2.お祖母ちゃん
ラズのお家は温かみのある場所だった。
ボクがラズのことを好きだからだろうか。ラズの家もまた、あっという間に気に入ってしまった。暮らしている人たちも親しみ深い人ばかりだった。
ラズのお母さんはとても具合が悪そうだったけれど、ボクの姿を怖がったりも、驚いたりもしなかった。ただただ普通の人間のお客さんが来たかのように、話をしてくれたのだ。
このお家で暮らしている白い犬のサンと黒い猫のデューも、それぞれボクのことを歓迎してくれた。人懐こいというサンにはベロベロ舐められてしまったし、デューにはくんくんニオイを嗅がれたと思えば、鼻先をバシっと叩かれてしまった。けれど、ボディーランゲージから察するに、さほど嫌われてはいない……と思いたい。
彼らの言葉は何となくしか分からないけれど、ボクはここにいていいらしい。
そして、それをさらに確実なものにしてくれたのが、ラズのお祖母ちゃん――ルブルブだった。
「マヒンガの坊ちゃん……ええと、何て名前だったっけ」
椅子に座りながら訊ねてくるルブルブに、ボクは軽く尻尾を振って答えた。
「ブルーです。アーノルド……えっと、ワタリガラスの友達がつけてくれたの」
「ああ、アーノルド。あのお喋りカラスだね」
笑いながら答える彼女に、ボクは首を傾げた。
「彼のこと、知っているの?」
すると、ルブルブは顔の皺を深めて答えた。
「何度もお話をしたことがあるよ。彼は神出鬼没だからね。わたしゃ、とっくにオヒティカの名前は捨ててしまったのだけど、それでも生まれを捨てることは出来ないとカラスたちは言うのさ。でも、アーノルドのちょっと変わったところはね、若いカラスだからかね、伝統よりも個々の幸せを重んじているところだね」
そう言って、ルブルブは目を細めた。
「移民の子を産むなんて、ワタリガラスへの裏切りだって、さんざん罵るカラスもいたよ。それでも、勿論、背中を押してくれるカラスもいた。ドラゴンメイドは全てを見ている。この大地で暮らす者たちは、どうあがいても彼女の夢から逃れられない。その中で揺るぎない愛を見つけたのならば、信じて進みなさいってね」
「じゃあ、お祖母さんは今、幸せ?」
ボクの問いに、ルブルブは静かに頷いた。
「娘がいて、孫がいて、これ以上何を望めるでしょうね。欲を言えば、良く出来た婿や、心より愛したお祖父ちゃんに生き返って欲しいし、長い事、顔を見ていない初孫の顔も見たいわね。向こうのお祖父さんにそっくりなのよ、あの子は。冒険家の血筋なのね。……あら、考えてみたら、色々願い事があったわね」
ひとしきり笑ってから、ルブルブは小さく言った。
「でもね、今のままでもいいの。死んだ人はかえらないし、心配せずとも初孫は元気に過ごしている。双子の風の子たちはあちらこちらで活躍しているし、寂しくてもここには最愛の娘と、お姉ちゃんがいてくれる。死んだお祖父ちゃんによく似た綺麗な孫娘がね……」
そう言ってから、ルブルブは深くため息を吐いたのだった。
表情は何処か暗く、ボクは心配になって窺った。すると、ルブルブは少しだけ笑みを取り戻し、ボクに向かって言った。
「長生きをして、それとなく幸せに過ごせていたけれどね。この歳になってまさか、こんなに辛い気持ちになるなんて思わなかった」
「お祖母さん……」
では、知っているのだろうか。
疑問に思っていると、彼女は教えてくれた。
「あなた達が帰ってくる前にね、アーノルドが来てくれたの。そして、今、ワタリガラスの一族の間で起こっていることを教えてくれたのよ。オヒティカの血筋が途絶えたと聞いた時には、不安に思ってはいたのよ。でも、私が去ったのはずっと前だし、もっと近い血筋が残っているはずだと信じていた。けれど、そうね。あの子たちは私の血を引いているものね。オヒティカの名前を捨てたといっても、それは人間の決まりの事。ドラゴンメイドからしてみれば、きっと些細なことなのだわ」
辛そうな声でそう言った時、別室からそっと顔を窺ってくる者がいた。クランだ。お母さん――ジャスティナと二人きりで話をしていたのだが、どうやら終わったらしい。ルブルブとボクが話をしているのを見て、クランはそっと近寄ってきた。
「ねえ、祖母ちゃん。聞いてもいい?」
キツネになった孫を見つめ、ルブルブは穏やかに頷いた。
「言ってみなさい」
促されると、クランは両耳を立てて頷いた。
「俺、何を学べばいいの?」
