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Berry  作者: ねこじゃ・じぇねこ
ドラゴンメイドの博士‐アフタヌーン
137/196

4.エニグマとナイトメア

「古来より、この大地の人々は不思議な生き物を目撃してきました。それがここに描かれているエニグマとナイトメアたちです」


 ラブ博士の説明を聞きながら、ボクはその一つ一つの姿を見つめた。


 コヨーテの手先として恐れられている彼ら。だが、その実際は人々が勝手なイメージをつけているだけなのだとも言われている。どちらが本当なのか、ボクには分からない。だが、彼らを過剰に怖がることはないし、逆に不気味だと感じてしまう場面がないわけでもない。

 では、彼らは本当に、人々を惑わす力を持っているのだろうか。

 持っているのだとしたら、ボクはやっぱり怖くなる。彼らが求めているものが、ただ純粋なる「愛」なのだとしても、おとぎの国の住人であってほしいと思うのは当然だ。


 小さな不安を抱えるボクを前に、ラブ博士は語りだした。


「エニグマとナイトメア。そう名付けられる以前より、彼らは先住民たちの伝承にも多く現れました。その当時の名前は違ったようだけれど、役目は変わっていません。コヨーテによって疑心暗鬼になった人々の心のモヤモヤから誕生し、悪意や疑心をさらに増大させて、どんどん仲間を生んでいく。そうして、人々の秩序は目に見えない部分から崩れていき、社会はめちゃくちゃになってしまう。実際に世の中が乱れ始める頃、エニグマとナイトメアは多く目撃されるようになるそうよ。関心があろうがなかろうが、その数がネズミよりも増えた頃は、もう手遅れだとも信じられています」


 淡々と語る彼女の言葉に、ボクは震えてしまった。

 ミッドナイトには多くいるのだと聞いた。ボクもそれらしき姿を目撃したのを覚えている。そう思い返せば、あの町はいるだけで何故か疲れてしまう不思議な場所だった。その空気を生み出しているのが、あの場所で暮らす人々の心だとしたら。

 ドラゴンメイドのいたるところがあの場所みたいな空気になってしまうのだとしたら、それはちょっと嫌かもしれない。ミッドナイトの人々には悪いけれど、そう思ってしまったのだ。


「世界がめちゃくちゃになれば、人々の暮らしも安定を失います。エニグマやナイトメアには悪意はないのかもしれないけれど、彼らの営みが人々を狂わせるのだとしたら、それは絶対に止めなくてはいけない。そのためにはどうしたらいいか。彼らを生物と認識して研究している人もいるけれど、そのはっきりとした答えはなかなか見つかりません。そうして、我々が最後にたどり着いたのが、先住民たちの語り継いだ神話でした」


 ラブ博士はそう言うと、一冊の本を取り出した。

 あの絵本だ。今もラズの鞄に入っているはずの、『トワイライトから来たベリー売り』である。ラズが僅かに反応を見せると、黙って見守っていた博士が口を開いた。


「そういえば、その絵本の作者であるバーナード=ブラックさんは、オオカミを連れた赤ずきんのベリー売りに助けられたと、最近のインタビューで答えていましたね。タイトルページ新聞社の記事になっていたはずです。最新作はそのベリー売りをモデルにしたお話だとか」


 博士の言葉にラズはちょっとだけ恥ずかしそうに俯いた。ボクもまたドキっとしてしまった。それはもしや、旅立つ頃に貰った試作だという手作り絵本の完成版だろうか。

 あの絵本も時々ラズに読んでもらっている。ボクとラズの旅が綴られているような気持ちになって、とても嬉しくなるからだ。嬉しくなるけれど、なんだか恥ずかしい。だから、ラズの気持ちがよく分かった。

 カシスとグロゼイユが不思議そうにラズを見つめている。けれど、彼らが何か言う前に、ラブ博士は言った。


「ともあれ、ラズさんもブルーさんもご存知ですね? バーナード先生はグリズリーの血を引いているとして有名です。しかし受け継いでいるのは血だけではなく、その文化の一部――魂も継承されていることが、この本からはっきり伝わってきます。ここには聖熊と尊ばれたベネディクトの教えにも通ずるものが含まれているのです。それはなんだと思いますか?」


