7.有名な絵本作家
タイトルページの町中で、バーナード探しは続いていた。
代表作はあまりに有名らしく、そのタイトルだけでも彼のことを知っている人は多かった。実際に町で見たと証言する人物もいて、一緒に飲んだという人もいる。本人に会えずとも、彼らの話から伝わってくるのはバーナードという人物の穏やかな気性だった。
けれど、ネガティブな噂を言う人も当然のようにいた。聞き集めた情報をまとめると、彼がグリズリーであることは事実として広まっているらしい。本当かどうかは分からないけれど、と前置きをする者が大半だったが、本音は信じきっているようだった。
「グリズリーにしちゃあ毛色が黒いんだけどね。何しろ大柄なのは目立つからね。あのナリで絵本作家ってんだから最初はビックリしたもんだよ」
そう語るのは靴屋をしているアライグマ族の男だった。話によれば、バーナードはこの靴屋の馴染み客であるらしい。
「でもさ、温厚で良い奴だよ、バーニーは。たとえグリズリーの噂が本当だとしてもね。オイラの靴だと足が痛くならないってんで、大切にしてくれているしさ。あ、そうそう、モノを大事にするんだよね。動植物のようにね。そこもいい所だよね」
「……それでバーナードさんのお家はどのあたりにあるのでしょうか」
「家かい? そうだね。作家がたくさん住んでいる団地があるんだけど、そこの何処かじゃなかったかな。あ、もっと詳しく知りたかったら、本屋に行ってみなよ。客としてもよく来ているらしいし、そこならもうちょっとマシな情報が聞けるはずだぜ」
こんな調子で聞き込みを初めて小一時間ほど。ブルーとふたりで歩き回り、ついにバーナードの住む家の正確な情報を手に入れることが出来たのだった。
しかし、ちょうどその頃合いにお昼時となったので、私とブルーはひとまず休憩をすることにした。
向かった先はホットサンドのお店。クマ印のホットサンドはタイトルページの名物で、どの味も人気が高い。クランへのお土産――チョコレート味を別にしまって、私はいちごバターサンド、ブルーはハムサンドをそれぞれ食べた。
ただのホットサンドではなく、間にエナジーベリーが紛れ込んでいる。さらに隠し味としてタイトルページ付近でよく採れるソルトベリーの粉末が使われているらしい。甘みを引き締める塩辛さは、やや硬いパンの触感と合わさってクセになる。温かいうちに食べることが、クマ印ホットサンドをおいしく食べるコツでもあった。
ほかほかのホットサンドを食べながら、私とブルーはタイトルページの観光名所でもある公園でベンチに座ってまどろんでいた。クマ族の子どもたちが遊んでいるのを眺めていると、ふとブルーが私にこう言った。
「本当にここってクマの町なんだねえ」
興味深そうに見つめるのは、公園で各々の時を過ごす人間たち。たまたまだろうけれど、全員がクマ族だった。
「みんな、ベネディクトの教えを守って暮らしているんだ。でも、ボク、信じられないな。あのグリズリーとここの人たちが同じだったなんてさ」
「しょうがないわ。私だってそうだもの。それに、町の人たちだってね。シュシュとグリズリーが一つだったのは大昔の話だって、前にここに来た時に居合わせたクマ族の人が言っていた。そのくらい、クマ族の人たちからもグリズリーは怖がられているのよ」
けれど、今から訪ねようとしているのは、そのグリズリーの血を引いた絵本作家なわけである。
人間であるクマ族と、ケモノであるグリズリー。その両方の血を引くなんてにわかには信じられないけれど、愛というものは不思議なもので時折高い壁を易々と乗り越えてしまうものなのだと祖母が昔言っていた。
昔はクマ族もグリズリーも同じだった。そうは言っても、現代を生きる私からして、想像も出来ない。いったいどんな経緯で血が混じるのだろう。
