2.誘拐事件
日が沈み、町が夕闇に包まれていく。ベリーの力で輝く外灯だけが頼りとなる時刻に港をうろつくのはとても危険だ。私はブルーと二人でちょっと大きめのナイトメアのように真っ黒になりながら、宿へと戻っていこうとしていた。
ふたりのリス族とは、結局会えずじまいだ。けれど、ひょっとしたら向こうも探していたのかもしれない。泊まる予定の宿は知っているはずだし、そちらに連絡がいっていてもおかしくはない。淡い期待を込めて、私たちは帰路についた。
カシスとグロゼイユ。リス族であろうと双子の男女はきっと目立つはずだ。私やクランがそうだったように。今まで見てきたリス族の容姿を思い出しながら、私は名前しかしらない少年少女の姿を思い浮かべていた。
「何処にいたんだろうね」
ブルーがふと呟いた。
「ボク、何度かニオイを嗅いでみたんだけど、さっぱりだった。リス族っぽいニオイすらしなかったもの」
「場所を間違えてしまったのかしらね。とにかく、宿に戻って確認してみましょう」
焦って悲観的になっても意味がない。今の私たちが出来ることは、とにかく二人と合流することなのだから。
てくてくと歩きながら、暗闇が深まっていくのを感じ、自然と足早になる。
噂とは違ってメインゲートはとても明るく、穏やかに思えるけれど、それでも宿の主人は言っていたのだ。あまり暗い時間にぶらつかない方がいいと。平和に見えても、物陰には盗賊たちが潜んでいるものなのだと。
私にはブルーがいるし、ベリー銃もある。それでも、蛮勇なる不届き者はいるかもしれないし、無駄なトラブルは避けたいところだ。そう思うと、一刻も早く宿に戻りたくなった。
だが、あと少しで宿に着くという時のことだった。
「あれ?」
ふと、ブルーが立ち止まったのだ。
「どうしたの、ブルー?」
問いかけると、彼は片耳を路地裏へと向けた。
住宅と住宅に挟まれた狭い通路は、近隣住民以外の立ち入りを拒んでいるようにすら見える。そんな隙間の世界に、ブルーは耳を傾けだした。
「変な声が聞こえてくる……」
「変な声?」
「うん、なんかね」
と、ブルーが詳しく教えてくれようと周囲を見渡す。
路地裏に数体のエニグマとナイトメアがいた。声というのは彼らのものだろうか。
そんな疑問を抱いた直後、風向きが変わり、そちらか風が吹いてきたそのニオイをくんくんと嗅いだ瞬間、ブルーは目を見開いた。
「この声は……!」
そう言って、走り出してしまったのだ。
「ま、待って、ブルー!」
慌てて追いかけるも、ブルーの足には追い付かない。だが、どうにかついて行くしかなかった。
入るのをどうしても躊躇う路地裏へ、ブルーは吸い込まれていく。ニオイだけを頼りに、彼はどんどん突き進んでいった。まさか大通りの横にこんな迷宮があったとは。そう感心してしまうほど入り組んだ小道を進んでいって、ようやくブルーはその一角で立ち止まった。
複数のエニグマやナイトメアに囲まれながら、彼は物陰からそっとその先を窺っている。やっと追いついた私もまた、彼に倣って角の向こうを眺め――そして、息を飲んでしまった。
リス族だ。黒髪と灰色の体毛をもつリス族の少年が、突き当りでぶるぶると震えている。
一人きりではない。非常に人相の悪い男たちがそのリス族に迫っていた。鮮やかな体毛のジャガー族、バンダナをしたラッコ族、そして人相の悪いヒト族の男たちだ。
取り囲まれたリス族の少年は、大きな尻尾を抱きしめて、怯えた目で男たちを見つめていた。
「や、やめて……近づかないで……大声を出しますよ!」
「やってみな。どうせ助けてくれる奴なんざいないぜ」
ラッコ族の男がけらけらと笑う。その手にはベリー銃が握られている。対して、リス族の方は手ぶらだった。
「そんなわけはありません! 海兵隊の人たちが言っていました。通報さえすれば、助けに来てくれるって」
「海兵隊? はは、そんなもんを信じていたのか。通りで平和ボケしているわけだ」
ラッコ族の言葉に、ヒト族とジャガー族の男も笑ってみせた。
「残念だが奴らは来ない。期待するだけ無駄だよ。万一、来るとしても、お前を袋詰めにした後だろうね。相方共々、仲良く売り飛ばしてやるから楽しみにしていな」
――売り飛ばす……。
とんでもない現場に立ち会ってしまったらしい。
ブルーも毛を逆立てている。そうだ。すぐに助けてやらないと。静かに懐からベリー銃を取り出し、中を確認した。ポイズンベリーにフレイムベリー。しっかりとセットされていることを確認してから、私は男たちに狙いを定めた。