 博士の問いに、カシスとグロゼイユが競って手をあげ、同時に答えた。


「愛です」

「優しさです」


 カシスとグロゼイユは互いに見つめあった。


「本には愛って書いてたじゃん」


 カシスの言葉に、グロゼイユは頷きつつ腕を組んだ。


「そうだけど、優しさが大事って話だったじゃない。バーナードさんもそう言ってたし」


 むすっとする彼らの会話に、ボクはふと気になって問いかけた。


「ふたりはバーナードさんとじっくりお話したの?」


 すると、カシスとグロゼイユは一斉にこちらを見つめ、ふたりそろって腰に手を当てた。


「そうだよ。バーナードさんから僕たちが直接受け取ってきたのさ。博士とラブ先生は忙しいし、研究所を長く空けられないからね」

「じゃあ、ミルキーウェイでも?」


 ラズが問いかけると、グロゼイユがしっかりと頷いた。


「もちろんよ。わたし達は西側の担当だったの。東側はワタリガラスの人たちが頼んだ人が集めていたから」


 その頼まれた人というのが、ブラックだったわけだ。

 まだ見たこともないラズの兄。ゴーストライクからの消息が分からない彼は、いったいどこにいるのだろう。事故に巻き込まれてしまったのか、それとも――。

 きっとラズも彼へと思いを寄せたのだろう。そっと視線を向けてみれば、ほんの少しだけ寂しそうな表情を浮かべていたので、ボクもまたしゅんとしてしまった。


「話を戻しましょう」


 博士が咳払いをしながらそう言った。


「カシスの答えは『愛』で、グロゼイユの答えは『優しさ』だったわね。どちらも正解よ。けれど、もう一歩踏み込むならば、『寛容』という答えになるのですって」

「寛容?」


 同時に首を傾げるふたりに、キャンディスは頷いた。


「そうです。寛容とは、違いを認め合うこと。種族のるつぼと呼ばれるこの国では、古くより違いを認め合えずに血を流してきました。今だって、自分と価値観が違う人々の存在を拒み、貶したり、煽ったりする人たちはいるものです。たった一つの方角から見た事実を真実と信じ込み、正義の名のもとに他人を傷つける人たちは、ごく当たり前に存在したものなのです」


 キャンディスはそう語り、溜息を吐いた。


「これは他人事ではありません。私だって感情的になれば、意地悪な心が顔を覗かせることもあります。一方の視点だけで正しさを信じ込んでしまう時もあります。けれど、自分にはそんな時があると認め、いち早く冷静になって言葉を慎む。これだけを守ればどうにかなるものです。けれど、いつでもそうあれるとは限らない。人の心は脆いものですし、ナイトメアたちの悪意なき活動の影響を受けやすい。だから怖いのです」


 彼女の説明を不思議そうに聞きながら、グロゼイユがそっと手を挙げた。


「あの、ラブ先生」

「なんですか、グロゼイユ」


 名前を呼ばれると、グロゼイユは姿勢を正して質問をした。


「その『寛容』な人になることって、そんなに大事なんですか?」


 すると、キャンディスは微笑みながら頷いた。


「そうですね。とても大事なことです。何故なら、この寛容こそがナイトメアの弱点であるからです」

「弱点?」


 ボクは思わず訊ねてしまった。


「ナイトメアに弱点ってあるんだ?」


 博士は小さく頷いた。


「そうですね。正確に言えば、弱点というわけではないかもしれません。要は、ナイトメアがナイトメアでなくなるきっかけになり得るのが、寛容な心で人々に受け入れられることなのです」


 彼女の説明を聞いて、ボクはうんと考えた。


 思い出すのは『トワイライトから来たベリー売り』に書かれていたナイトメアたちの末路だ。たしか、角の生えたハンチ以外のナイトメアたちは、それぞれの悩みを解決してもらうと、ドラゴンメイドの夢へと帰ってしまった。

 また、ミッドナイトでマルが教えてくれたワタリガラスの一族たちに伝わるおとぎ話のことも思い出した。


 ――ナイトメアを愛することは、自他の不完全さに寛容となることでもある。


 そうだ。彼らは知っていたのだ。

 寛容によって許し、受け入れているものは、ナイトメアだけではない。ナイトメアの干渉を受けて、暴走した人々の心もまた受け入れようという話をしていた。


「一つの失敗をいつまでも憎しみ、互いに攻め続けていれば、ナイトメアはいつまで経っても消えず、新しいエニグマは生まれ続けます。そうして起こるのが紛争であり、紛争は大地の穢れに繋がる。そしてその穢れはやがて、ドラゴンメイドの夢を穢し、大きな厄災を引き起こす……というのが、先住民たちに伝わる信仰です」


 ラブ博士がそう言うと、見守っていたカラント博士がとことこと歩き出し、彼女の隣に立った。

 カラント博士はやや深刻な顔をしながら、ボクたちに向かって告げた。


「伝説というものは人々の口を介して伝わってきています。そのため、あらゆる面で謎が多く、非科学的なものでした。けれど、未開な人々の迷信だと片付けてしまうのはいかがなものか。彼らは想像力を味方につけて、必死に何かを遺そうとしたはずです。その一つが、ドラゴンメイドの建国にまつわる伝説の序章として語られている、ドラゴンメイドの目覚めのお話です」


 博士が言い終わると、ラブ博士は九つの紙を壁に貼った。書かれている文字が、ボクには読めない。けれど、絵は理解できた。クマ、ウサギ、オオカミ、キツネ、コウモリ、クジラ、ネコ、バイソン、そしてヒトの姿だ。


「これから、少しだけ怖い話をします」


 怖い話。

 深刻な表情で語る博士の姿に、ボクは早くも怖くなってラズの身体にぴたっと身を寄せた。


 ラズは博士たちから目を逸らしたりはしなかったけれど、そんなボクの身体を撫でてくれた。柔らかな手の感触が心地良くて、少しだけホッとする。

 これなら、怖い話とやらにも耐えられそうだ。と、ちょうど覚悟が決まったところで、博士は語り始めた。

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