色々と考えているうちに、私はふと今日の一日だけで集めたバーナードの情報をひとつひとつ思い出した。
靴屋のアライグマ族のように好意的な情報も少なくなかった。けれど、そうでない情報の方がやや多かった。なんでも彼は悪い噂を流されたことがあるらしい。その理由がグリズリーの血であった。
殺人クマ。そう呼ぶ者までいたのだ。今はまだ何もしてなくても、いつかその血が目覚めるときが来るだろう。疑いもせずにそんなことを呟くクマ族もいた。
「本当にバーナードさんってグリズリーなのかなあ」
ブルーはそう言って首をかしげる。
「だって、グリズリーってトワイライトの森にいたようなひとたちでしょう? とてもこの町できちんと暮らしているなんて思えないひとたちだったけどなあ」
「グリズリーと言っても、生粋のグリズリーではないのでしょうね。別に絶対にないってことではないはずよ。たとえば、ミルキーウェイでは住人の大半が多産で有名なウサギ族なのだけど、昔から人間らしい暮らしをしていたラビットと、伝統的な暮らしをしていたヘアーに長らく分かれていたそうなの。今も伝統的な暮らしをしてケモノ扱いされるヘアーもいるけれど、ミルキーウェイに暮らすウサギ族のほとんどは、ラビットとヘアーの両方の先祖を持っているそうよ」
「へえ、人間とケモノなのに?」
「不思議なことだけれどね。きっと同じような暮らしを続けたら、そう言うこともあるのかもしれないわ。もしかしたらブルーも、いつかはオオカミ族みたいになっちゃうかも?」
冗談のつもりでそう言ったのだが、あながちあり得ない話ではないのではと思えてきた。
なにしろ、サンドストームに暮らすナジャというネコたちは、ケモノのネコのようでありながら言葉を喋る。ネコ科種族の人間たちに見守られながら、必要なときは二足歩行までして町を盛り上げている。
そこまでくれば、ナジャはただ単に服を着ていない小柄なネコ族と変わらない。ネコ族や原因不明の風土病でネコ化した人間との間に子どもが生まれるなんて未来もあり得ない話ではなくなるかもしれない。
もしかして、ケモノと人間の境界は曖昧なのだろうか。
そんな考えが頭をよぎったちょうどそのとき、ブルーが興奮気味に尻尾を振りだした。
「オオカミ族の人間かあ。そうなったらボク、服を着なくちゃいけないんだね。どんな服が似合うかなあ。二足歩行って難しそうだなあ」
無邪気にそう言って笑いながら舌を出す。その姿はオオカミ族に似ていても、人間からは程遠いものだった。私は軽く笑って彼の頭を撫でた。
「その時は、私も一緒にブルーに似合う服を選んであげる。それに、二足歩行の練習もね」
そういう日がきたら、きっと楽しいだろう。
淡い夢物語に少しだけワクワクした後は、現実に戻ってため息を吐いた。もう少ししたら、勇気を出してバーナードの家を訪ねてみよう。
そんな事を思っていると、ふと、ブルーが私の抱える絵本に視線を向けた。
「あのさ、ラズ」
ブルーは前脚で絵本を示す。
「これってどんな内容なの?」
「気になる?」
「ちょっとだけ。ボク、文字は読めないから本ってものに馴染みがないのだけど、これってつまり物語が書いてあるんだよね?」
「今から読んであげようか」
「え、いいの?」
ブルーは途端に目を輝かせた。こうも反応がいいと私の方もやる気がでる。嬉々として覗き込む彼の前で、私は絵本を開いた。
グラスホッパーの書店で買ったその絵本は、見た目だけなら新品同様だ。だが、今日の日までに私はもう何度も読んでいた。小さい子どもから大人まで引き込むその絵はクマ族の長い爪の手で書かれたとは思えないほど繊細で美しく、文字で描かれている物語もまた、多くの人を虜にする魅力がある。
『トワイライトから来たベリー売り』
バーナードの名は知らなくても、タイトルならば知っている人がいるほどのその絵本を、私はブルーに読み聞かせた。




