10.独善的な愛
今にも飛び掛からんといった体勢で、ブルーはブラックを睨みつけている。アーノルドもその傍でブラックを睨み、嘴を広げていた。
ベリー銃を私に向けたまま、ブラックは彼らを振り返る。
「マヒンガか」
引き金に指をかけたまま、彼はブルーに向かって言った。
「ラズに随分懐いているようだが、それなら尚更聞きたい。お前はそれでいいのか。俺の言うとおりにすれば、ラズを守ってやれるんだぞ」
淡々としたその問いかけに、ブルーは毛を逆立てた。いつもとは違うオオカミらしい表情で、精一杯の怒りと敵意を滲ませている。
私は不安になった。飛び掛かれば、騒動になる。そうなれば、周囲の人々がどちらを危険だと思うだろうか。勘違いするだけならば仕方がない。だが、その勘違いでブルーに危害でも加えられたら。
不安に思い、ブルーを制止しようと口を開いたその時、ブルーが呼吸を置いてからブラックに向かって問い返した。
「どうして?」
真っ青な目をブラックへ向ける。
「どうしてそんなに身勝手な事を言うの? だって、ラズはそんなこと望んでいないよ。ブラックさんが勝手に考えて、勝手に思いついた答えをラズに押し付けているだけじゃないか。ボクは違う。ボクは、ラズの考えを尊重したいんだ。その上で、ボクはボクの決定で、ラズについて行くって決めたんだ」
真っすぐな目で訴える彼の姿に、クランの言葉が蘇った。
――代わりにはなれない。
私だけの相棒。信じてついて来てくれる。
そんな彼の存在は、これまでどれほど有難いものだっただろうか。しかし、感傷に浸っている時ではない。私にとっては心が震えるほどのパートナーであっても、ブラックにとっては違うのだから。
案の定、ブラックは鼻で笑った。ベリー銃を私に向けたまま、彼はブルーに向かって言った。
「所詮はオオカミだな。イヌ族ともオオカミ族とも違う。……いや、いずれ、彼らも同じようになる。ドラゴンメイドが生まれ変われば、精霊の気まぐれに翻弄される世界ではなくなるからね」
不敵に笑う彼に、私は問いかけた。
「教えて。何を願おうとしているの?」
すると、ブラックはブルーたちを無視した形で私を見つめた。
「言っただろう。この大地の全てを変えるのだ。そういう願いをドラゴンメイドに託す。うまく行けば、災害だけではない。ベリーを巡る争いも、ベリーに起因する病気も起こらなくなるだろう。クランだっていつかは元に戻るかもしれない」
この期に及んではっきりと言わなかった彼だが、その遠回しな主張でもアーノルドは少しピンときたようだった。
「ブラック君や、どうやら君はとんでもない事を願おうとしているな?」
すると、ブラックはアーノルドを睨み、低い声で言った。
「黙っていろ、おしゃべりカラスめ。いずれお前の相棒にも世話になる。その時に彼女をむやみに傷つけられたくないだろう?」
「兄さん……!」
変わってしまった。その表情、その声色に、私は衝撃を受けた。
見た目は殆ど変わっていないのに、私の兄はこんなにも恐ろしい事を言う人だっただろうか。そのショックがじわじわと心を脅かすと、まるで兄の姿まで変わってしまったかのように見えてしまった。
祖母のおとぎ話に出てきたような、本で読んだような、挿絵でみたような、コヨーテの姿に見えては来ないか。
その途端、彼の周囲に黒い塊たちが見えてきた。エニグマ、そして子馬型のナイトメア。今まで気づかなかったのが不思議なくらいはっきりと、ハンチがブラックの足元に隠れていた。
空洞の目でこちらをじっと窺っている。その角と、その翅には、負の感情を拡散する力があるという。
息を潜めているナイトメアたちの姿は、アーノルドにも見えているらしい。しかし、彼は必要以上に騒ぐことなく、ブラックだけに向かって告げた。
