途端に寂しさがこみ上げてきたけれど、次に浮かんできた光景に、はっとした。今のクックークロックの様子だったのだ。高い時計塔の上から見降ろした景色だった。人々が広場に集まり、祈りを捧げているらしい。何度も揺れが起きたためか、動揺しているようだった。その反面で空模様はとても美しく、気高さすら感じた。
彼らにはきっとボクたちの姿は見えていないのだろう。
「あなた達の眠りを、やがて番人が伝えるはずです。そうなれば、儀式は終わります。揺れは治まり、私の眠りも再び深まっていくでしょう。この先、地底の炎が溢れだし、世界を襲う心配もありません」
静かな声でそう言われ、ボクはホッとした。ラズもまた静かに世界を見つめ、微かにだが安堵したような笑みを浮かべていた。
「ラズ。あなたの願いはすぐに叶います。あなたの愛する人々は、これからも平穏無事に過ごしていくことができるでしょう。今ここで、あなたが思い浮かぶ全ての人が含まれます。今は心や体が傷ついていたとしても、苦しんでいたとしても、やがてはあなたの愛がベリーとなって、地上で暮らす彼らの助けとなるのです。だから、安心して私とお眠りなさい」
ドラゴンメイドの言葉に、ラズは大人しく頷いた。
ベリーを愛し、ベリー売りとして正しい知識を広める事を信念としていた彼女だけれど、これからはそれも出来ないのだろうか。
そんな不安を抱いていると、ドラゴンメイドは次にボクを見つめてきた。
「そして、ブルー。あなたの願いも必ず叶えなくてはなりません。あなたの願いはラズと一緒に旅を続けること。ふたりには私と眠る役目が課せられております。けれど、私にはその願いを叶える力もある。共に眠る者の願いを必ず叶えることが私の役目だから」
「じゃあ、どうなるの?」
ボクが問いかけると、周囲の景色がまたしても変わった。
もといた場所――扉の向こうの世界に戻っている。明るい色の景色の中で、元の姿に戻ったドラゴンメイドが、大きな目でボクたちを見つめ、優しく教えてくれた。
「あなた達をここから出してあげましょう」
彼女は歌うように言った。
「ただし、外に出るのは魂だけ。肉体はここで眠ったまま、あなた達と深い結びつきのある人や、結びつきのある場所を歩むことが出来るようにしてあげます。ベリーロードがこの世にある限り、あなた達が愛した人々が、あなた達を忘れない限り、旅は続いていく。その証として、この歌を扉の外にいる巫女に伝えておきます」
そして、ドラゴンメイドは再び歌い出した。ゆったりとした美しい歌声が響き、ボクたちの身体を包み込む。
その歌の言葉の意味は理解できなかったけれど、異変はすぐに起こった。一瞬だけ眠気が深まったと思ったけれど、すぐに目が冴えて、身体が妙に軽く感じられたのだ。
そして、ボクは奇妙なものを見た。ドラゴンメイドの顔のすぐ傍で、眠っているボク自身を目撃したのだ。隣ではラズが眠っている。けれど、ボクの隣にもラズはいた。ラズの方も驚いていた。
そんなボクたちに向かって、ドラゴンメイドは教えてくれた。
「扉が間もなく開きます。開いたらお行きなさい。そうすれば、ブルーの願いを叶えることが出来ます。心配せずとも、外にいる巫女が事情を理解しているはず。あなた達の旅をこれからも見守ってくれるでしょう」
だから、と、ドラゴンメイドは瞼を閉じた。
「歩みなさい。時が来るまで。そして、肉体を離れたその目で、世界の営みを見つめなさい。あなた達がこれより出会う全ての事が、私の夢の糧となり、あなた達の愛する世界を守る力になる。だから、安心して、お行きなさい」
そして、彼女の言った通り、固く閉ざされていた扉は開かれた。重たい音がして、ボクたちの背後に黒い出口が浮かび上がる。分身は眠ったまま、それでも、ボクとラズは確かに起きていた。
眠るドラゴンメイドの声に促されるままに、ラズは振り返り、歩みを進めていく。ボクもその後を追って、出口へ向かった。夢の扉を再び潜る前に、ボクは少しだけドラゴンメイドを振り返った。そこには彼女と一緒に眠っているボクたちがいる。
これから先に起こることは、夢だろうか、幻だろうか。
それでも、怖くはなかった。だって、どちらにしたって、ボクとラズは一緒だから。