もっとも警戒すべき相手は誰か。
勿論、決まっている。身体能力が優れていると思しきジャガー族だ。
引き金を引くと、フレイムベリーの弾ける音が響いた。
「誰だ?」
反射的に男たちが振り返ったが、間に合いはしない。勢いよく発射されたポイズンベリー弾は、狙い通り、ジャガー族の男に当たった。
しばしの沈黙の後、ジャガー族の男が苦しそうに呻きながらうずくまった。仲間の苦しむ姿に戸惑った二人だが、そのうちのラッコ族の方が私たちの存在に気づいて声をあげた。
「そこか!」
ベリー銃を構えるのが目に見えて、反射的に角に身を潜めた。
相手の弾丸が何かは分からない。ベリー弾の可能性もあるが、東の大陸で主に使われるような通常の弾丸かもしれない。どちらにせよ、当たればただじゃすまない。猛獣よりも人間の方が敵に回すと恐ろしい理由の一つだった。
と、その時だった。
「銃を持っているのはあいつだけだ」
そう呟いて、ブルーが走り出してしまったのだ。
「ブルー!」
慌てて引き留めようとしたが、間に合わなかった。撃たれそうになって、慌てて身を引っ込めた。その直後、男の悲鳴があがった。ブルーではないようだ。真っ先にそれを確認して、私は再び角から身を乗り出した。
ブルーがラッコ族を取り押さえている。ベリー銃を奪おうともみ合い、それに動揺したヒト族がブルーの姿を恐る恐る見つめていた。しかし、はっと我に返り、ヒト族の男は三日月ナイフを静かに抜いた。
――危ない!
とっさに銃を構えたその時、追い詰められていたリス族の少年がラッコ族からベリー銃を奪い取った。慣れた手つきで彼はヒト族に狙いを定め、叫んだ。
「手を挙げろ!」
子どもっぽさを残しながらも勇敢なその声に、ヒト族は慌てて従った。
「そのまま壁に寄るんだ」
そう言って今度はヒト族を壁に追いやり、じりじりとブルーの傍へと寄った。ブルーに抑え込まれているラッコ族に彼は声をかけた。
「お前も壁に寄れ」
その言葉に、ブルーがそっと身を引いた。武器を奪われたラッコ族は渋々その言葉に従い、ヒト族の隣で壁によった。唯一、ポイズンベリーに苦しむジャガー族だけが地面でのたうち回っている。
形勢が逆転すると、リス族の少年は叫んだ。
「言え。僕の姉妹――グロゼイユを何処にやった」
グロゼイユ。その名前を聞いて確信した。間違いない。探していた助手だ。
私はすぐさま彼に近寄った。ベリー銃を構えながらその隣に立ち、共に悪漢たちを脅す。海兵隊にこのまま通報できればいいのだが、生憎手段がない。ブルーに走ってもらうのもいいかもしれないが、手っ取り早いのはここで三人とも移動不能にしてしまうことだった。
しかし、ポイズンベリーは強すぎる。撃つ前に大事なことは聞きだしておかないと。
「質問に答えなさい」
私もまた彼らに言った。
「でないと、お仲間のように苦しむことになるわ」
冷徹なまでに告げれば、隣で銃を構えるリス族の少年――おそらくカシスが、窺うように私を見つめてきた。
しかし、その視線には答えず、私はラッコ族とヒト族の男たちを睨みつけた。
「ポイズンベリー弾よ。命までは奪わないけれど、絶大な苦痛があなた達を襲うわ。味わってみたいのならば遠慮なく引き金を引くけれど、そんなご趣味はないでしょう?」
私の言葉に二人は不満を露わにする。
けれど、幸いなことにそういうご趣味はなかったらしい。じっとしたまま動かずに、彼らは目配せをした。
「何処かなんて知らねえよ」
真っ先に答えたのはヒト族だった。
「知っていても答えねえ。それがオレたちの仁義だ」
「ここでオイラたちだけをしょっぴいたって意味はねえよ」
ニヤリと笑いながらラッコ族も言う。
「あんたらが右往左往している間に、グロゼイユちゃんとやらは海外へ売り飛ばしてやるから覚悟しやがれ。買い取られた先ではどんな人生が待っているだろうなぁ。可愛いリスちゃん。それも年頃の女の子ときたら、そのお役目は一つしかあるまい」
嫌らしく笑うばかりで必要な情報はこぼさなかった。
ならば、仕方がない。私は静かに引き金を引いた。ポイズンベリー弾はラッコ族の口に当たり、悲鳴をもたらした。ヒト族はそんな彼を横目で見つつも、やはり口を割ろうとはしなかった。
「どうせ見つけられないさ」
彼はそう言った。
「運が悪かったと諦めるんだなぁ」
そんな彼にもまたポイズンベリー弾をお見舞いした。