「吾輩にも相棒にも脅しは効かないよ」
だが、と彼は少しだけ俯く。
「そこまで言うのならば、今は黙っていよう」
アーノルドの言葉に、ブラックは満足したように笑うと、今度はブルーに向かって告げた。
「お前の態度次第で、俺は躊躇なくラズを撃つ。勿論、その後でお前もだ。ふたり一緒に匿ってやる余裕はない。もしも、ここでラズをトワイライトまで引きずって帰らないというならば、ここでしばしのお別れだ。せいぜい全てが終わったあとで、ご主人様を探すんだな」
「やめて」
私は怒りのままに呟き、そして、不利と分かっていながらもベリー銃を取り出した。
ブラックはちらりと此方を振り向き、軽く睨みつけてきた。これでもう見逃しては貰えないだろう。だが、それならば眠らされる覚悟で相打ちに持ち込むだけ。
「私は言いなりにならない。ブルーだってそうよ。もしも、力で言うことを聞かせようというのなら、私だって力で抵抗する」
「撃ってみるがいい。お前に撃てるのならばね」
「撃てるわ」
心臓が跳ね上がり、破裂しそうな勢いだった。マヒンガに襲われた時よりも、盗賊に立ち向かった時よりも、ずっとずっと怖かった。グラスホッパーで撃たれたときの何倍も怖い。怖いけれど、後には引けなかった。
外せば終わりだ。私の願いも終わる。
だから、信じるしかなかった。
「相変わらずお前は頑固な奴だ」
そう言って、ブラックはほんの少しだけかつての優しかった兄の面影をその目に浮かべた。
来る。
そう思った直後のことだった。
突如、頭上から吠えるような声が聞こえてきた。
犬か、オオカミか。少なくともブルーではない。
いったい何事だろう。とっさに見上げてしまった私には、最大の隙が生まれた。だが、銃弾は襲ってこなかった。ブラックは冷静に身を翻し、その奇襲を避ける。砂埃が舞い、晴れると、空から私とブラックの間に割り込んできたその人物の姿が見えてきた。
キツネ。いや、クランだ。殴ろうと持っていたらしい警棒を捨て、すぐさま彼もベリー銃を抜き出した。
「ここであったが百年目!」
クランはベリー市全体に聞こえんばかりの大声でブラックを睨みつけた。
「覚悟しやがれ!」
ブルーよりもさらに猛獣のような形相で、クランは激しく唸る。
そんな弟の姿を前に、ブラックは冷静に返した。
「順調にケダモノになっているようだな、クラン」
と、そこへ、クランが降ってきた辺り――建物の窓から声が聞こえてきた。
どうやら、クランと一緒に行動していた捜索隊の人々がここに気づいたらしい。急いで連絡を、という声が聞こえると、ブラックは深くため息を吐いた。
「忠告はした。だが、無駄足だったな。ラズ、クラン、しばらく見ない間に二人とも随分と生意気になったものだ。けれど、それでもいいんだ。可愛い弟妹のお前たちが分かってくれなかったとしても、俺はやる。ドラゴンメイドの導きが途切れない限りは、俺は歩むのをやめない」
そして、彼はベリー銃を空に放ち、地面に向かって何かを投げつけた。何かが弾けたような音が響くと、周囲は一気に煙に包まれていった。
イリュージョンベリーだ。
煙を吸い込めば、幻覚に惑わされる。とっさに頭巾の端で口元を覆い、私はブラックの動きを見つめた。煙を吸い込んでしまった人々が惑わされる中、どさくさに紛れて逃げようとしていた。
私はどうにか彼を追いかけた。
だが、追いつけなかった。煙と幻覚でパニックになった人々の壁が、そして、足元にまとわりつくナイトメアとエニグマたちが、私とブラックを遠ざけてしまったのだ。
紫色の煙の向こうへブラックは逃げていく。
せっかく手が届きそうだった未来に、再び逃げられてしまった。




