6.はじめての船
港はモーニングの中心地から南東に進んだ先にある。
サンドストーム港というのが正式名称だが、サンドストームよりもモーニングの方がずっと近い。それでも、町の雰囲気はサンドストームとも、モーニングとも、だいぶ違った。
砂っぽい空気が漂っていた二つの街とは違って、港の空気はやや湿っていて、初めて嗅ぐような生々しい香りがした。それに風も強く、初めて見かける鳥の姿も多かった。
けれど何よりも印象に残ったのは、湖と呼ぶにはあまりに大きすぎる水面だった。
とにかく大きな存在感。それに圧倒されて、モーニングのみやげ屋で大量に買うはめになったお菓子の味の感動も忘れてしまうほどだった。
海鳥の声を聞きながら呆然と眺めていると、ラズが声をかけてきた。
「どう? 広いでしょう?」
ボクはラズを見上げ、しっかりと頷いた。
「うん。とっても。これが海なんだね?」
「そうよ。と言っても、今見ているのは湾だから狭い方なの。よくよく目を凝らしてみて。向こう側に岸があるのが分かるでしょう?」
ラズに言われて、やっと意識的にその存在に気づく。
「本当だ。あれがメインゲート?」
訊ね返すと、ラズは頷いた。
確かに、水面の遥か向こうには、対岸があった。向こうまでの距離はやっぱり大きすぎる湖とそんなに変わらないのかもしれない。
それでも、海という場所は、湖と雰囲気がだいぶ異なった。潮の香りというものが、それを証明している。
「メインゲートに行けば、もっともっと広い海が見られるわ。それに、異国の品々もね。盗賊はちょっと怖いけれど、他の町とは違う雰囲気を楽しめるはずよ」
「そっか。楽しみだな」
外国というものがどういうものなのかイマイチ分からないことも多いけれど、ラズが見せたがるくらいなのだからきっと面白いものなのだろう。短絡的だと家族に笑われそうだけれど、ボクは本気でそう思った。
「本当に、盗賊には気をつけるんだぞ」
口を挟んできたのは、見送りのためについてきたクランだった。
これでもかというくらい分かりやすい心配性の表情を浮かべながら、クランはラズを見つめていた。
「メインゲートの盗賊たちは何でも盗んで外国に売っちまうらしい。中には人さらいだってあるかもしれない。いいかい、ラズ、それにブルー。怪しいと思ったやつには絶対関わっちゃダメだからな」
興奮気味に毛を逆立てる彼に対し、ラズが呆れ気味に返そうとしたその時、ライオネルもまた割り込んできた。
「そうそう、クラン君の言うとおりだ。本当なら、オレが迎えに行ければと思うくらいなんだが……。今はモーニングを離れられなくてね。いいかい、ベリー銃を過信しちゃダメだよ。盗賊を甘く見ちゃいけない」
ライオネルの真剣な表情に、ラズは出かかっていたらしい言葉を飲み込み、頷いた。
ボクもまたドキドキしながら頷いた。
ライオネルがそんな表情になるくらい、盗賊っていう生き物は危ないらしい。そもそも、メインゲートに向かう道だって、盗賊の噂を聞いて近寄りもしなかったくらいだ。それだけの厄介さがあるのだとしたら、正直に言って不安だ。
それでも、ボクは心を入れ替えた。
ラズひとりならば確かに不安な旅だっただろうけれど、オオカミであるボクが一緒なのだ。トワイライトのグリズリーだってボクとは無駄に争いたがらなかった。盗賊たちがグリズリーよりも強いならば話は別だけれど、同等かそれ以下ならば、向こうから絡んでくる心配はないはず。
だとしたら、心掛けるべきことは一つ。出来る限り、ラズの傍を離れないように心掛けなければ。
「そろそろかしら」
ラズは名残惜しそうに呟くと、ライオネルとクランに向かって言った。
「ライオネルさん、お見送りありがとう。ケネス博士やカレンさんにもよろしく伝えておいて。そして、クラン、カラント博士の助手たちと合流した後にまた立ち寄るとは思うけれど、その間にブラックが――私たちの兄さんが来た時は、ガツンと言ってやってね」
悪戯っぽく笑うラズに、クランもまた同じように笑った。
「任せておけって。こっちの心配はいいさ。ラズはとにかく平穏無事に過ごせよ。か弱いリスさんたちと出会えたら、速やかに戻って来るんだ」
「ええ、そうする」
ラズはしっかりと頷いたが、ライオネルがそっとボクに声をかけてきた。
「ブルー坊、ラズ嬢が無茶をしそうなときは全力で止めるんだぞ」
「うん、分かった」
小声で答えると、クーガー族らしい逞しい手がボクの頭をわしゃわしゃと撫でてきた。
と、そこへ、声がかかった。定期船の案内らしい。ラズと一緒に乗る予定の船について、カワウソ族の男性が何やら案内している。それをじっと聞いて、ラズはクランたちに向かって頷いた。
「じゃあ、行ってくる」
そう言って歩みだす彼女に続いて、ボクもクランたちに向かって一声告げた。
「行ってきます!」
そして、ラズと共に船へと向かった。
ベリーの力で動くというその船は、風もなくどうやって進むのか具体的にはさっぱり分からないが、人間たちの発明品に驚かされるのにも飽きてきた頃なので、分からないなりにそういうものだと納得していた。それでもやっぱり、その圧倒的な大きさと、乗る人々の数に驚いてしまった。
乗り込んだ船からラズと一緒に港を見降ろすと、クランとライオネルの姿が見えた。手を振るラズの隣で尻尾を振っていると、汽笛が鳴り響いた。
船が出る。
初めてのその感覚にドキドキしながら、ボクはクランたちを見つめ続けていた。
動いている。風も吹いていないのに、ベリーの力で。港からどんどん離れ、クランとライオネルの姿はますます小さくなっていった。その驚きは、ゴーストライクからサンライズまでの間で乗せてもらった自動車と同じか、それ以上だった。
「ブルー」
クランたちの姿が見えなくなってきたころに、ラズがふとボクに話しかけてきた。
ボクと目を合わせ、差し出してくるのはさっきも食べたあのみやげ屋のお菓子だ。サンドベリーとミルキーベリーの粉末が入ったそのベリーは、星屑のように輝いている。
三毛柄のナジャに勧められるままにたくさん買わされたから、まだまだ残っているのだろう。一つずつ分け合って食べてみると、その美味しさ以上に幸せな気持ちになった。
ひとりで食べる時には味わえない感動だろう。味は一緒のはずだけど、何故だかボクはそう思った。
ベリーロードを歩む旅は、本当に不思議なことばかりだ。スノーブリッジの雪山でオオカミらしく生きていた頃には想像も出来ないことだらけ。それでも、ワクワクすれども恐ろしくならないのは、隣にいるラズのお陰なのだろう。
メインゲートでボク達を待っている驚きは何だろう。
盗賊の存在に不安を覚えつつも、新しい町を前にボクはやっぱりワクワクしていた。