「学ぶ?」
「アーノルドが言っていたんだよ。俺は学びの途中だって。だから、勇者になる責任から免除されるんだってさ。でも、よく分からないんだ。何を学べばいいの? それって、ラズに恐ろしい役目を押し付けるほどのことなの?」
すると、ルブルブは静かに笑った。
「難しい質問だね。明確な答えは出来ないかもしれないよ」
そう断ってから、彼女は言った。
「姿が変わるというのはね、とても神秘的なことなんだよ。そりゃ、余所の国の人は怯えるかもしれないね。慣れ親しんだ自分の姿が変わっちゃうのだもの。でもね、姿が変わって、立場が変わって、やっと理解できることもある。それはね、当事者だけじゃない。その周辺の人もまた、身につまされる思いを経て、違う立場にいる人々のことを学ぶことが出来るのよ」
「それって、大事なことなの?」
「大事なことだよ。人は学んで成長するものだし、その成長は必ず何かしらの成果を人々全体にもたらすもの。ワタリガラスの教えではね、他にも子どもや子を育てる大人、病に苦しむ者、それを支える者や、老いた親とそれを背負う者たちもまた学びの途中とされているのだよ」
ルブルブの言葉に、クランは俯いた。
「だからって、勇者のお役目をラズに押し付けることになるなんて、納得できないよ」
彼の言葉に、ルブルブはため息を吐いた。
「いいかい、クラン。勇者のお役目なんてもの、今は忘れなさい。それに、押し付けるなんて思ってはダメよ。そのお話はね、ブラックとラズが決めることなの。そして、ドラゴンメイドが決めることでもある。周囲の者たちに出来ることは、助言と見守ることだけなのよ」
「でも、祖母ちゃん……。祖母ちゃんはいいの? ラズが公認ベリー売りになった時は、あんなに喜んでいたじゃない。面白くないって不貞腐れる俺に、祝福しなさいって叱ってくれたじゃない。それに、あいつ……に、兄ちゃんが早く帰って来るようにって、いつもお祈りしていたじゃない」
クランは泣きだしそうだった。ボクはそんな彼を静かに見守りながら、ルブルブの答えを待っていた。ボクと同じように、愛する人の為にワタリガラスの暮らしを捨てた女性。彼女はなんと答えるのだろう。
視線を戻してみれば、ルブルブは悲しそうな表情を浮かべていた。
「よくないに決まっているでしょう?」
深く息を吐いて、ルブルブは声を震わせる。
「せっかく幸せに暮らしていたのに、初孫の誕生から間もなくお祖父ちゃんは病気で死んじゃって、家族が増えてやっと悲しみも癒えた頃に、優しくて頼もしかったローガンさんがあんな死に方をして――。初孫が立派に育ったと思えば音信不通で、今度は勇者候補だなんて。悲しくないわけがない。もしも、精霊がこの運命を決めているのだとしたら、なんて残酷なお方々だろう。でもね、仕方がないの。お祖母ちゃんがどんなに嘆こうと、強力な魔法が使えるわけでもないし、どんなに願おうと、お前たちの人生はお前たちのものなの。だから、信じて任せるしかないのよ」
静かに語る祖母を、クランはじっと見つめていた。
涙はすっかり引っ込んでいる。とても真面目な表情を浮かべ、クランは両耳を倒して彼女に告げた。
「ごめん、祖母ちゃん。変なこと聞いちゃったね」
「いいんだよ。気になる事は聞きなさい。そう小さい時から教えたからね」
「でも、祖母ちゃん。聞くまでもないことだった」
そう言って、クランはため息を吐くと、ボクの頭にぽんと手を置いてきた。じっと見上げると、クランはキツネの目を細め、そして小さく言ったのだった。
「そうだよね。ラズのことはラズが決めるしかない」
そして、意を決したような表情でクランは前を見つめた。
「でも、俺にはまだ助言が出来る」
心の決めたようなその表情を見つめ、ルブルブは静かに微笑んだ。
まだ助言が出来る。ボクはその言葉を頭の中で反芻した。助言は出来るし、寄り添うことは出来る。ボクがラズに出会ったのもまたドラゴンメイドのお導きに違いない。だって、あんな偶然があるだろうか。そして、あんなトキメキがあるだろうか。
ボクはきっと導かれてラズの隣を選んだのだ。そしてそれは、これから先ずっと変わらない。そうだ。マルの占いだってあったじゃないか。ボクたちはずっと、一緒に歩いている。一緒に、ベリーロードを歩くのだって。
一緒に歩こう。ボクは決めた。ラズがどの道を行くとしても、ついていけるだけ、ついていこう。




